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2.一撃

 ――空、飛べちゃった……。



 俺は大空を飛びながら、少し前のことを思い出す。


 研究室にあった扉を出ていくと、そこは標高の高い山の中腹だった。

 冷たい空気の中、様々な植物が生い茂り、道なんてものは当然のように整備されていない。


 ……あの老人は、ここまでどうやって来ていたんだ?

 食べ物はどう調達しているんだ?

 外部との交流は全く無いのか?


 疑問はたくさん浮かんだが、ひとまずそれは置いておくことにした。

 俺だって突然こんな世界に召喚されたのだから、考える時間は自分のために使いたかったのだ。



 さて、どうやってこの場所から離れようか――

 ……そう思ったとき、なんとなく空を飛んでみることを思いついた。


 当然ながら、俺は今まで空を飛んだことなんて無い。

 しかし、なんとなく出来そうだったから……ということでやってみたら、実際に飛べてしまった……というわけだ。


 理屈はよく分からない。

 この身体には翼が生えているわけでもないし、風や衝撃波を出して推進力を得ている感じでもない。

 ごく自然に浮いて、ごく自然に移動するだけ……まさにそんな状態だった。



「――不思議なものだな」


 気分よく独り言を呟いてみるが、我ながらこの声が未だに慣れない。

 この世界には慣れるほどまだいないから、それは仕方のないことなのだが……。


 ただ、俺が飛べているのはきっと、『魔法』のせいなのだろう。

 あの老人の口からは、『魔法技術』やら『魔族』やらの言葉が出てきていた。

 恐らくこの世界には、魔法というものがごく普通に存在するに違いない。


 ……ちなみに俺は、他人からの評価によれば、いろいろなことをすんなりと受け入れてしまう性格らしい。

 悪い言い方をすれば、『信じ込みやすい』、『騙されやすい』ということではある。

 しかし俺としては、自分のそんな性格も結構気に入っていたりした。



「まぁ、何とかなるだろう」



 元の世界で、俺は会社のビルの屋上から転落してしまったのだ。

 10階もある建物だったから、きっとそのまま即死だっただろう。


 つまり今いるこの世界は、俺にとってはボーナスステージのようなものなのだ。

 だから何とかなればそれで良いし、何ともならなければ……それはそれで仕方が無い、って感じだな。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 しばらくあちこちを飛んでみたが、とりあえず探してみていた海は、見つけることが出来なかった。

 どこまでも行けばきっと見つかるだろうが、海を探すのはそこまでの目的ではない。


 ひとまず俺は、誰か人間のいる場所を探すことを目的にすることにした。


 ……っと、それにしても――


「喉が渇いたな」


 天気は快晴。

 暑くはないが、何となく喉がかさつく。


 そういえば少し前まで、研究室のカプセルの中で、変に臭う液体に包まれて浮かんでいたのだ。

 肌に何かが張り付くような感じが残っていて気持ち悪い。

 そのことに意識が向いた途端、身体を洗いたい気持ちでいっぱいになった。


 ……ちなみに服は、簡単な布を腰巻として付けているような状態だった。

 この格好も、早々に何とかしたいところだ。



 水の飲めそうな場所を探してみると、5分ほどで大きな川を見つけることが出来た。

 広大に広がる森を綺麗に横断していて、森にハサミを入れたようにも見える。


 俺は少し開けている場所を選んでから、辺りを伺いながら地面に下りることにした。



「自然の川でも、獣がいれば危ない場合があるんだよな」


 自然界には、様々な寄生虫が存在している。

 どんなに綺麗な水に見えても、本来なら煮沸をするべきだが――


 ……しかし今は、そんな道具を持っていない。

 俺は最善策を諦めて、川の水を手にすくおうとした。



「――!」



 声の無い驚き。

 川の水面には、俺の見たことが無い顔が映っていた。

 ……もちろん、今の俺の顔だ。


 最も特徴的なものは目で、白目の部分が黒、黒目の部分が赤くなっている。

 髪は短く、色は暗い金色。

 肌は褐色をさらに黒くした感じだ。


 ……そもそも身体からして、昔の俺の貧弱ボディとはまるで違っている。

 だから顔も違って当然なのだが、実際こうして見ると……違和感が半端ない。



「イメージ的には、魔族……みたいな感じか」



 ――そういえば、二の腕や胸元、ふとももの部分などには漆黒の模様が刻まれている。


 これじゃ銭湯にも行けないし、海で遊んだりもできないか――

 ……って、この世界にはそんな文化があるのだろうか。

 いや、そもそも入れ墨が嫌われていない可能性だってあるだろう。



「……まぁ、いいか」


 気を取り直して呼吸をし、改めて落ち着いたところで川の水をすくって飲んでみる。

 ……冷たく、心地が良い。


 満足いくまで水を飲んだあと、俺はそのまま川の中に入って身体を洗い流すことにした。

 ……これまた、心地が良い。



 本来であれば頭の上から足の先まで、しっかりと全身を潜らせたかったが、残念ながらこの川はそこまでの深さが無い。

 だから俺は寝そべるようにして、身体の半分ずつを川の流れで清めていった。


 纏わりつくような気持ち悪さが全身から取れたところで、俺は河原に上がり、手をぶらぶらさせながら石の上を歩いていった。

 足の裏からは、太陽を浴びた石の熱が伝わってくる。

 ……これもまた、心地がとても良いものだ。



「良い気分だ……。

 タオルは……あるはずもないか。まぁ、そのうち乾くだろう」


 俺の独り言も絶好調だ。

 ずっと誰とも会わなければ、もしかして一日中独り言を呟くような人間になってしまうかもしれない。


 ……いやいや、さすがにそれは――



「きゃぁあああぁっ!!」



 突然、辺りに女性の声が響き渡った。


 川の一帯を見るも、上流から下流に掛けては誰もいない。

 ……声の響き方からして、森の中だろうか。


「まぁ、何かの縁だ。

 とりあえず行ってみるか」


 俺は特に何も考えず、声の聞こえてきた方へと駆けだした。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「――ブフウゥゥウゥッッ!!!!」


 森の中を1分ほども疾走すると、木々の合間から巨大なイノシシが見えてきた。

 目が赤く血走り、獣臭い空気が辺りに広がっている。


 四つ足で立っている状態で、高さは2メートル程もあるようだ。

 ……俺の身長と、大体同じくらいの高さになるか。


 そんなイノシシの前で、力無くへたり込んでいる女性が一人。

 雰囲気からして若そうだが、耳がピンと尖っている。

 もしかして、エルフというやつだろうか。


 イノシシと女性の距離は近く、俺が割って入るスペースは……ギリギリだ。



 ……それにしても、これからどうする?


 不意打ちを仕掛けて、倒してしまう?

 女性の手を取って、一目散に逃げる?


 幸いなことに、俺は空を飛ぶことが出来る。

 仮にイノシシが俺より強かったとしても、逃げること自体は簡単だろう。



「おい、大丈夫か?」


「ブブゥッッ!?」



 へたり込む女性を守るように、俺はイノシシの前に立ちはだかった。

 遠くで見るよりも、イノシシの迫力がダイレクトに伝わってくる。

 同時に、その息遣いの荒さも、臭さも、ビシビシと伝わってくる。


「た、助けて……」


「おう」


 女性の懇願に、俺は簡単に答える。

 それと同時に、イノシシは凄まじい速度で俺たちに突進してきた。



 ……(はや)い!!



 俺は身を翻し、後ろの女性を瞬時に抱きかかえ、すんでのところでイノシシをかわした。



 ――ドォオォン!!



 イノシシが元いた場所の地面はその脚力によって大きくえぐれ、逆側の巨木はイノシシの巨体でたやすくへし折られてしまった。

 幹の太さは1メートルほどもあったのに……何ということだ。


 しかし俺は特に、怖いという感情は抱かなかった。

 確かに凄まじい威力ではあるが、俺にも出来そう……というか。



「あ、あの……。に、逃げましょう……?」


 俺が動きを止めて考えていると、抱きかかえていた女性が震えながら言ってきた。

 うーん、逃げるでも良いんだけど……、でも少し挑戦してみたいんだよな。


「……大丈夫だ。少し待っていろ」


 女性を優しく地面に下ろすと、俺は再びイノシシに対峙した。

 イノシシは脚に力を溜め始め、次の突進の準備を始めている。


 そして再び、イノシシは凄まじい速度で突進してきた。



「せいっ!!!!」



 そんなイノシシの額に向けて、俺は力を込めて正拳突きを放ってやる。

 正拳突きなんて見よう見まねで、今まで使ったことなんてなかったが――



 ドゴォオオォォオォンッ!!!!!!


「ギュピぃっ!?」



 クリーンヒットした豪快な音と、イノシシからこぼれた無様な声が耳を裂く。

 イノシシは大きな躰を二度三度回転させて、宙を舞い、その躰をひときわ太い巨木に叩き付けた。

 可哀そうなことに、イノシシを受け止めた巨木も、無残に折れてしまった。


 ……この身体、思った以上に攻撃力が強いようだ。

 余裕で勝てそうだとは思っていたが、まさかこんなに楽に勝てるだなんて。


 俺は感動して、イノシシを倒した右の拳をまじまじと見つめていた。


 昔の俺の拳とは全然違う、力に満ちたごつい拳……。

 ……何だか凄いものを手に入れてしまったな……。



「あ、あのぅ……」


 俺の後ろから、先ほどの女性の声が聞こえてきた。

 彼女を襲っていたイノシシは、既に俺の前で失神している。


 ……いや、死んだのか?

 どちらにしても、一旦は安全になったことだろう。


「ああ、安心しろ。イノシシは倒したからな」


「は、はいっ!

 助けて頂きまして、ありがとうございます!」



 俺はゆっくりと振り返った。

 改めて見てみると、彼女は……やはり、エルフのようだった。

 ……とはいっても、耳しか判断基準が無いわけだが。


 長い茶髪が美しく、陽だまりの光を受けて煌めいている。

 クールな美少女……というよりは、親しみやすい少女といったところか。


「怪我は無いか?

 こんなところで、災難だったな」


「あはは……まったくで……。

 ……あの、私はフィリアっていいます。

 あなたのお名前、教えてもらえませんか?」


「名前?

 えぇっと――」



 ……名前。

 俺の名前か……。


 さて、どうする?

 俺の元の名前は『朝比奈(あさひな)(はるか)』だけど、この身体にしては名前負けをしているからな……。

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