246. ナイスミドルとクランの仲間たち
怖がらせるのは本意ではないので、いつもよりかなり速度を落としながらレティシアとミーシャの姉妹と共に空の散歩を楽しむこと数分。
月明かりに照らされてよく見える、天擁神殿の鐘楼まで200mぐらいの距離に迫った辺りで、シズはゆっくりと高度を下げていく。
先程まで居た住宅区とは違い、この辺りはそこそこ背が高い建物が多いので気づいていなかったけれど。高度を下げていくと、天擁神殿の正面に一台の馬車が止まっているのが見て取れた。
そのすぐ傍には、空を見上げている5人の男性。そのうち4人は鎧を身に纏った騎士と思わしき格好をしており、残る1人は立派な髭を蓄えた背の高い男性で、いかにも貴族らしい立派な装いをしている。
そんな貴族の男性が―――シズ達の存在に気づくと、軽く手を振ってきた。
こんなにも気さくな振る舞いをしてくるナイスミドルの心当たりなど、シズには1人しか存在しない。
どうやら事前にシズが送っておいたメールを受け、この場所で待っていてくれたようだ。
「おじさま。すみません、深夜に待たせるようなことをしてしまって」
ダンディなおじさま、ことオルヴ侯爵の目の前にゆっくり着地したシズは、まずそのことを謝罪する。
「構わないとも。妻と晩酌を楽しんでいたので、まだ起きていたしね。
いや―――むしろ貴族絡みで面倒を掛けてしまったことを考えると、私のほうこそ君に詫びるべきだろう。済まない。そして、2人を助けてくれてありがとう」
すると逆にオルヴ侯爵のほうから、シズよりも丁寧に頭を下げられてしまった。
前々から思っていたけれど、オルヴ侯爵は貴族ではない相手にも、こうして充分過ぎるぐらいの敬意や感謝を示してくれる。そしてシズのような小娘が相手であっても、決して軽んじたりもしない。
そういう誠実さが伝わるから、シズとしてもすっかり好意を抱いているし、信用している。もちろんオルヴ侯爵は女性ではないから、その『好意』は純粋な親愛に留まるけれど。
「それで、シズ殿の後ろにいるのが、暴漢に襲われていた姉妹だね?」
「はい。幸いなことに救助が間に合いましたので、彼女たちの身体が何ひとつ穢されていないことは、私が保証します」
「それは有難い。我が国の集落の防衛に大きく寄与し、村民にただひとりの被害も出さずに守りきってくれた英雄が保証してくれるとあれば、その言葉を疑う者など今のこの国にはいないだろう」
「………」
申し訳ないけれど、シズからすると『魔軍侵攻』はゲーム内で実施されたイベントのひとつに過ぎず、参加したのはゲームを楽しむ目的からに他ならない。
もちろん、自分が普段からお世話になっている国に恩返しをしたいという気持ちも無かったわけではないけれど。それはあくまでも副次的なもので、メインは単に『ユーリ達と一緒にゲームを楽しみたい』というものだ。
なので、それをまるで大業を成したかのように言われるのは、シズにとって強く違和感を伴うものだった。
まあ……それが結果的に、レティシアとミーシャの潔白の保証に役立つのであれば、悪いことではないんだけれど……。
「フォーラッド侯爵、いつもお世話になっております」
口ごもったシズに代わるように。レティシアがシズの前に歩み出てオルヴ侯爵に深々と頭を下げた。
アルクーネ家は伯爵。つまり姉妹から見ると、オルヴ侯爵は自分たちよりも格上の相手ということになる。
「―――なんと。シズ殿が救出したのは、アルクーネ伯爵家の御姉妹か。申し訳ないが、こんな夜更けに貴族令嬢の拉致騒動があったと聞いた時点で、もっと家格の低い家の事件かと勝手に推測していたよ」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。明日の夜会に利用するドレスを受け取るため、夜遅くに出かけたのが仇となりました……」
「ふむ……。この時間だと店も開いていないゆえ、立ち話になってしまい済まないが。シズ殿も居るこの場で、詳しい事情を聞かせて貰えるかね?」
「はい、もちろんです。聞いてくださいませ」
少し申し訳無さそうな表情をしながらも、オルヴ侯爵に対してレティシアは自分たちの身に起こったことを、淡々と要領よく説明していく。
袋小路に追い詰められ、暴漢達に襲われていた時から、まだ30分と経っていないのだから。この年齢の普通の少女なら、まだ自分の身に降り掛かった災厄に怯えるばかりで、事態の説明などできないのが普通だと思うんだけれど。
彼女は精神的な強さがあり、また聡明でもあるみたいで。まるで傍観していた第三者のように、誇張も脚色もせず、事実のみを判りやすく説明していた。
ちなみにレティシアがオルヴ侯爵と話している間、ミーシャはシズの背中にある翼を楽しそうに触っていた。
まあ、この年齢の子供なら、本来はこういうものだろう。難しい話に参加するより、自分の興味があるもので遊んでいるほうが普通だ。
ユーリたちみたいに、年齢の割に随分と大人びている女の子とばかり関わっているせいで、たまにそのことが判らなくなるけれどね。
折角なので自分の翼から羽根をひとつ抜いてプレゼントすると、ミーシャはとても良い笑顔で喜んでくれた。
無垢な少女がこんなに喜んでくれるのは、シズとしても嬉しい。
《お姉さま、もちろん後で私達にも羽根をプレゼントしてくださいね?》
《はい……》
そして相変わらずユーリは、配信を視聴しているようだ。
これってもう、殆ど監視なのでは……。
「幸いなことに、首謀者は判っております。ファウナー男爵家の次男、コーエン殿に間違いありません」
一通りの状況説明を終えたレティシアが、犯人の名前を挙げた。
オルヴ侯爵の表情が、一気に険しくなる。
「……ふむ。レティシア嬢は、どうしてそう考えたのかね?」
「考えるも何も、彼本人が暴漢達と一緒に行動していましたので」
「………………なんと」
レティシアの言葉を受けて、オルヴ侯爵は唖然とする。
暴漢の数は全部で6人居たけれど。その中の1人は随分と立派な服を着ており、平民でないことはシズの目から見ても明らかだった。
あの男性が、いまレティシアが名を挙げたコーエンという人なんだろう。
「コーエンはそれほどの愚か者だったか……」
シズの側からも、貴族の男性が暴漢たちを指揮していた事実を伝えると。オルヴ侯爵が怒気を孕んだ声色で、そう吐き出した。
飄々としていることが多いオルヴ侯爵にしては、なかなか珍しい姿だ。とはいえ同じ貴族の立場にある人が悪事を働いたんだから、無理もないが。
「私はこの国の法律に詳しくないですが。流石に処罰されますよね?」
「………」
シズがそう訊ねると。険しい表情のまま、オルヴ侯爵が言葉に詰まる。
そして、今度は重たい溜息をひとつ吐き出してみせた。
「そうあるべきとは思うが……。ともすると、難しいかもしれん」
「えっ。それは何故です?」
「例えばの話だが―――他の貴族家から、今夜は我が家にコーエンを招待しており一緒に酒を飲んでいた。コーエンが市街へ繰り出した様子はなかったため、レティシア嬢が見たのは別人に違いない。
……といった情報が出たりすれば、罪を咎めるのは難しくなる。そして、おそらくは本当に、そういう『事実ではない情報』がファウナー家と懇意にしているどこかの貴族家から出てくることだろう」
「私もコーエン本人を見ていますが、それでも駄目ですか?」
「シズ殿がこれまでにコーエンと面識を得ていたなら別だが。そうではない以上、貴族の男性を現場で見たと言っても、信憑性は低く扱われるだろう。
いや、そもそもこんな深夜では……街灯もない南西の住宅区はかなり暗い場所になるため、他人の相貌など判るわけがない、と。そういう意見がファウナー家の派閥に属する複数の貴族家から一斉に出て、有耶無耶にされるのがオチだな」
「むう……」
配信を行っていたから、視聴者の人達も暴漢たちを指揮していた貴族男性の姿は見ているし。なんなら配信内容はすぐに動画化されるから、後から男性のスクリーンショットを撮ることも簡単なんだけれど。
とはいえ―――それが、この世界で『証拠』として利用できるかと言えば、答えはノーだろう。そもそも画像データをゲーム内世界に持ち込む手段が無いし。
「もしシズ殿が犯人を捕まえていれば、話は変わるのだがね」
「うん? 捕まえていれば大丈夫なんですか?」
「無論だとも。本人を捕獲できているなら、アリバイの偽装など出来る筈もない。その場合はレティシア嬢とシズ殿の証言だけで充分に裁ける」
「ああ、だったら簡単ですね。ちょうど、そろそろ届くと思います」
「……は?」
意味が判らないといった様子で、オルヴ侯爵が目をぱちくりさせる。
説明しても良いんだけれど―――クランチャットを介して仲間たちから伝わってくる状況報告によると、既にすぐ近くまで来ているらしいから。
どうせなら配達品の受取を終えてから説明するほうが、話が早いだろう。
「し、シズ殿? それはどういう意味かね?」
「すみません、もうちょっとだけ待って貰えま―――ああ、来たみたいですね」
天擁神殿前に居るシズ達へ、ゾロゾロと結構な数の集団が近づいてきた。
全部で50から60人ぐらいは居るだろうか。深夜にこの規模の集団が闊歩している光景は、当然かなり悪目立ちする。
腰に下げているサーベルの柄へ、反射的に手を掛けたオルヴ侯爵とレティシアの2人を、責めることはできないだろう。
「すみません、あれは私のクランの仲間で、敵ではないです」
「む……そ、そうなのか?」
「はい。なので剣は抜かないで貰えると」
そう告げたシズの言葉に納得して、2人はサーベルから手を離してくれた。
10mぐらいの距離にまで迫ってきた時点で、集団から2つの小さな影がシズの元へと文字通り『飛んで』くる。
「―――キュ!」
「キュキュ!」
「ん、おかえり。捕獲を手伝ってくれてありがとね」
暴漢達の後を尾けさせていた、ディアとレインだ。
両肩に止まった二頭の子竜たちの頭を、優しく撫ぜることでシズも応える。
「お姉さま、ごきげんよう!」
「やあ天使ちゃん! 良い夜だね!」
「天使ちゃん! 捕まえてきやしたぜ!」
「ご依頼の品を、お届けに参りましたー! ……なんちゃって!」
「いやー、悪人の成敗ごっこは楽しかったっす」
「女の子たちに暴力を振るおうだなんて、メチャ許せんよなあ……!」
「ええ、全くですわ! 女性をなんだと思っているのです!」
続いてクランの仲間たちが目の前まで来て、抱えていた6つの荷物を、なんとも乱暴にその場へドサドサと投げ捨てた。
簀巻きさながらに長いロープでぐるぐると拘束された、暴漢達だ。
ちゃんと『攻撃意志を持たない攻撃』で無力化して捕まえてくれたらしく、暴漢たちの身体には怪我ひとつない。
……とはいえ、50人を超える人数に囲まれて、大量に『0ダメージ』の暴力を振るわれた体験は相当に堪えたんだろう。
6人の暴漢たちは今もなお、自分たちを捕まえたクランの皆が怖くて仕方ないらしく、ありありと恐怖に怯える表情を浮かべていた。
「なるほど……ファウナー男爵家の次男、コーエンに相違ないな」
身動きが取れない暴漢たちの相貌を確認した後、オルヴ侯爵がそう告げる。
どうやらレティシアが言った通りの相手で間違いないらしい。
「シズ殿のクランの皆様方。私の名はオルヴ・フォーラッド。ここファトランド王国にて王家に忠誠を誓う貴族の家柄で、家格は『侯爵』になります。
この度は悪事を成す暴漢共を捕まえてくださり、ありがとうございます。皆様が捕まえて下さった者共には裁判に受けさせることを、私が保証致します。おそらくは犯した罪過に相応しい裁きが与えられることでしょう。この馬鹿者共の身柄を、私の方で引き取らせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
そう告げてから、オルヴ侯爵がクランの仲間達へ深々と頭を下げた。
誰にでも礼を尽くす侯爵の人柄は、本当に誠実だと思う。
「も、もちろんでさあ!」
「よろしくお願いします! 侯爵様!」
「こんな深夜にご迷惑をお掛けします!」
慇懃に対応されすぎたことで、却ってクランの皆のほうが狼狽する始末。
付き合いになれているシズとは違い、多くのプレイヤーにとって『侯爵』ほどの地位にある相手と話すのは初めての経験だろうから、無理もない。
「助かります。ぜひ明日の夜会へは、皆様もお越しください。招待状の有無に関わらず、私の名を出せば何名でも会場へ入れるように手を回しておきますので。
そして、よろしければ夜会の場にてもっと色々と話をさせて頂きたい。ご迷惑で無いようでしたら、私とフレンドにもなって頂けると嬉しい限りです」
「お、おお、俺らで良いんですか⁉」
「良いも何も、こちらがお願いしていることです。私でよろしければ是非」
オルヴ侯爵が右手を差し出し、クランの皆と握手を交わしていく。
クランの皆とオルヴ侯爵との間で交流が生まれるのは、シズとしても嬉しいことだ。この国の貴族と交流を持てば、また来月以降にもあるだろう『魔軍侵攻』イベントへの意気込みも変わってくるだろうしね。
そう思い―――シズが皆の様子を微笑ましく見守っていると。
「ふふ、そしてよろしければ皆様の知る、シズ殿のおもしろエピソードなどについても、こっそり教えてくださると嬉しいところです」
「………………は?」
思わず唖然としたシズに対し、オルヴ侯爵がニヤリと笑った。
「実はルゼア王女からシズ殿についての情報を教えるよう、常日頃から矢の催促を受けておりましてな。情報源は幾らでも欲しいところなのですよ」
「任せてください! 幾らでも話せることがあります!」
「我々が最も得意とする分野です!」
「ちょおっ⁉」
クランの仲間たちの殆どは、シズの配信を見てくれている人達だ。
なので、良くも悪くも彼らは、ゲーム内でのシズについて知り尽くしている。
……ホント、勘弁して……。




