28. 霊薬調合
机の脇に置かれた、水甕の中にそっと手を入れる。
「【溶媒球】」
それからシズが魔術語を唱えると。水甕の中に収まっていた水が、少量だけ甕の中から飛び出し、空中へと舞い上がった。
そのまま水は球体の形で安定し、ふよふよとシズの目の前で浮遊する。
―――これは、いわゆる『生産魔術』と呼ばれるものの1つだ。
〈○初級霊薬調合〉のスキルを修得した時点で誰でも使えるようになるもので、この魔術を行使すると『任意本数の霊薬調合に用いる』のに適切な分量だけ液体を取り分け、空中に漂わせることができる。
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〈○初級霊薬調合Ⅰ〉
錬金術を用いてスキルランクに応じた初級霊薬を生産できる。
初級霊薬を『2個』まで同時に生産できる。
霊薬の生産成功率が『1%』向上する。
生産した霊薬の品質値が『1』増加する。
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現在のシズは、一度に初級霊薬を『2個』まで同時に生産できる。
なのでいま目の前に浮遊している球体は、霊薬を2個作るのに丁度良い分量の水で出来ているわけだ。
シズは『インベントリ』の中から『ヒールベリー』の果実を1個取り出し、目の前に浮遊している水球の内部へと押し入れた。
『ベリーポーション』の調合材料は『ヒールベリー半個』と『水』。
だから2本纏めて作る場合は、ヒールベリーを1個丸ごと使えば丁度良い。
「【魔力注入】」
続けて口にした魔術語は、水球の中に魔力を注ぐ生産魔術。
霊薬の調合は基本的に、溶媒に素材を溶かす形で行うわけだけれど。霊薬調合に用いる素材が水溶性のことは稀で、普通はまず溶けない。
ところが―――球体内にある溶媒と素材の両者を、同一濃度の充分な魔力で満たしてあげると、不思議と素材が水に溶けて結びつくようになるのだ。
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▲魔力の注入を行ったため、以降は素材を変更できません。
『ベリーポーション:2個』の生産成功率は『100%』です。
生産の完了までには『6分28秒』掛かります。
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水球内に魔力を注いだ時点から素材は溶け始めてしまうので、もう調合の中断はできなくなる。
また、この時点で実行する調合レシピも確定するから、その成功率や所要時間といった情報がログウィンドウに表示された。
このゲーム―――『プレアリス・オンライン』の開始時に、キャラクターを作成する際にも説明された通り、錬金術師には重要な能力値が3つある。
[敏捷]と[知恵]、そして[加護]の3つだ。このうち、特に重要度が高いのが前者の2つで、錬金術では生産レシピ毎に必要な[敏捷]と[知恵]の能力値が決まっている。
例えばいま実行中の『ベリーポーションの調合』なら、[敏捷]と[知恵]の能力値がそれぞれ『20』ずつ必要になる。
両者の能力値が共に『20』を超えていれば生産には必ず成功するし、どちらか片方でも不足していれば失敗もあり得るわけだ。
現在のシズの[敏捷]と[知恵]は共に『31』なので、必要な能力値は余裕で満たされている。
成功率は当然『100%』になり、失敗することはあり得ない。余計な手を加えたりしない限りは、爆発が起こる危険も無いというわけだ。
ちなみに要求能力値を上回っていると、それに応じて調合時間が短縮される。
ベリーポーションの調合は、本来なら『10分』ちょうどの時間が必要になるんだけれど。今回はこれが『6分28秒』まで短縮されているわけだ。
ぐるんぐるんと内部が渦巻いている水球の上部には、『残り6分11病』と生産完了までのカウントダウンが表示されている。
撹拌に伴い、水球の内部で素材がゆっくりと溶けていく様子を見ているだけでも意外に楽しくて。なんだか、いつまでも眺めていられそうな気がした。
このままカウントダウン終了まで待っているだけでも、霊薬は完成する。
けれど―――霊薬をより良いものにしたいなら。更に一手間加えることもできる。
「【錬素注入】」
これは『錬金特性』を注入する生産魔術だ。
今日ピティの魔物を倒した際に、体内に吸収した〔敏捷増強Ⅰ〕の錬金特性。
それをシズはゆっくりと、水球の中へ流し込んでいく。
錬金特性を一気に注入すると水球内の魔力状態が乱れてしまい、完成する霊薬の品質が下がってしまう。
だからそうならないように、慌てずゆっくり少しずつ、錬金特性は水球の内部に注入していかなければならない。
錬金特性は作成する霊薬個数に等しい単位数だけ注入する必要がある。
シズは3分ほどの時間を掛けて、慎重に〔敏捷増強Ⅰ〕の錬金特性を2単位ぶん注入していった。
「……ふぅ」
「うん、良く出来たわねえ」
後ろで見ていたギルド職員のお姉さんが、ぱちぱちと小さく拍手しながら、そう褒めてくれた。
ぐりぐりと頭も撫でてくれたので、シズは少し気恥ずかしい気持ちになる。
「ありがとうございます」
「魔力状態に乱れは生じなかったし、これなら品質も大丈夫でしょう。あとは完成を待つだけかしらね~」
錬金特性の注入も終われば、他にできることはない。
完全に集中を切らしてしまうと、水球が形を保てなくなって液体がその辺に散らばってしまうから、ある程度の意識を向けておく必要はあるけれど。
それさえ出来るなら、あとは職員のお姉さんとお喋りしていても良いわけだ。
「ベリーポーションって、完成したら幾らで買い取って貰えるんですか?」
「んー……。回復量によって値段が変わっちゃうから、一概には言えないけれど。ベリーポーションは足が早い霊薬だから、正直あんまり高くないわよ?
このギルドの1~2階にある販売店だと、大体1本当たり『100gita』程度で売ってるかしら? ちなみに買取り額は販売価格の『7掛け』になるわね」
「つまり、1本当たり『70gita』ぐらいで買い取って貰える?」
「大体そんな感じかしら~」
採取したヒールベリーはユーリと半分ずつ分けたけれど、それでもシズの『インベントリ』の中には60個ぐらい入っている。
1個のヒールベリーからベリーポーションは2本作れるので、全てを霊薬に加工すると合計で120本が作れる計算になる。
つまりギルドに買い取って貰えば『8400gita』ぐらいになるわけだ。
金欠のシズとしては、充分に嬉しい額の収入だ。
もちろん実際には自分で使う分の霊薬を確保しておいたほうが良いだろうから、全部を売ってしまうのは考え物だけれど。
「シズちゃんがいま作っている霊薬は、何か『錬金特性』を入れたわよね?」
「ピティから吸収した特性を注入してます」
「〔敏捷増強Ⅰ〕ね。だったら買取り価格は5割増しで考えて良いわよ~」
「わ、ホントですか」
どうやら手間を掛けた分、買取り価格も上がるらしい。
ピティなら一撃で倒すことが可能だから、狩るのに大して手間も掛からないし。簡単に得られる錬金特性でも売値が1.5倍にアップするのは嬉しい話だ。
―――そんな話を、ギルド職員のお姉さんと話していると。
不意にシズの頭の中で『ポーン♪』という軽快な音が鳴り響く。
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▽『ベリーポーション/2個』の霊薬調合が完了しました。
生産経験値:90/スキルポイント:2
◇デイリークエスト〔生産〕『自由生産』を達成しました!
報酬:生産経験値100、スキルポイント50
ランダム報酬:300gita
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―――と同時に、シズの視界の隅に表示されているログウィンドウに霊薬の調合が完了し、デイリークエストも達成されたことが表示された。
どうやら先程の音は、霊薬が完了したことを教えてくれる効果音らしい。
「【魔術瓶封入】」
最後の魔術語を唱えると、空中に浮いていた水球が一瞬で消滅し、その代わりに2本の霊薬の小瓶がシズの掌中に現れる。
シズがいま行使した【魔術瓶封入】の生産魔術は『小瓶を作り出す』とともに、その中に『完成した霊薬を封入する』ものだ。
この生産魔術で作った小瓶は、開封すると約10秒後に自然消滅する。
霊薬は飲んだその場で瓶を捨てることが多いものなので、なるべくこの生産魔術で瓶を作って封入した方が、使用時に無駄なゴミが出なくて好ましいようだ。
一応、工房内の作業机の上には、誰でも自由に使える『霊薬用の小瓶』が大量に置かれているから。これを用いて自分の手で霊薬を封入すれば、【魔術瓶封入】の生産魔術を行使する必要はない。
何も素材を使わずに小瓶を作り出す【魔術瓶封入】の生産魔術は、MPの消費量が結構多い。だから何度も繰り返し霊薬調合を行う時などは、MPを節約するために既存の小瓶を利用する人も多いそうだ。
(……ま、私には関係なさそうだけどね)
シズの場合はたぶん、バタークッキーを食べてMPを回復する方が楽だろう。
小さな瓶の中に液体を詰める作業って、結構神経を使って疲れそうだしね。
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ベリーポーション/品質[64]
【カテゴリ】:霊薬
【注入特性】:〔敏捷増強Ⅰ〕
【品質劣化】:-2/日
【霊薬効果】:HP+32、[敏捷]+5(10分)
ヒールベリーを主材料に調合した霊薬。
果実の時ほどでは無いものの、品質が劣化しやすいので注意が必要。
服用後は『120秒』間、霊薬が服用できない状態になる。
- 錬金術師〔シズ〕が調合した。
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というわけで最終的に完成した2本の霊薬がこちら。
性能は2本とも同じで、そこに差異は全くない。
調合時に〔敏捷増強Ⅰ〕の錬金特性を注入したことで、飲むとHPが回復するだけでなく、10分間[敏捷]が『5』増加する効果が追加されている。
霊薬は少量の液体を飲むだけで、大きな効果を発揮するのが特徴だ。
食べ物や飲み物と違い、服用しても『満腹度』が増えることは無いけれど。その代わり霊薬には『連続して服用ができない』という制限がある。
1度服用すると『120秒』の間、身体が霊薬を受け付けなくなるのだ。
だから魔物からの攻撃を霊薬を飲みまくって耐える―――みたいなことは、基本的にできなくなっている。
ちなみにシズは〈○服薬術Ⅰ〉のスキルのお陰で、この霊薬を受け付けなくなる時間が『110秒』に短縮されている。
もちろんスキルのランクを成長させれば、更に時間は短縮されるだろう。
つくづく〔操具師〕は、アイテムの活用に関して隙が無い職業だと思えた。
「うん―――。この出来なら全く問題無いわ」
ギルド職員のお姉さんから太鼓判を貰えて、シズはほっと安堵の息を吐く。
もちろん自分でも上手く作れたとは思っていたけれど。やはりプロの目から確かめて貰わないことには、この霊薬が『商品』になるレベルかどうかは判断できないからだ。
「霊薬の生産って結構難しいのに、よく初回から上手く作れたわね」
「それはきっと、講習を受け持って下さった先生が良かったんでしょう」
「あら、なかなか煽てるのが上手いわねえ」
そう言いながら、職員のお姉さんは嬉しそうに表情を緩めてみせるけれど。
別にシズとしては、おべっかを言ったつもりもない。実際お姉さんが受け持ってくれた講習は、とても判りやすく身になる内容だったと思う。
「たぶんこの出来なら、1本あたり150gitaぐらいで買い取れるかしら」
「通常品は70gitaでの買い取りですよね? 倍以上じゃないですか」
「錬金特性が付いていて、品質も悪くないからね~」
生産したアイテムの性能は『品質』に大きく左右される。
品質が倍になれば、アイテムの効果もほぼ倍になると思っても良いぐらいだ。
それぐらい重要な要素なので、品質の高さは当然値段にも直結する。
「生産を見ていてくれて、ありがとうございました」
「ふふ、ちゃんとお礼が言えるシズちゃんは良い子ねえ。
うちのギルドに所属してる職人の中には、『俺様が危険を冒して作ってやってるんだぞ』って、無駄に偉ぶってくるような人も多いから……。シズちゃんみたいな優しい子が来てくれて、とっても癒されるわあ」
そう言って、ギルド職員のお姉さんが再び、シズの頭をぐりぐりと撫でる。
一応もう高校生なので、流石にこの褒められ方はちょっと恥ずかしかった。
―――まあ、個室の中なので誰にも見られてないだろうし。綺麗なお姉さんから頭を撫で回されるのは嬉しいことなので、大歓迎なんだけどね。
《めっちゃ撫でられてるww》
《これは完全にペット扱いですよ》
《よーしよしよしよし!www》
「………………」
なーにが『誰にも見られてない』だよ。
よく考えたら、めっちゃ見られてんじゃん……。
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お読み下さりありがとうございました。




