80. 王城探訪(後)
「おー。思ってたよりだいぶ広い……」
王城の敷地は、シズが想像していたよりもずっと広大だった。
てっきりシズは敷地の中に、王城がひとつあるだけだと思っていたのだけれど。実際には王城以外にも結構な数の建物があることが、入ってみるとよく判る。
倉庫っぽい建物や兵舎っぽい建物、貴族の邸宅らしき立派な建物や、離宮を思わせる豪華な建物など―――その種類も実に様々だ。まるでちょっとした規模の街が敷地内に存在するかのようにも感じられた。
街中と一番違うのは、歩いている人達の大半が武装していることかな。
半数以上が金属製の胸当てを身に付けており、中には頭を護るヘルメットのようなものまで身につけている人もいる。また防具を身につけていない人でも、腰には帯剣している場合が殆どだった。
(門衛の人は『詳しくは文官を捕まえて訊けばいい』って言ってたけど……)
正直―――シズが予想していた以上に、誰も彼もが武装しているものだから。
シズの目からは、一体どの人達が『文官』なのか、判別が付かなくて困る。
胸当てを身に付けている人は、流石に違うかな?
きっちり防具を身につける必要があるのは、国防に直接携わる兵士や騎士の人達ぐらいだろう。官吏の人達に防具着用の必要があるとは思えない。
でも……防具を身につけていない人でも、ほぼ全員が帯剣しているから。
ここでは文官の人も、武器だけは身につける必要があるのかな。
「……みんなはどの人が文官なのか、見分けが付く?」
視聴者にだけ届く小さな声で、シズはそう問いかけてみる。
《いやもう、全っ然判らない》
《鎧を着けてる人が違うことぐらいしか判らん》
《なんとなく痩せてそうな人、とか?》
《とりあえず筋肉が付いてる人は違うだろうね》
「なるほど」
確かに、明らかに鍛えられている体つきの人は、何となく違いそうな気がする。
でも、それぐらいしか参考にできる要素が無いというのでは、なかなか……。
《さっき腰に剣じゃなくて、杖を下げている人が居たから。そういう人なら文官の可能性が高いんじゃない?》
「―――え、そんな人居た?」
僅かに驚かされながら、シズは視聴者にそう問いかける。
少なくともシズは、そんな人が居たとは全く気付いていなかった。
《居た居た》
《ここまでの道中で2人は見たかな》
《ただの魔術師じゃないの?》
《魔術師なら[知恵]が高いからなあ。頭良い人は文官も兼ねてるかも》
《能力値の[知恵]って、実際の頭の良さにも反映するのかね?》
「ふむふむ……」
能力値が頭の良さに繋がるか否かはともかくとして。剣を下げている人よりは、杖の人のほうが『文官』である可能性は高いかもしれない。
それなら試しに話しかけてみるなら、杖の人のほうが良いだろう。
「お」
シズが内心でそう思っていると。ちょうど都合の良いことに、シズが向いている方向から、腰に杖を下げた人物が1人歩いて来ていた。
40歳付近の年齢に見える、立派な髭を蓄えたダンディな男性だ。
文官―――というよりは、文官を纏めるリーダー役でも努めていそうな雰囲気の男性だけれど。別にそういう人に訊ねるのも、駄目ではないだろう。
「あの、すみません。ちょっと良いですか?」
「―――おや、天使のように可愛らしいお嬢さんだ。こんなおじさんに何か用でもあるのかね?」
ダンディな男性が立ち止まり、笑顔でシズにそう応える。
天使のようなのは『可愛さ』ではなく、単に頭上に浮いている輪っかと、背中にある羽だけなのでは? ―――と内心で疑問に思いながらも。
とりあえずシズは笑顔を浮かべながら、男性に用向きを告げた。
「魔物の襲撃と霊薬の納品について話を伺いたくて、王城を訪ねたのですが」
「ふむ、私の口からでも説明はできるが……。その件についてなら、私よりも文官に訊ねた方が良いのではないかな」
……どうやら、この男性は文官では無かったようだ。
筋違いの質問をされたのに、男性がそれに全く気を悪くしていない様子なのが、シズにはとても有難かった。
「それが、私には一体どの人が文官なのか、見分けが付かなくて……」
シズがそう告げると。男性は一瞬だけ、小さく驚いたような表情をしてみせて。
それから―――相好を崩して、その場で声を上げて笑ってみせた。
「……ふ、はははっ! いや―――失礼。笑ってしまって申し訳無い。普段王城に縁が無ければ、それも無理からぬことだな。
文官かどうかは、身に付けている服を見てみれば判る。袖口が『紫』か『青』の色をしているようなら、その者が文官だね。ちなみに紫は王城勤務の文官で、青だと普段はこことは別の小都市や村落で働いている文官になる」
言われてみると―――袖口に紫や青の色が付いている人が、シズから見える範囲にも結構な数居るようだった。
まさかこれが文官の印だとは、全然気付いていなかった……。
ちなみに文官の人達も、やっぱり普通に帯剣はしているようだ。
「そうだったんですね……。すみません、全然知りませんでした」
「いやいや、無理もない。王城勤めの者にとっては常識も常識なのだが、無関係な人にとっては知る由もないことだからな。
……ところで、お嬢さんはこの都市の住人かね? それとも付近の村落かな?」
「あ、私は―――」
問いかけられて、シズは一瞬返答に詰まる。
自分のことを『住人』と言っていいのか、判らなかったからだ。
「えっと、私は『天擁』なので、住人を名乗って良いものかどうか……」
「おっと、そうだったのかね。では王城のことについてお嬢さんが知らないのは、猶更無理もないことだ。普段こんな所に用も無いだろうからなあ」
そう告げてから、男性はくつくつと、楽しげにまた笑ってみせる。
「ふふ、何度も笑ってしまって済まないな。お詫びとしては何だが、文官に訊ねるまでもなく、お嬢さんが必要とする情報は私が代わりに説明して差し上げよう。
魔物の襲撃と霊薬の納品についてだったね?」
「はい。どこが魔物の襲撃を受けるのかは、もう判っているんですよね?」
「うむ、既に判明している。なにしろ、魔物の軍勢―――『魔軍』が狙いを定めている村落の近辺は、出没する魔物が通常よりも強力な個体に変化することが、よく知られているからね。判別がとても容易なんだ。
魔軍の襲撃を受けるのは『ソレット村』という村落だ。ご存じかな?」
男性の言葉を聞いて、シズは大いに驚かされた。
そもそもファトランド王国内でシズが知っている村落の名前は、たった2つしか無いわけで。まさかその内の片方が襲撃予定先だとは……。
「ミーロ村の西にある村落ですよね?」
「おや、ご存じだったかね。この森都アクラスから比較的近いとはいえ、目立った産業が無いし人口も少なく、知名度のある村落ではないのだが」
シズが場所を把握していたことに、男性は結構驚いた様子だった。
「こう言っては何だが―――ソレット村はミーロとしか繋がっておらず、交易路上では袋小路に位置する村だ。なので強力な魔物が出るようになっても交易の断絶が起きないという点では、まだ良かったと思っているよ」
「な、なるほど……」
確かに、もし魔軍の襲撃予定先がミーロ村だったなら、大変だっただろう。
強力な魔物が湧くようになれば、その村落の近辺を荷馬車は通行できなくなる。森都アクラスから南方へ繋がる交易路は、一気に繋がりを断たれるようなものだ。
この世界では『大都市』に農地が作られることは無いので、森都アクラスの住人が消費する食料は、全て衛星村落からの運搬によって支えられている。
だから南方からの食料が途絶えるだけでも、森都アクラスに流通する食料は目に見えて減るだろうし、価格の高騰にも繋がるかもしれないのだ。
そういう面を考えると……。ソレット村でまだ良かったというのは、当事村落に住まう人達には申し訳無いけれど、理解できるものがある。
「無論、だからといって看過できるものではない。ソレット村を護るべく、国としても十分な対策を行う手筈になっているがね。
さて―――次は『霊薬の納品』についてだったね。これを訊ねるということは、もしや君は〔錬金術師〕なのかな?」
「あ、はい。そうです」
「ほほう。ところで―――最近になって、背中に白い双翼を持ち、頭上に天使の輪を浮かべた『シズ』という名の〔錬金術師〕の少女が、この都市の錬金術師ギルドに沢山の霊薬を納品してくれているという噂を聞いたことがあるのだが?」
にやにやと、笑みを湛えながらそう問いかけてくる男性。
まさか相手の口から自分の名前が出てくるとは、想像もしていなかったものだから。思わずシズは頭の中が真っ白になった。
《めっちゃ把握されてるwww》
《よっ、有名人!ww》
《天使だもんね! 目立つよね! 噂になるよね!》
《おう蒙昧な民に霊薬を授ける、いと高き天使ちゃんさまだぞ。ひれ伏すが良い》
《社畜活動が報われて良かったね! 天使ちゃん!》
―――妖精が読み上げるコメントの数々については、意図的に無視する。
どうせ目の前にいる男性には、妖精の声は聞こえていないのだし。
「あー……。わ、私のこと……かも……しれません?」
「ふふふ、そうかねそうかね。立派なことだ。私も末端とはいえ国家に関わる者として、日頃より国に貢献してくれている職人には感謝を申し上げねばならんな」
そう告げて男性は、再びくつくつと笑ってみせた。
『穴があったら入りたい』とは、たぶん今のシズの気持ちを指す言葉だろう。
「……もう何でも結構ですので、霊薬を納品できる所に案内して貰えませんか?」
「おや、お嬢さんをご不快にさせてしまったかな。……すまないね。歳を取ると、どうしても若い女性をからかわずにはいられなくてね。
この通り謝罪させて貰うよ。―――失礼なことを言って申し訳無い」
男性が深々と頭を下げて、シズに向けて陳謝する。
自分のような小娘に、まさかこんなにしっかり頭を下げてくるとは思わなかったものだから。シズは随分驚かされると共に、内心で酷く狼狽させられた。
「い、いえ。謝って頂くほどのことでは……。こちらこそ、すみませんでした」
「お嬢さんに非は一片も無いよ。さて、それでは案内させて貰おう。霊薬に限った話でも無いが、大抵の『納品』は倉庫で受け付けている。
―――城の倉庫はこちらだ、案内しよう」
ダンディな男性に案内されながら、シズは王城の敷地内を並んで歩く。
この場所について何も知らないシズに、道中で男性が「右手にあるのが『アスハンベル伯爵』の邸宅だ」とか、「その隣にあるのが軍務卿である『ワンズ侯爵』の邸宅だ」とか逐一説明してくれるものだから、色々と学べて面白かった。
どうやら王城の敷地は『貴族街』としての側面を持つらしい。
貴族の邸宅の多くは、森都アクラスの市街にではなく、この王城の敷地内に建てられているようだ。
「正面に2つ大きな建物があるのが判るだろう? あれは右側が『騎士宿舎』で、左側が『軍需品倉庫』になる」
「霊薬の納品は、後者の倉庫で受け付けているわけですね?」
「その通りだ。緑色の屋根の大きな建物が『軍需品倉庫』だと覚えておくといい。この条件に該当する建物は、おそらく他に無かった筈だ」
こういう情報を教えて貰えると、次から1人でも問題無く納品に来られそうだ。
シズが「ありがとうございます」とお礼を口にすると、男性は嬉しそうに笑って応えてみせた。
軍需品倉庫の建物に入りると、中で袖口が『紫』の人達が何人か働いていた。
この人達が、軍需品の管理をしている文官の人達なんだろう。
「君、ちょっと良いかね」
「―――これは、フォーラッド魔術卿。倉庫に何か御用ですか?」
ダンディな男性に話しかけられて、文官の女性がそう問いかける。
その言葉を聞いて―――思わずシズはぎょっと目を剥いた。
流石に『卿』という言葉が何を意味するかは、シズにも理解できたからだ。
《このダンディなおじさま、貴族やったんか……》
《確かに、この『イケおじ』っぷりは平民のそれではない》
《適当に話しかけて貴族を引き当てるとは、天使ちゃんは流石やね》
シズと同様に、視聴者もまた驚いているようだ。
……改めて見直してみると、男性が着ている衣服もかなり上等な品に思える。
「大変有難いことに、このお嬢さんがわざわざ霊薬の提供に来て下さったらしい。しかも彼女は何と、巷で噂の『天使の錬金術師』に相違ないようだ」
「まあ! お噂はかねがね伺っております。私は文官のエルチェースと申します。天使のお嬢様の名前を伺っても?」
「し、シズと言います。よろしくお願いします」
綺麗な女性から微笑まれて、少し照れながらシズはそう返事をする。
同性愛者のシズとしては、ダンディなおじさまを見ても『格好良いなー』程度にしか思わないわけだけれど。綺麗な女性から話しかけられると、心にときめくものがあるのだ。
「ふふ、噂に聞いている『天使の錬金術師』の名に相違ありませんね。霊薬をご提供頂けるとのことですが、本日はどのぐらい納品して頂けるのでしょう?」
「えっと、とりあえず200本ぐらいで考えていますが」
シズがそう告げると。文官の女性とダンディな男性が揃って、判りやすいぐらいに驚いた表情を浮かべてみせた。
「……流石だな。その数を用意できる〔錬金術師〕など、そうはおるまい」
「こ、これは驚きました。シズ様のご協力に感謝致します!」
どうやらシズが告げた個数は、彼らの予想よりも多かったようだ。
シズからすると『200個』という数は、それほど大したものではない。
何しろシズは一度に20個×2ライン体制で霊薬を生産することができるのだ。
200個という数を作るのにも、生産5セット分―――時間にして20分ぐらいしか掛からない。
「……ただ、その。霊薬は市場よりもだいぶ安めの金額で買い取らせて頂くことになると思いますが、それでも構いませんでしょうか?」
「え? お金って頂けるんですか?」
文官の女性が問いかけた言葉に、シズもまた訊ね返す。
納品と言うぐらいだから、てっきり無償で譲渡するものだと思っていた。
「もちろんお支払いしますよ! 安くはなりますが……」
「少しでも払って頂けるなら、もっと出すこともできますが」
―――シズがそう告げると。
文官の女性とダンディな男性が、再び2人揃って驚きを露わにしてみせた。
「ま、まだ出せるのかね。ちなみに幾つぐらいまでなら出せるのかな?」
「そうですね……。ベリーポーションなら800個ぐらい、メランポーションなら1000個ぐらいでしょうか」
2人が揃って、三度目を剥いた。
流石に三度も同じ反応を示されれば、もうシズのほうに驚きはない。
ユーリ達と一緒に都市の外に出ている時は、ずっと錬金特性を注入せずに霊薬を調合しているから。特性なしで良ければわりと在庫は潤沢にあるんだよね。
特にメランポーションは自然劣化しないため、インベントリに収納しておいても問題ないこともあり、結構貯め込んでしまっている。
「さ、流石は『天使の錬金術師』殿ですね……。ベリーポーションはいま納品して頂きましても、必要となる時までにだいぶ劣化してしまいますから。できればメランポーションを納品して頂けるほうが有難いです」
「なるほど、それもそうですね」
ベリーポーションは毎日、品質値が『2』ずつ自然劣化する。
今日は7月14日で、魔軍がソレット村に侵攻するのが7月28日と29日。
間に14日も空くことになるので、今ベリーポーションを納品しても、それらの品質値は『28』も減ってしまうことになる。
品質値が減ればそのぶん回復量も落ちるわけだから、これを先方が嫌うのは当然のことだ。
「じゃあ、メランポーションを1000本提供します。お幾ら頂けますか?」
「―――代金は物品で払っても構わないかね?」
文官の女性に向けてシズが訊ねた言葉に、なぜかダンディな男性の側がそう問い返してきた。
その言葉を受けて、シズは少し考える。
正直、お金はメンバーショップの売上だけでも、ちょっとヤバいぐらいの金額を稼いでいるし。しかも今朝は掃討者ギルドで鍍金の傍らに霊薬を販売して、そちらでも結構な額を稼いだばかりだ。
それを思うと、別に報酬が物品で支払われても、全く構わないように思えた。
……とはいえ、要らない物を押しつけられても困るけれど。
「えっと。私に取って必要無いものでなければ、構いません」
「ではメランポーション1000本の対価として、この杖ではどうかね? 市場で買ってみたは良いものの、持て余していてね。貰ってくれると嬉しいのだが」
「……杖、ですか?」
〔操具師〕であるシズは、魔術や魔法の類を一切使えない。
だから杖を渡されても、正直困るだけのような気がするのだけれど―――。
「アイテムの詳細を拝見しても?」
「無論だとも」
ダンディな男性の許可を得た上で、シズはその物品の詳細を視てみる。
+----+
[X]狂気に惑う三精霊の杖/品質[120]
物理攻撃値:2
装備に必要な[筋力]:0
- 装備者の魔法威力が15%増加
- 【炎上弾】【凍結矢】【雷撃】の精霊魔法が使用可能
先端にある魔石の中に、火・氷・雷の3精霊を閉じ込めた杖。
ただし精霊が正気を失い、この杖は現在【呪われて】いる。
装備者は3種類の精霊魔法を自由に行使可能になるが、
呪いの効果により魔法は敵だけでなく装備者も攻撃する。
+----+
「わーお……」
驚きのあまり、無意識にシズの口から小さな声が漏れ出てしまった。
まさか『呪われた杖』を報酬として提示されるとは……。
「頭上に『天使の輪』が浮かんでいるということは、君は『白耀族』だろう?」
「あ、はい。そうです」
「ならば私には使いこなせないこの杖も、お嬢さんなら使いこなせると思ってね」
「―――なるほど」
男性の言葉を聞いて、シズは得心する。
『白耀族』には『呪いを完全に無効化する』という部族特性がある。
だからマイナス効果のある『呪われた装備品』を、ノーペナルティで装備することができる―――と。そんな話をシズがキャラクターを作成した際に、サポートをしてくれたNPCのユトラが説明してくれていたのを、今更ながら思い出した。
―――もちろんシズは、ダンディな男性の提案を快諾する。
こんなに面白そうな提案を断るなんて、絶対に勿体ないと思ったからだ。
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いつからか判りませんが、総合月間の200位以内に入っていてびっくりしました。
偏にご支援下さいます皆様のお陰です。いつも本当にありがとうございます。




