31. 月に手を伸ばす
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別に、その行動に明確な目的や意味なんかは無くって。
ただ―――この世界の月が、想像以上に大きくて綺麗だったから。
手を伸ばせば届くんじゃないかなって、そう思ったんだ。
―――それは一度ログアウトして夕食や明日の準備などを済ませてから、『プレアリス・オンライン』の世界へ再び戻って来た後のことだった。
追加で1時間半ほど錬金術師ギルドの『工房』の中で霊薬の生産を続けた結果、無事に〔錬金術師〕のレベルは『3』へと成長。
キリが良いところで作業をやめて、シズは錬金術師ギルドを後にした。
「綺麗だなあ……」
見上げれば上空には、宝石を散りばめたような満天の星空が広がっている。
都心部に暮らしている今はもちろん、田舎の実家で暮らしていた頃にも、ここまで鮮明な星空というのは目の当たりにしたことはない。
星の瞬きがとても綺麗で―――それに何より、月が綺麗だ。
この世界の月は、どうやら現実のそれより随分と大きいみたいで。満天の星空が作り出す魅力を霞ませるほどの、圧倒的な存在感を有していた。
《月が綺麗ですね》
《月が綺麗ですわね、お姉さま》
「ふふ、その台詞はユーリちゃんからなら聞きたいかなあ」
妖精が読み上げたコメントに、シズは小さく笑いながら答える。
あれからパーティチャットで話し合った結果、ユーリとは暫く『おためし』という形で、本当にお付き合いすることになった。
そもそもシズは『女の子なら誰でも好きになる』タイプの人間なので、ユーリみたいな可愛い子を拒否するつもりは毛頭ないわけで。
ましてやシズが『ポリガミー』でも構わないし、シズの為なら『ネコになる』とまで譲歩されてしまっては。もう他に遠慮する理由なんてある筈も無かったのだ。
関係をとりあえず『おためし』という形にしたのは、付き合い自体は長くても、まだシズとユーリとの面識が『ネット上』でしか無いからだ。
流石にVRチャットルームやゲームでしか会ってないうちは、その関係は交際と呼べないだろうからね。
もちろんゲーム内だけの関係なら、それでもいいんだろうけれど。ユーリはちゃんと現実も含めた交際を望んでいる様子だった。
居住地がそれほど離れていないことは、既にお互い把握しているから、近いうちにユーリとは、実際に会うことになりそうだ。
ちなみにユーリは既に、今夜はもうログアウトしている。
彼女はまだ小学生なので、あまり親御さんが夜更かしを許してくれないのだ。
《この後はどうするの?》
《まだ何かやるんですかい、姐御!》
「なんで姐御呼び……。うーん、どうしようかなあ」
戦闘に生産に、今日やるべきことはもう一通りやり終わった感がある。
まだヒールベリーなどの素材は『インベントリ』の中に余っているから、それを生産で消化してしまっても良いのだけれど……。
いくら視聴者のお陰で話し相手に事欠かないとはいっても、狭い『工房』の中にずっと籠っていては息が詰まるのだ。
とはいえ、この時間から都市の外に出るのも考え物だろう。
月が大きいせいなのか、意外に夜でもそこまで暗くはないのだけれど。森の中へ入れば月明かりは林冠に遮られるから、たぶん周囲は何も見えなくなる。
戦闘するにせよ採取するにせよ、夜闇の中では困難だろう。
まあ……もう結構いい時間だから、今日のゲームは終了でも良いかな。
それから、いつもの『リリシア・サロン』へ少しだけ顔を出すのも面白いかもしれない。あのチャットルームなら、この時間でも結構な人数がログインしている筈だからね。
ユーリと『おためし』とはいえ付き合うことになったわけだし。同じ性的志向を持つ人達から、今のうちに色々アドバイスを貰っておくのも良さそうだ。
「―――おっ?」
そんなことを考えていると。
不意に、リーンゴーン―――と、都市内に鐘の音が何度も響き渡った。
視界に表示させている時計を確かめると、ちょうど夜の『0時』を指していた。
どうやらいま鳴り響いたのは、日付が変わったことを知らせる鐘の音らしい。
こんな深夜に鐘を鳴らして、住民から苦情が来たりしないんだろうか。
「この都市には、立派な鐘楼があるんだねえ」
《鐘楼はこのゲームの『大都市』にならどこでもありまっせ》
《ちなみに鐘楼はどこの都市でも『天擁神殿』に併設されてる》
「そうなんだ? みんな詳しいね」
ゲーム事情に詳しい視聴者は、おそらくシズと同じプレイヤーなのだろう。
先程生産しながら雑談した時の感じだと、シズの『配信』を見てくれている人のちょうど半分ぐらいは、ゲーム内から視聴しているみたいだったし。
「……ちなみに鐘楼って、上まで登れたりする?」
《一般開放されてるんで自由に登れるよ! 俺は昼間に登ったし》
《帝国の鐘楼に登ったけど、眺め超良かったよー》
《そうそう、都市内が一望できて良い感じなんだよね》
「おー、じゃあ私もちょっと行ってみようかな?」
そういう話を聞くと、俄然シズとしても登ってみたい欲求が湧く。
高い所からだと、星空や月がもっとよく見えそうだしね。
思い立ったら即行動―――というわけで、天擁神殿へと到着する。
ここへ来るのは今日3度目だ。流石にちょっと来すぎな気がしないでもない。
天擁神殿は24時間営業の施設なのだけれど。この時間は利用者も殆ど居ないらしく、神殿内はとても閑散としていた。
「あのー、すみません」
「はい、いかがなさいましたか?」
礼拝堂の椅子を水拭き清掃していた神官の人に話しかけて、この時間でも鐘楼に登れるのかを訊ねてみたところ、全く問題無いらしい。
鐘楼へ続く階段の位置を教えて貰えたので、早速登ってみる。
結構な段数があるみたいだから、これが現実なら階段の移動だけでもかなり大変だろうけれど。ゲーム内の身体は疲れ知らずなので、特に苦労する事も無かった。
「おおー……!」
《いやあ、絶景ですなあ!》
《街中も空も綺麗だねえ》
神官の人の話によると、この鐘楼は高さが『98.6メートル』もあるらしい。
かなりの高さがあるので、登れば簡単に森都アクラスが一望できた。
都市内にある目抜き通りが、綺麗な光の線を作りだしている。どうやら広い街路だけに限れば、この時間でもまだまだ活動している住人は多いようだ。
そして、地上で見た時よりも、更に鮮明に見えるようになった満天の星空。
高い位置にあるこの鐘楼からなら、手を伸ばせば星々のどれかには手が届くのでは無いだろうか―――と、そんな風にも思えてしまう。
もちろん実際には、そんなことは有り得ないわけだけれど。
(うーん、屋根が邪魔だなあ……)
ただ残念なことに、鐘楼からは星空は見えても、月は見えなかった。
風雨から保護するためか、立派で大きな屋根が備わっていたからだ。
月は今ちょうど中天に近い位置にあるので、屋根に隠れていて全く見えない。
できれば屋根に邪魔されずに、大きな月を仰ぎ見たい―――。
そう思ったシズは、殆ど無意識の内に飛んでいた。
鐘楼の縁から空へと飛び立ち、シズは天を目指して真っ直ぐに浮く。
〈☆聖翼種の浮遊能力〉のスキルで空を目指す、僅か6秒間の夜間飛行。
もちろんその程度の浮遊で、月に手が届くわけではないけれど。
―――それでも、今この瞬間だけは。この都市に住まう誰よりも、近い位置から月に手を伸ばしているだろう自分の姿を、強く意識することができた。
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◎希少実績『大空の先駆者』を獲得しました!
報酬として異能《天翔る翼》を獲得しました。
〔スキルポイント:50〕が返還されました。
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「………………は?」
《希少実績キター!》
《やべえ、何か来たぞ》
とはいえ―――流石にこの展開は、全く予想していなかったわけで。
時間切れで、ふよふよと地上に向けてゆっくり落下しながら、シズはただ呆然とすることしか出来なかった。
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