88. 第三の職業
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一夜明けて、7月15日の日曜日。
雫が目を覚ましたのは午前5時頃のことだった。
昨晩はユーリ達がいつもより1時間長く、夜の11時頃まで起きていてくれたので、その時間まで宿の個室で3人とイチャイチャしながら過ごした。
可愛くて愛しい子達に囲まれて、彼女達と深く愛を確かめ合うことができて。
まさに雫にとって、昨晩は人生最良の一夜だったと言えるだろう。
あまりに幸せだったものだから。昨晩はゲームからログアウトして、部屋にひとりきりになった瞬間に、随分と寂しく感じられたものだけれど。
もうすぐやってくる夏休みには、ゲームの中だけでなく現実のほうでもユーリ達と一緒に過ごすことができそうだから、今からとても楽しみだ。
(とりあえず、今日も軽く走ってこようかな)
夏場でも早朝なら涼しくて走りやすいから、今日みたいに早起きした日には軽く身体を動かしたくなる。
いつも通り洗口液で口の中を濯ぎ、髪を軽く整えて。
ついでに炊飯器のセットも済ませてから、ジャージに着替えて家の外へと出た。
近所を軽く走って、身体を温める。
この時間は人通りも車通りも少ないから、早朝の涼しさも相俟ってとても走りやすい。
昨晩ユーリ達と沢山愛し合ったことで、ちょっと頭の中がピンク色になっていた部分もあったから。運動が頭のリフレッシュにもなって、丁度よかった。
軽く汗をかいてきた辺りで自宅へ戻るルートを取り、帰宅後に温めのシャワーで汗を流す。
ご飯がちゃんと炊けていたので、朝食用に冷蔵庫から鮭の切り身を取り出す。
スーパーで売られている切り身の生鮭は、予め骨を除いてあることが多いので、焼くだけで手間いらずだからとても便利だ。
鮭の表面に浮いている水気を拭ってから塩を振り、薄く油を引いた小さめのフライパンに投入して、まずは中火で両面に焼き色を付ける。
そのあとは火を弱め、蓋をしてじっくり5~6分ほど掛けて充分に熱を通す。
その間にサラダストックとスープを用意。
スープにはもちろん味噌汁を選択。折角『鮭の塩焼き』なんていう、いかにも日本人らしい朝食を食べるのだから、もうこれは決まりのようなものだろう。
サラダストックを1食分取り分け、茶碗にご飯もよそう。
あとは皿に鮭を盛りつければ出来上がりだ。
(うん、美味しい)
軽く運動した後の身体には、鮭の塩加減がとても美味しく感じられる。
逆に味噌汁は、もう少し塩辛くても良いのにと思えてしまうけれど。
10分ぐらいでさっくり食べて、洗い物を済ませる。
フライパンで焼けば、グリルを使うのと違って後処理が楽なのが良い。
それから、ゆっくりお茶を1杯だけ飲んでから。雫は今日も『プレアリス・オンライン』の世界へとログインした。
ログインした先は、ふかふかのベッドの上。
昨日から泊まっている高級宿の寝室だ。前回泊まった時と同じように、すぐ隣にはまだ眠っているユーリとプラム、イズミの3人の姿があった。
このゲームでは基本的に、ログアウトした時点でキャラクターの身体はゲーム内世界から消滅するのだけれど。宿屋でログアウトした時だけは、こんな風に身体がゲーム内に残ったままになる。
3人を起こさないように気をつけながら、シズはこっそりベッドを出る。
もちろんゲームにログインしない限り、彼女達が目を覚ますことはないんだろうけれど。これは気持ちの問題のようなもの。
ついでに一糸纏わない姿の彼女達の身体に、しっかり布団を被せておく。
たぶん風邪を引くことも無いんだろうけれど、これもまた気持ちの問題だ。
(チェックアウトする前に、ちょっと入っていこうかな)
まだ眠っている彼女達だけでなく、シズも裸だ。
これなら脱ぐ手間がなくていい―――と、そう思いながら。シズは室外に出て、東屋の下にある露天風呂に軽く入っていくことにした。
一人暮らしをしていると、どうしても普段お風呂にわざわざ湯を張る機会は少なくなってしまうから。お風呂に入れる機会が恋しくなってしまうのだ。
「はぁーっ……」
熱い湯に身体を浸すと、それだけで自然と深い溜息が零れ出る。
24時間いつでも入れるお風呂というのはやっぱり良い。こうして早朝から露天風呂を楽しむというのも、なかなか幸せな贅沢だ。
この宿に泊まった際には、なるべく朝風呂も楽しむようにしたいところだ。
「おはようございます、シズ姉様」
「―――おわっ⁉」
ひとりきりの贅沢な風呂を楽しんでいると、不意に背後から声が掛けられてシズは驚かされる。
振り向くと、そこには裸のイズミが立っていた。
「お、おはよう。イズミはもう起きたんだ、早いね?」
「早朝に家族と稽古をしていますので、私は結構朝が早めなんです」
掛け湯をしてから、イズミがシズの隣に腰掛ける。
湯に身体を浸すと同時に、彼女の口からも「ふわぁ……」と溜息が零れていた。
「前回は私が起きた時にはもう、シズ姉様はチェックアウトされていましたから。今回はこうしてお風呂を一緒にできて、とても嬉しいです」
「あー……。前回は私、すごく早く起きたからねえ……」
「ところで、シズ姉様。もうログウィンドウは確認されましたか?」
「ログウィンドウ?」
イズミからそう言われて、慌ててシズが視界の隅に常時表示させているログウィンドウを確認してみると。
確かに、普段見慣れない情報がそこには記載されていた。
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▲『特殊職』が解禁されました。
累計プレイ時間が『100時間』を超えているプレイヤーは、
天擁神殿の神像に祈ることで、3つ目の職業を獲得できます。
+----+
シズは『特殊職』というものに、少しだけ聞き覚えがあった。
キャラクターを作成した際にサポートをしてくれたNPCのユトラが、そんな単語を話していたのを覚えていたからだ。
確か彼女は特殊職のことを『ゲームをプレイしている途中で手に入る』ものだと言っていたように思う。
「イズミは特殊職って何か知ってる?」
「はい。ユーリが学校に持ってきた『プレアリス・オンライン』の特集を掲載していた雑誌に書かれていたので、ある程度は把握しています」
「おお、ちゃんとチェックしてるんだね。良かったら特殊職について、知っていることを教えて貰ってもいい?」
それからシズは、湯を楽しむ傍らにイズミから特殊職について教わる。
彼女の話によると特殊職というのは、戦闘職と生産職に次いで得られる3つ目の職業で、ゲームの累計プレイ時間が『100時間』以上のプレイヤーが一定人数に達した時点で解禁される要素らしい。
この特殊職は戦闘職や生産職とは違い、プレイヤーが好きな職業を選択することができる―――というものでは無いらしい。
プレイヤーがこれまでにゲーム内で過ごしてきた内容に応じて、自動的に決定される職業なのだそうだ。
一応、選ばれた特殊職が気に入らなければ、取り消しも可能らしい。
その場合には更にゲームを『100時間』プレイしたあと、再び『特殊職』を得ることができるんだとか。
「へー。これまでの活動内容で勝手に決まるっていうのは、ちょっと面白そう」
「そうですね、どういう職業が自分に割り当てられるのか、私も興味があります。早速このあと天擁神殿へ行って、特殊職を貰ってみますか?」
「んー……。折角だし、職業を貰うのはユーリ達もログインしてきた後にしない? みんなで天擁神殿へ行って、一緒に貰ってみようよ」
どうせなら、どんな職業が得られるのかを全員で一緒に楽しみたい。
そう思ってシズが提案すると。イズミも「それもそうですね」と、すぐに同意してくれた。
「ところでシズ姉様には、どういう『特殊職』が選ばれると思いますか?」
「私に? うーん、そうだなあ……」
結構この世界で様々なことを行い、全力で『プレアリス・オンライン』を楽しんでいるシズだけれど。
ゲーム内で一番やっていることと言えば……やっぱり霊薬の調合になるだろう。
だから活動内容から自動的に決まるのなら、何か錬金術関係の職業になりそうな気がする―――と。シズがそう回答すると、イズミは「なるほど」と頷いた。
「特殊職『社畜』とかが選ばれないといいですね?」
「そんな特殊職が選ばれたら、ノータイムで取り消すよ……」
「あはっ」
シズの回答に、イズミが楽しそうに笑ってみせる。
……実際『配信』を視聴している人からは、『社畜』だとか『ブラック労働者』だとか、散々に言われることがよくあるだけに。
絶対に無いとも言い切れないんじゃないか―――と、シズは一抹の不安を覚えるのだった。
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