247. 雨の日に、ちょっと豪勢な朝食を
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深夜に色々とあった日の翌日。
今朝は生憎の雨模様で、ジョギングは断念せざるを得なかった。
運動を好む人なら、雨が降っていても躊躇することなくジョギングにぐらい行くんだろうけれど。
雫の場合、ジョギングはただの気晴らしの手段でしか無いので、雨に濡れてまで走りたいとは思わない。
「雨用のウェアも持ってきてますし、私は構いませんが?」
「ごめん、私が構う……」
一心の言葉に、雫は苦笑しながらそう答える。
雨の中のジョギングは『シャワーラン』と言い、これは人によってかなり好みが別れることで知られている。
雨の日のほうが人通りが少なくなるから走りやすくなるし、運動時には湿った空気のほうが心地良いという人も居るなど、案外メリットもあるのだ。
特に今みたいな夏場だと、雨のお陰で体感気温がかなり下がるのも大きい。
一方で当然ながら、雨をちゃんとはじいてくれるウェアほど汗で蒸れやすいし、地面が濡れているぶん滑りやすくなるなど、デメリットも少なくない。
そして雫の場合は単純に『濡れる』という不快さを思うだけで、もう雨は好きになれないものがあった。
一応、雨天時用のウェアは雫も持参しているけれど、今のところこれを使用するつもりはない。もちろん一心か九重から強く望まれれば否はないけれど。
「今日から梅雨入りしちゃったみたいですね」
「ああ、そうなんだ……」
九重の言葉を聞いた雫は、がくりと肩を落とす。
時期が時期なので仕方がないことではあるんだけれど。梅雨入りしたとなると、これから暫くはジョギングがしづらくなりそうだ。
「どうしましょう。少し早いですが、朝食を作り始めちゃいますか?」
「んー……」
それも悪くないかな、と思う。
早めに作り始めても、出来上がるまでには友梨も起きてくるだろうし。
それに何より、九重と一緒にする料理は楽しいから。軽く陰鬱になりかけている今の雫には、良い気晴らしにもなる。
「そだね、そうしよっか。2人は何か食べたいものはある?」
「シズ姉様が作るものでしたら何でも」
「僕もご主人様と一緒に作れるなら何でも良いです!」
「うん、それが一番困るんだよね……」
料理を作る人間としては『何でも良い』が一番困る回答だったりする。それだとメニューの方向性が全く決まらないからだ。
とはいえ2人の場合は嘘でも何でもなく、シズが何を作る場合でも、本心から喜んでくれるわけだから。文句を言うのも違うかもしれないけれど。
折角時間があるので、ちょっと豪華な朝食を用意したいところだ。
献立を決めるために、九重と一緒にキッチンやその隣の保管庫に備蓄されている食材をチェックしていくと。以前いちど使用したことがあるバゲットが2本、補充されているのが目に入った。
「前回はオニオングラタンスープの材料に使ったんでしたね」
雫がバゲットを手に取ると、軽く目を細めながら九重がそう告げた。
小声で「あれは美味しかったです」と、どこか感慨深げに漏らしている様子から察するに。九重はあの時の料理の味わいごと思い返しているようだ。
「グラタンも良いけれど。今回はもうちょっとシンプルに、フランスパンらしさを楽しめる調理法にしよっか」
「シンプルにですか。カスクートでも作りますか?」
「おっ、いいねー。じゃあアボカド無いかな? あれを挟むの好きなんだ」
「あ、ちょうど先程置かれているのを見ました!」
そう告げると同時に九重は小走りに移動し、隣の保管庫から黒いアボカドを2個抱えて戻ってきてくれた。
色合いが黒に変わっているのは、アボカドが充分に熟成されていることを意味する。九重から手渡されて受け取ると、それを裏付けるようにアボカドの表面の感触もまた、かなり柔らかめになっていることが判った。
まさに今朝の食材として使うのに、ちょうど最適な状態だ。
ちなみに、カスクートは簡単に言えばフランスパンで作るサンドイッチのこと。パンを横にスライスして、間にハムやチーズなどを挟んだものが一般的だ。
語源はフランス語の『軽食』から来ている……らしいんだけれど。単品でもかなりの食べごたえがあるフランスパンに、それなりの量の具材を挟むわけなので、日本人の感覚からするとあまり軽食という感じはしない。
よく噛む必要があるから短時間では食べられないし、お腹に溜まって腹持ちも良いからね。
カスクート自体は作るのに全然手間が掛からない。軽くトーストした後にパンをスライスして具材を挟む。結局のところ、調理工程はそれだけだ。
あまり短時間で朝食の用意を終えてしまうと、友梨が起きる前にできてしまうかもしれないから。折角なのでスープとサラダも作ることにした。
特にスープには、少しだけ手間が掛かるものをチョイス。
というわけで――本日の献立はアボカドと生ハムを挟んだカスクートと、ヤングコーン入りクリームチャウダー、ほうれん草とキノコのホットサラダの三品。
朝食にしてはちょっと量が多目だし、カロリーも高めな気もするけれど、たまには良いだろう。
「なんだか美味しそうな香りがします……」
ちょうど朝食ができあがる頃合いに、目を覚ました友梨がキッチンに来た。
何を作っているのかが気になったらしい。クリームチャウダーを目にした途端、嬉しそうに友梨は表情を緩める。
「おはよう友梨。もう出来たから、リビングで待ってて」
「はーい。運搬のお手伝いは必要ありませんか?」
「今日は重いものもないし、大丈夫かな。ありがとね」
さっき食材を漁っている時に発見したんだけれど、別荘のキッチンには配膳用のカートも用意されていた。
飲食店で使われているものに較べると小さめだけれど、それでも4人から6人分の料理を運ぶには充分なサイズだ。これを使えば運搬に苦労することはない。
というわけで、配膳用カート上に設置したトレーに4人分の料理を並べてから、九重と一緒にコロコロと押していく。
リビングまで持っていくと。料理を目にした一心が、嬉しそうに目を細めた。
「雫姉様のせいで、すっかり洋食も好きになってしまいました」
「せいって……。やっぱり実家だと和食が多かった?」
「はい。朝昼晩、三食全てが和食でした」
一心の家は、大きな神社を運営する神職の名家。
そういう家で育つと、やっぱり洋食とは縁遠くなるんだろう。
「もちろん和食は普通に好きなので、今までそれで困ったりはしていなかったですが。今後はたまに洋食も食べたくなってしまいそうな気がします」
「その時は私の家まで遊びに来てくれれば、いつでもご馳走するよ。お互いの家もそれほど遠くはなかった筈だし」
九重と江理佳の2人は、まだどの辺りに住んでいるのか把握していないけれど。友梨と梅と一心の3人からは以前、最寄り駅を教えてもらったことがある。
確か、雫が住んでいるマンションの最寄り駅から、乗り換えも要らず電車で20分ぐらいで移動できた筈だ。
往復で1時間も掛からないわけだから、来ようと思えば気軽に来られる距離だ。
急に訪問された場合でも、雫はひとり暮らしなので困ることもない。
「い、いいんですか? 本気にしますよ?」
「もちろん本気にしていいよ? 一心ならいつ来ても大歓迎だし。……まあ、来る時には泊まりできてくれると、個人的には嬉しいかな?」
「あっ……。は、はい。その時は家族から宿泊許可を得て行きます。か、必ず」
かあっと顔を赤らめながらも、一心は頷きながら小さな声で了承する。
――同性愛者の家に泊まりに来るというのが、どういう意味なのか。
それを承知した上でも、来訪を約束してくれる一心の気持ちが、雫には堪らなく嬉しいものに思えてならなかった。
「あ、よかったら合鍵とか要る? 要るならプレゼントするけど―――」
カートに乗せてきた料理を座卓に並べる作業の傍らに。そう訊ねた雫の言葉は、わりと軽い気持ちで告げたものだったんだけれど。
「「「要ります‼」」」
「お、おおう……」
一心だけでなく、その場にいる友梨と九重の2人からも完全にタイミングを重ねた声でそう答えられて。思わず雫は、軽くたじろぐ。
とはいえ、一心も友梨も九重も、どの子だって雫にとってはとても大切で、かつ愛しい相手なのだから。もちろん否があろう筈もなかった。
「ん、わかった。じゃあ夏休み明けにはみんなの分、手配しておくね」
合鍵を作るぐらいはどこでもできるわけだけれど。家を1ヶ月以上開けるため、部屋の鍵は一旦管理会社に預けてしまっており、残念ながら今は手元にない。
なので合鍵が作れるのは、雫が自分の家に帰宅した後の話になる。
「うふふ、楽しみです♡ 入り浸ってしまいましょうか♡」
「大歓迎だけれど……。ちゃんと家族にそのことを伝えてから来てね?」
その辺はちゃんとして貰わないと、誘拐を疑われて家族が警察に相談することも有り得ない話ではない。
複数の幼い女の子達に合鍵を渡し、あまつさえその全員と身体の関係まであるとなれば。警察沙汰になると同時に雫が真っ先に逮捕されることは想像に難くない。
「ええ、承知しております。お姉さまにご迷惑を掛けるようなことは致しません」
幸いというべきか、友梨はすぐにそう答えてくれた。
賢明な友梨が約束してくれるなら、心配は無用だろう。
手を合わせてから、4人で一緒に朝食を食べ始める。
まずクリームチャウダーからひとくち味わうと、その美味しさに心が蕩けた。
夏場だからこそ、ジョギングにも行かず冷房の効いた部屋の中に要れば、身体は少なからず冷えてしまう。
けれどもそんな状態だからこそ、ほのかな甘さと共に身体の内側から優しく温めてくれるクリームチャウダーが、なんとも幸せだ。
それと、サラダをホットサラダにしたのも正解だったなと思う。
温かいほうれん草って、なんでこんなに美味しいんだろうね。
「美味しすぎて今後は洋食びいきになってしまいそうな気が……」
少しだけ困ったように眉を下げて、一心がそうつぶやく。
あまり洋食に染めてしまうと、今後また和食中心の生活に戻った時につらいかもしれないから。ある程度は和洋のバランスに気を使うほうが良さそうだ。
「そういえば、お姉さまにひとつ相談したいことがあるのですが」
「うん? どうしたの?」
「もしお姉さまに抵抗が無ければなのですが。今度私と一緒に、1時間から2時間ぐらいの、短い配信をしてみませんか?」
友梨の言葉に、思わず雫は首を傾げてしまう。
配信なら、ほぼ毎日欠かすことなくやっているわけだから。わざわざ改めて求められるようなことではないと思うんだけれど。
「―――ああ。違います、お姉さま。ゲームの中での配信ではありません」
「へ? ゲームの中じゃないって……」
「現実での配信について、ご検討いただけませんでしょうか?」
友梨の口から紡がれた、その提案は。
流石に雫も、全く予想だにしていないものだった。
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