90. 嫌な予感しかしない
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一旦ゲームからログアウトした雫は、さっそく昼食の準備に取り掛かる。
とりあえず鮭の切り身がまだあるから、今回もフライパンで焼くことにした。
とはいえ朝昼連続で、ただの焼き鮭として食べるのも芸がない。
なので今度は焼いた後の切り身を解して、刻み海苔や煎り胡麻と一緒に、茶碗によそったご飯の上に盛りつけることにした。
その上から、粉末の鰹だしをお湯で溶いたものを掛ける。
これだけで『鮭茶漬け』の出来上がり。
……まあ、お茶漬けと言いつつ『お茶』は一切使っていないんだけどね。
お茶よりも鰹だしをベースに作るほうが、好みの味わいになるから仕方ない。
(こっちを朝食にすべきだったかもなあ……)
そう思いながら、雫は2品目の調理に取り掛かる。
朝食ならお茶漬けだけで十分なんだけど。昼食となると、お茶漬け一品だけではちょっと寂しいからだ。
まずは、予め用意しておいた生地をフライパンの中に流し込む。
この生地は小麦粉を豆乳でよく溶いて、塩を加えただけの単純なもの。
生地に火を通しながら、その上にチーズと細かく刻んだベーコンを円を描くように散りばめる。
あとは真ん中に卵を落とせば、これだけで大体もうできあがり。
程良く焼き上がったあたりで、四方から生地を少しずつ折り込む。
最後に塩と胡椒を振り掛けて『ガレット』の出来上がり。
……まあ、ガレットと言いつつ『そば粉』は一切使用していないんだけれど。
こちらも小麦粉ベースで作った方が好きなので仕方ない。
そもそも一人暮らしの人間はなかなか、そば粉の常備なんてしないしね。
あとはいつも通り、サラダストックを1食分取り分ける。
スープは……今回はいいや。お茶漬けがあるからね。
「いただきます」
食事を摂りながらスマホを確認すると、両親からメールが来ていた。
夏休みの間、長らくマンションの部屋を空けることになりそうだから、こういう時にどうするのが良いのか、メールで両親に訊ねていたのだ。
父親が言うには、長期間部屋を空ける場合は予め大家さんか管理会社にその旨を告げておき、一旦鍵を預けるのが適切なのだとか。
そういうものなのか、と雫は納得する。
いま雫が住んでいるマンションは、幸いなことに管理会社の店舗が目と鼻の先にあったりするので、鍵を預けるぐらいなら大して手間もない。
年中無休だから帰ってきた時もすぐに鍵を返して貰えるしね。
『高校時代の夏休みを全力で楽しみなさい。勉強なんて二の次でいいから』
父親がメールの末尾に書いていた、その一文を見て。
それを父親が勧めるのはどうなんだろうなー、と思わず雫は苦笑する。
雫の父母はあまり勉強を重視しない。2人とも手に職をつけた上で働いているから、学歴というものに拘りが無いんだろう。
まあ、雫としては勉強を疎かにするつもりは無いんだけれど。
とはいえ父親の言う通り、今年の夏休みは全力で日々を楽しんでみたいなとは、雫も思っている。
食後に軽くストレッチをして身体を解してから、シズは再び『プレアリス・オンライン』の世界へと戻る。
ログインした場所は錬金術師ギルドの正面。時刻を確認すると、12時40分を少し回ったところだった。
まだユーリ達3人は誰もログインしていない。
彼女達は家族と一緒に昼食を摂るから、シズよりも時間が掛かるんだろう。
とりあえず都市の中央広場に移動して、噴水の縁に腰掛けながら、昨日から今日に掛けて届いている分のゲーム内のメールをチェックする。
今でもメールを介した霊薬の受注販売を行っているので、それ関連のメールが毎日50通ぐらいは届くからだ。
一通りのメールを確認して、メモ帳に受注した霊薬の内容を記録していく。
ちなみに『メモ帳』はゲーム内機能として付属しているもので、意志操作だけで任意の文章を記録しておくことができるから、地味に便利だ。
(……ん?)
メールを確認していると。届いているメールの中に1つだけ、霊薬の注文とは関係が無いものが混じっていることにシズは気付く。
送信者名の欄には『ラギ』と書かれていた。
+----+
【送信者名】ラギ
【件名】特殊職について
- - -
今日から手に入る『プレアリス・オンライン』の特殊職には、
開発スタッフが悪ノリして作ったような職業が幾つもあるんだ。
もちろん、その中には私が好き勝手に設定したものもある。
どの特殊職がどのプレイヤーに割り当てられるのか、
それはゲームを運営する管理AIが決めるんだけれど。
私が用意した特殊職の1つが、きっとシズに与えられるだろうと
個人的に期待していたりするよ。とても楽しみだ。
+----+
(………………)
何と言うか、もう。読むだけで嫌な予感しかしないメールだった。
っていうか、スタッフの悪ノリって何だ。
それで良いのか『プレアリス・オンライン』……。
(見なかったことにしよう……)
とりあえず、シズはラギからのメールを黙殺する。
AIが自動的に決定するなら、ラギの期待するような特殊職がシズに割り当てられない可能性だって、充分にある筈だし。
もし何か、あからさまに酷い特殊職が選ばれたなら、取り消せば良いのだ。
その場合はまた『100時間』が経過した後に、再抽選されるだけだしね
「とりあえず、もう『配信』は開始しちゃおうかな」
特殊職のことはともかくとして。
ラギから頼まれているゲームの配信を、今のうちにシズは開始する。
高価な機材を貰ってしまった恩は、なるべく返しておきたいよね。
《おかえり!》
《お帰りなさいませ、お姉さま!》
《午後配信キマシタワー!》
「ただいまー。また午後もよろしくね」
噴水の付近には人通りがそれなりにあるので、視聴者にだけ聞こえる小さな声でシズはそう語りかける。
視聴者と小声で雑談を交わしつつ、メールで霊薬を注文してくれた人達に受注した旨のメールを返していると。
程なくユーリ達がログインしてきたので、パーティチャットで連絡を取り、天擁神殿の前で待ち合わせることにした。
神殿は噴水のすぐ近くなので、最初に到着したのはもちろんシズだ。
2分ほど待っていると、まずユーリがやってきた。
「おはようございます、シズお姉さま」
「うん、おはようユーリ」
挨拶をすると同時に、シズは彼女の頬にそっと唇をつける。
ユーリのほうからも同じように、シズの頬にキスをすることで応えてくれた。
《おお……》
《昼からええもん見ました……》
《ありがとうございます、ありがとうございます》
《お陰で持病の腰痛が治りました!》
《ここだけの話、百合キスは万病に効くよ》
《まだガンには効かないが、そのうち効くようになる》
「何言ってんの、君ら……」
妖精が読み上げるコメントに、思わずシズは苦笑してしまう。
また、続けてやってきたイズミと、プラムの頬にも同じように唇をつけた。
もちろん2人とも、ユーリと同じようにキスを返すことで応えてくれる。
イズミはまだ慣れないのか、随分と恥ずかしそうな様子だったけれど。それでもぎこちない唇遣いで、頬にそっとキスをしてくれたのが嬉しかった。
《めっちゃ距離が近づいとるやんけ!》
《完全にキスが当たり前の関係になってますよ⁉》
《ゆうべ何があったんですか⁉ ゆうべ何があったんですか⁉》
「うふふ♡ それは私達とシズお姉さまだけの秘密ですわ♡」
「ええ、こればかりは内緒ですわね♥」
「ぜ、絶対に言えません」
ユーリとプラムは愉快げに微笑みながら、そしてイズミは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、視聴者へ向けてそう答えてみせる。
……まあ昨晩何があったかなんて、絶対に教えるわけにはいかないよね。
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お読み下さりありがとうございました。




