51. 異世界のお風呂(後)
「おお……!」
館内右手奥にある6号室の前へ到着し、カウンターで受け取った鍵でドアを開けたユーリを先頭に、皆で一斉に部屋の中へ入ると。
そこにはとても綺麗で広々とした、落ち着いた空間が広がっていた。
玄関が無いみたいで、入ってすぐの場所がリビングになっている。靴は脱がず、そのまま入室すべき場所なんだろう。
一通り6号室を探索してみたところ、中には全部で4つの部屋があった。
入ってすぐの場所が、背の高いテーブルや椅子が設置されたリビング。壁際にちょっとしたキッチン設備も付いていて、飲食にも向いてそうな部屋だ。
またその先にも、もう1つリビングらしき部屋があって、こちらは中央に設置された座卓を取り囲むように、大きなソファが幾つも並べられた空間になっている。
先の部屋が『食堂』の用途に向いたリビングなら、こちらは『くつろぐ』ことに特化されたリビングだと言えそうだ。
また、それ以外の2部屋は共に寝室のようで、それぞれの部屋にセミダブルサイズのベッドが2台ずつ設置されていた。
どの部屋も内壁は落ち着いた色合いに調整された漆喰で綺麗に塗装されており、床の全面にふかふかの絨毯が敷き詰められている。
室内装飾品の類は殆ど置かれていないようで、華美な印象を受ける部屋ではないけれど。それが逆に、各部屋に1つずつ置かれた花器の存在感を高めていて、優美で上品な雰囲気の空間に仕上がっていた。
「高価なだけあって、いい部屋だね!」
こんなに上等な部屋に泊まるのは、現実を含めても初体験なものだから。
思わずシズは、感動に声を上げてしまう。
《ゲーム内でこんな贅沢なとこ泊まれるのか》
《めっちゃ広いやん》
《俺ん家の10倍ぐらい広さあるわ》
もちろん視聴者からの反応も、すこぶる良いものだった―――のだけれど。
「そうですか? こんなものでは無いでしょうか」
「まあ、普通ですわね」
「和室があると嬉しかったのですが」
その一方で、ユーリ達3人の反応はいまいちのようだった。
うん、これまでも何となく察してたけれど。たぶん……3人とも凄くお金持ちな家のお嬢様なんじゃないかなって、そう思うんだよね。
こんなに広い所に泊まれるっていうのは、庶民のシズからすると非常に嬉しいものがあるんだけれど。
ユーリ達3人はたぶん、この部屋を『広い』とさえ思っていないような……。
……うん、深く考えるのはやめよう。
何にしても、ゲーム内で稼いだお金だけでこんなに素敵な場所に泊まれるというのは、もの凄く嬉しいことだ。庶民感覚バンザイ。
「―――あれ? お風呂があるって話じゃなかったっけ?」
室内のどこにも風呂場が見当たらなくて、シズはユーリに問いかける。
するとユーリは、くすっと楽しげに笑ってみせた。
「うふふ、シズお姉さま。ぜひ外をご覧くださいませ」
「外?」
ユーリに促されて窓の外を見やると。
そこには、ちょっとした大きさの東屋のようなものが建っていて。屋根で覆われた空間の中に、自然の岩石を集めて作られたお風呂が作り設けられていた。
「露天風呂!」
「はい。こういうのも素敵ですよね」
残念ながら温泉ではないそうですが、とユーリが続ける。
温泉でないのは少し残念だけれど。露天風呂に入る機会なんて滅多にあるものではないから、シズにとっては非常に嬉しい機会だ。
なお、ちゃんと6号室の庭全体を背の高い垣根で囲ってあるそうなので、隣の部屋や旅館の外から浴場を覗かれる心配は無いそうだ。
「いいね、入りたい! あ、でも食事が先なのかな?」
「いえ、勝手ながら食事については先程、私のほうで辞退しておきました。ゲームの中でしっかりした食事を頂いてしまうと、現実の側で食べられなくなってしまいそうですから」
「ああ……。それもそうだね」
ゲームの中で食事をしても、当然カロリーが摂取されることは無いのだけれど。
充分な量の食事を摂取すると『食べた』という実感だけは得ることができる。
お腹は膨れないけれど、ある種の満足感が得られてしまうわけだ。
この影響で、高いリアリティを伴う仮想世界で充分量の食事を取ってしまうと、それから暫くの間は現実側でも食欲が減退してしまうことが判っている。
なので現実の側で食事を摂る予定があるなら、その1~2時間前からは仮想世界の中でも食事をすることを避けた方が良いらしい。
正直を言って―――ちょっぴり残念だな、という気持ちもある。
この宿で提供される料理は、きっと素敵なものだろうなと思うからだ。
とはいえ既に断っているのなら、今更言っても仕方がない。
それに……今日は探索中に、イズミやプラムのMPを回復させるために結構な量の菓子を既に食べているから。いくら仮想世界とはいえ、これ以上更に食べてしまうのは、本当に良くない気もする。
「食事をしないなら、すぐお風呂に入っちゃう?」
「はい、私は構いませんよ。……ですが、シズお姉さまにひとつお願いが」
「うん? 何かな?」
「申し訳ありませんが、一旦『配信』は終了して頂けませんか?」
《にゃんと……!》
《それを終了するなんてとんでもない!》
《あァァァんまりだァァアァ‼》
《少女同士、個室、露天風呂。何も起きない筈がなく……》
《お願いします見せて下さい! 何でもしますから!》
《この際、音声だけでもいいんです!》
《音さえ聞かせて頂けますなら、あとは心の目で堪能しますわ!》
ユーリの言葉に反応して、妖精が忙しなくコメントを読み上げ始める。
ユーリもプラムもイズミも、3人ともとても可愛いから。お風呂の場面を見たいと求める視聴者の気持ちはまあ、判らないでも無い。
「……あのね、ユーリ。私は結構、視聴してくれてる人達のことが好きなんだ」
「はい、それは存じております」
「でも私は、ユーリのことがそれ以上に大好きだからね。
というわけで―――申し訳無いけれど視聴者さんよりユーリのほうが大事なので、今日の『配信』はここで一旦打ち切ります! またね、みんな!」
《あああああ、ですよねえええ!》
《知ってた》
《まあここで俺らを優先はしないですよねええ!》
《ちくしょおおお! ユーリちゃんとお幸せにいいい!》
意志操作で『配信』をオフにすると、忙しなくコメントを読み上げていた妖精がいなくなり、室内が急に静かになものへと変わる。
それが何だかおかしくて、ユーリ達と4人で少し笑ってしまった。
「うふふ、それではシズお姉さま、お風呂に入りましょうか」
「入ろう入ろう! 脱衣所とかは無いのかな?」
「そういえば、無さそうですね……。着ているものは『インベントリ』に収納するか、もしくはソファの上にでも置いていくとしましょう。
それと収納の中にタオル類が沢山用意されているそうです。こちらは濡れないように、一旦私が『インベントリ』へ収納しておきますね」
「ん、了解」
魔導具の灯りが煌々と照らしている部屋の中で服を脱ぐのは、正直結構恥ずかしかったりもするんだけれど。
たぶん下着を脱いだ瞬間から『謎の光』が機能して、胸や股間などを覆い隠してくれるだろうから。それを思えば、まだ我慢できないことも無かった。
「………………えっ?」
「……? どうされましたか、シズお姉さま?」
「え、えっと……。『謎の光』が、全然機能してないんだけど……?」
金属鎧を脱ぐのに少し手間取ったこともあり、シズが裸になる頃には既にユーリもプラムもイズミも、全ての服を脱いだ状態で待っていてくれたんだけれど。
その3人の身体が、何と言うか―――全部丸見えだった。
『謎の光』が覆い隠してくれるという話は、一体何だったんだろう……?
「うふふ♡ シズお姉さま、その原因はですね」
「原因は……?」
「大体『ラギ』って人のせいです」
「………………ああ、なるほど………………」
ユーリの言葉を聞いて、シズも得心がいく。
シズが使用している『第4世代』の没入型VRヘッドセットは、製品の開発にも携わっている、ラギから送られた物なわけだけれど。
とりわけシズが直接譲られた機材は、ラギの手により『セクハラ行為』の制限を解除するなどといった、様々な手が加えられていると聞いている。
つまり、今シズの視界に『謎の光』が一切表示されないのは。
予めラギの手により、良からぬ改造が施されているからなんだろう。
「シズお姉さまの機材はラギお姉さまの特製品でして、『配信』の最中には通常製品と同様の規制や制限が掛かりますが。逆に『配信』を行っていない時には、あらゆる規制や制限が掛からないようになっています。
胸部などを覆い隠す『謎の光』も表現規制のひとつになりますから、今みたいに『配信』を行っていない時には発生しないわけですね」
「な、なるほど……」
「ちなみに私はもちろん、プラムちゃんやイズミちゃんの機材も、ラギお姉さまの協力により全ての規制と制限が撤廃されています。
つい先程お姉さまに『配信』を終了して頂いたのは、私達の側からだけシズお姉さまの裸が見えてしまうのは、フェアではないと思ったからですね」
「えっ。それは、つまり……」
ユーリとプラム、そしてイズミの3人の視線が、自分の身体に鋭く突き刺さっていることに今更ながら気付いて。
慌てて―――シズは両腕で、自身の胸と股間を覆い隠した。
「うふふ、お姉さま。見られているのはわたくし達も同じことですわ?」
「そうですよ。互いに全て見えるなら、公平だと思いませんか?」
プラムとイズミの2人が、僅かに顔を赤らめながらそう言ってみせる。
彼女達2人も、そしてユーリも、一切身体を隠す素振りはない。
確かに―――この状況でシズひとりだけ恥ずかしがるのは、何か違う気がした。
「……ふ、普通に、色々なものが見えてるんだけど⁉」
「それも『表現規制』の一種ですから♡」
本来ならこのゲームのキャラクターの身体は、謎の光で隠されなくとも、人形に近い感じの簡素な作りにしかなっていない筈で。
例えば女性なら、胸の膨らみはあっても乳首は存在しないし、股間に毛が生えることはなく、そこに性器も無いわけだけれど。
なのに―――いまシズに全て見えてしまっている3人の身体には、女性の身体に備わっているべき全ての特徴が、当然のように存在していた。
「………」
ふと、試しに自身の股間に指で触れてみて。
シズは自分の身体もまた、同じ状態になっていることに気付く。
どうやら『表現規制』が完全に無くなると、ゲーム内の身体は現実のものと何ら変わらなくなるらしい。
「お姉さま。わたくし達の身体を見て、どう思われましたか♥」
「……凄く、えっちだと思いました」
「シズ姉様にも興奮して頂けてますか?」
「……してます。超興奮してます」
なんだかもう、自分の気持ちを適当に隠すことさえ出来なくなって。
プラムとイズミの言葉に、シズは正直なままの本音を吐露する。
シズの返答を聞いたプラムとイズミの2人が、表情を緩ませながら嬉しそうに抱き付いてきて。
全裸の女の子から、しかも2人同時に抱き付かれた衝撃と、あまりの歓喜の大きさに。シズは軽く、立ちくらみに近い感覚さえ覚えた。
……顔がひどく熱くて、思考が上手く機能しない。
いまのシズは、一体どんな表情をしてしまっているんだろう……。
「も、もうのぼせそうなんですが」
「うふふ♡ シズお姉さま、お風呂に入るのはこれからですよ……♡」
―――そのあと30分近く、3人と一緒に入っていた露天風呂で。
シズが酷い湯あたりに至ったのは、もはや言うまでもないことだった。
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