237. ダラダラ時間と1%未満ビール
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「今日は丸一日、全力でダラダラしましょう!」
28日の土曜日と29日の日曜日、7月最後の週末2日間に渡ってゲーム内で行われた『魔軍侵攻』イベントが終了した翌日の30日。
今朝もいつも通り、朝から一心と九重と一緒に滞在中の別荘の付近をジョギングしてから帰還した雫は。帰ってくるなりそう提案してきた友梨の言葉に、思わず3人揃って苦笑してしまった。
距離にして2~3kmほどの軽めのジョギングを済ませたばかりで、適度に体がウォームアップされた状態なのだ。
さあ、これから朝食の準備にでも取り掛かろうかな―――と、ちょうど考えていた矢先に告げられるには。『全力でダラダラしよう』という提案は、些か滑稽なもののように思えてならなかった。
「なんだか唐突に怠惰なことを言い出しましたね」
「友梨、急にどうしたの?」
やや呆れたような口調で、一心と九重がそう訊ねる。
―――ちなみに九重は少し前まで、江理佳だけを呼び捨てにしていた。
友梨や梅や一心のことは、いつも『さん』付けで呼んでいたんだけれど。最近になって九重は、彼女たちのことも自然と呼び捨てするようになっていた。
ゲーム内外での交流を通じて、それだけ彼女たちとの距離が縮まったんだろう。
とても良い傾向なので、雫はそれを心から嬉しく思う。
「ここのところ『強化遠征』や『魔軍侵攻』といった、ゲーム内のイベントで何かと忙しかったじゃないですか。その……もっと雫お姉さまと一緒に、この別荘内でダラダラしながら、イチャイチャしたいなと思いまして」
「なるほど、友梨の言う通りです」
「よく判ります! 僕も全力で同意します!」
友梨の言葉を聞いた一心と九重が、満面の笑みを浮かべて即答した。
……うん。友梨に対して露骨にがっかりしていた2人の態度が、一瞬で180度ぐるっと回転したような気がする。
「具体的には『ダラダラ』って何をしたいの?」
「ベッドの上で丸一日、雫お姉さまとひっついて居たいですね!」
「ま、丸一日かあ……」
もちろん友梨のためなら、1日時間を割くことぐらいはなんでもない。
ないけれど……。とはいえイベントが終わったばかりのこのタイミングに、一応クランのマスターという立場にある雫が、丸一日ゲームにログインせずにいるというのは、あまり好ましいことではないだろう。
「……配信もちょっとはやっておきたいし、流石に夜にはゲームにログインしたいんだけれど、いいかな?」
「むう……判りました。では20時頃までは一緒にダラダラしてください」
「ん、了解。これから作ろうと思ってた朝食はどうすればいいかな?」
「店屋物を取りましょう。ピザでよろしいですか?」
「せめて、お蕎麦とかにして……」
流石に朝からピザは重過ぎる。
幸い別荘のある地域へ配達をやっている蕎麦屋のチラシがあったので、それぞれ思い思いに4人分の蕎麦を注文した。
どうせ梅と江理佳は昼ぐらいまで起きてこないだろうから、彼女たちの分は注文しなかった。もし起きてくるようなら、改めて追加で注文すれば良いだろう。
蕎麦は注文してから15分ぐらいで、すぐに到着した。
予想より随分と早かったので、配達してくれた人に訊ねてみたところ、どうやら雫たちが滞在している別荘のすぐ近くに店があるらしい。
温かい蕎麦を注文した雫からすると、到着が早いのは嬉しいことだ。
「おお……。これは美味しい」
さっそく一口味わってみて、雫は内心で感動を覚える。
濃厚な出汁と醤油のスープに浸っていても、消えずにしっかりと感じられる蕎麦本来の香気と味わい。この感動は他の麺類からは得られないものだ。
「たまに食べると、蕎麦って凄く美味しく感じられますよね」
「わかる。基本的にはうどんのほうが好きだけど、たまに食べると超美味しい」
「そうですね、僕もそう思います」
ちなみに友梨はとろろが付いた『山かけ蕎麦』を、一心は『かきあげ蕎麦』を、九重は十割蕎麦の『ざるそば』を注文したようだ。
雫が注文したのは、ごぼう天が乗った蕎麦。
なぜなのか自分でもはっきりとは判らないんだけれど、なんとなく温かいお蕎麦には『ごぼう天』を合わせるのが昔から一番好きだ。
食べ終わった後は、リビングで3人ダラダラとイチャイチャする。
ソファに座っている雫の左右に友梨と九重が、そして膝の上に一心が陣取ってきたため、雫はもうその場から一歩も動けない状態だった。
無論それは雫にとって、とても幸せな拘束でしかないけれど。
「……ご主人さまにひとつ、おねだりしても良いですか?」
「うん? もちろん、なんでも言って欲しいな」
少し申し訳無さそうに告げられた九重の言葉に、雫はそう即答する。
九重がしてくれるおねだりなら、いつだって大歓迎だ。
「その……。なにか飲み物を、私に口移ししてくださいませんか」
「あ、それは私もされたい。友梨と江理佳ばかりズルかった」
九重が求めた言葉に、すぐに一心も便乗してきた。
どうやらこの2日間の『魔軍侵攻』イベント中に、ユーリとエリカにだけ霊薬の〈口移し〉をしていたことが、2人とも羨ましかったらしい。
「あら♡ そういうことでしたら、ちょうど良いモノがありますね」
「……ちょうど良いモノ?」
「少々お待ちになっていてくださいね」
そう告げてソファから立ち上がった友梨は、リビングに設置されている飲料用の冷蔵庫から、1本の小瓶を取り出してきた。
300mlぐらいの黒い小瓶で、ちょっと凝ったラベルが張られているそれは。一見しただけだと……お酒の瓶のようにも見える。
「……まさかお酒じゃないよね?」
「当たらずとも遠からず、といったところでしょうか。これは『お酒風味』のノンアルコール飲料になります。アルコールの割合が1%未満なので、私たちでも合法的に飲むことができるものですね」
「な、なるほど」
いわゆる『ビールテイスト飲料』というものだ。雫もこの手の商品は、何度か店頭で見かけた記憶があった。
……まあ、合法的なら拒否することもないだろう。
栓抜きも用意してくれた友梨が、小瓶を開封してグラスに中身を注ぐ。
しゅわっと綺麗に泡立つ黄金色の液体は、外見だけで判断するなら完全にビールのそれにしか見えないけれど。
一応、小瓶のラベルに記されている商品の説明文を確認させて貰ったところ、間違いなくアルコール分は『0.5%』だと記されていた。
「ささっ、雫お姉さま。まずはご試飲をお願いします」
「……どんな味か想像もつかないから、ちょっと抵抗感あるなあ」
苦笑しながらも、友梨から差し出されたグラスを受け取る。
一瞬だけ逡巡したあと、すぐに覚悟を決めて雫は口をつけた。
「………」
「雫お姉さま、お味はいかがですか?」
「………………苦い」
「あら」
なんだろう……。飲み物の中に、何かしらの深い味わいが秘められていることだけは、なんとなく判るんだけれど。
でも、それ以上に―――単純に苦くて、あまり美味しくない。
少なくとも、好んで飲みたい味では全く無かった。これが世間で広く愛されているビールと、同じような味なんだろうか。
「九重。ぜんぜん美味しくないから、飲むなら覚悟してね?」
「……お願いします。口移ししてくださるなら、マズくても喜んで飲みます」
「ん、了解」
グラスから軽めに一口を含んでから、右隣に座っている九重と唇と重ねる。
それから口の中にある液体を、ゆっくり彼女の口腔内へ流し込んだ。
「どう?」
「………………まっず」
「あはっ」
露骨に顔をしかめた九重の反応に、思わず雫は軽く吹き出してしまう。
もちろんその後は、一心と友梨にも順番に口移しをしたんだけれど。飲ませると同時に2人の表情が露骨に歪んだのには、雫も九重も笑わずにはいられなかった。




