221. おじさま同伴
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「お、おおおお……! こ、これは、高いな……!」
天幕での会議を終えた10分後にはもう、シズたち一行の姿は大空にあった。
もちろん緑竜であるディアスカーラの背に乗っての飛行中だ。
移動のための『足』として協力を求められたにも拘わらず、ディアスカーラは嫌な顔ひとつせずに、シズの頼みを快諾してくれた。
―――無論いつも通り、クッキー1箱という対価は求められたが。
ちなみにディアスカーラが大空を翔けるあまりの高さと速さに、先程からずっと喫驚の声を上げているのは『ダンディなおじさま』ことオルヴ侯爵だ。
侯爵が驚くのも無理はないだろう。ディアスカーラの双翼は軽々と雲海を超え、空の高みにさえ達してしまうのだから。
「おじさま、大丈夫ですか? もっと低く飛んだほうが良ければ、私からカーラにそうお願いしますが」
「ああ―――いや、その必要はない。落下速度だけなら自力で制御できるからな。むしろ高度があったほうが安全なぐらいだ」
オルヴ伯爵は『魔術卿』の異名を持つ人だ。その異名に相応しく様々な魔術を修得しているそうで、その中には【落下制御】の魔術もある―――という話を、以前一緒に馬車に乗った際に聞いたことがある。
【落下制御】は簡単に言えば『落下速度を凄く遅くできる』効果がある魔術だ。シズが持つ浮遊や飛行の能力のように、浮き上がることはできないらしいけれど。この魔術を行使すれば重力加速度を無視して、どんな高さからでも安全に着地することが可能になる。
但し―――この魔術は落下速度を遅くできるだけなので、慣性まで無視できるというわけではない。
かなりの速度を出して飛行しているディアスカーラの背から落ちた場合、落下の速度だけは遅くできても水平方向への慣性はそのままになるため、安全に着地できるとは限らないわけだ。
先程オルヴ侯爵が『高度があったほうが安全なぐらいだ』と告げたのは、充分な高さがあれば空気抵抗のお陰で、着地までに慣性を殺しきれるからだろう。
「それにしても。まさか天使のお嬢さんが、1時間半で魔軍を撃退できてしまうほどに精鋭揃いのクランの主で、更には竜まで友としているとは……。
私は天使のお嬢さんのことを、今まで本当に何も知らなかったのだな」
「あ、あはは……」
同じ竜の背という近い距離から、オルヴ侯爵にそう告げられて。
……なんとなく気まずくて、思わずシズは視線を逸らしてしまう。
別に隠していたわけではない。そもそもシズだってオルヴ侯爵のことについて、特に詳しいわけでもないし。自分のことを話すような機会が、単に今まで無かったというだけだ。
―――ちなみに、高速で空を翔ける竜の背の上でも普通に会話することができるのは、ユーリが精霊魔法でシズ達の周囲に風の障壁を展開してくれているからだ。
この魔法が無ければ風の音が凄くて、全く会話なんてできはしないだろう。
『ひとつ訂正させて貰うが。儂は別にシズの友人というわけではないぞ?』
背中の上でシズ達がしていた会話を聞いていたらしく、ディアスカーラが念話でそうシズ達に語りかけてくる。
その言葉を受けて、オルヴ伯爵は意外そうな顔をしてみせた。
「ほう、そうなのですか? 竜がそう簡単に人族を背に乗せてくれるとも思えないですから、相当に懇意な関係なのかと思ったのですが」
『その推測自体は正しいが、儂はシズの友ではなく『恋人』のひとりじゃからな。大事なことゆえ、そこのところは間違えて欲しくないのう』
「ほほう……! それは興味深い話ですな……!」
にやにやとした顔でオルヴ侯爵から見つめられ、シズは先程よりも一層判りやすく視線を逸らす。
竜と人族が『恋人』の関係になるというのが、興味深いことなのは判る。
判るけれど……流石に、そこまであからさま過ぎる好奇の視線を向けられると、シズとしては反応に困るものがあった。
(カーラが女性だと知ったら、更に好奇の視線を向けられそうだなあ……)
そう思い、シズは内心で苦笑してしまう。
竜の姿である間は、ディアスカーラの性別は判別しづらいけれど。目的地に到着した後などに、彼女が『人化』によって人の姿をとれば、その本質が『女性』であることは誰の目からも明らかになる。
もし、その時により強い好奇の視線を向けられるようなら―――オルヴ侯爵には申し訳ないけれど、徹底的に無視させて貰おうかな。うん。
『儂はディアスカーラという。お主の名は何というのじゃ?』
「おお、これは失礼を致しました。私はオルヴ・フォーラッド。ファトランド王国に忠誠を誓っております、フォーラッド侯爵家の当主です」
『ふむ。その格好で予想はついていたが、やはり貴族か』
オルヴ侯爵が着ている衣服は、周囲にいかにも『紳士』といった印象を与える、高級感と正装感の両方が伴うものだ。
こんな衣装を普段から身に付けている人など『貴族』以外にいる筈もない。
『恋人の頼みゆえ、背には乗せてやったが。そもそもオルヴとやらは、何のためにシズと行動を共にしておるのじゃ?』
「ああ―――それは使節役というか、簡単に言えば隣国への事情説明役ですね。
国家間を接続する『転移門』を利用するのであればともかく、空から直接相手の国土に入るというのは、下手をするとトラブルの元になりかねません。あくまでもフォートランド連合王国からの援軍要請に応じた派兵であると、相手国の指揮官に説明できる立場の人間が同行しておいたほうが良いでしょう」
『……ふうむ、なるほどのう』
「あ、なるほど。そういう事情だったんですね」
オルヴ侯爵の説明を聞いて、イズミが納得したようにそう言葉を零す。
シズもまた同じく内心で得心していた。なぜオルヴ侯爵が同行したいと言ってきたのか、その理由までは特に聞いていなかったからだ。
「まあ、あとはコレを持ってくるため、というのもある」
そう告げて、オルヴ侯爵が『インベントリ』から1つの長物を取り出す。
数メートルの長さがある棒に、装飾が施された布が巻き付いたものだ。
『それは国旗か? いや―――おそらくは軍旗か』
「左様です。これを掲げていれば我々の立場を誤解されることも無いでしょう」
『なるほど、そういうことか。確かに儂が竜の姿のまま近寄れば、魔軍から侵攻を受けている集落の者達は、敵側の増援と考えそうじゃからのう』
そう告げて、ディアスカーラはくくっと噛み殺すように笑ってみせた。
竜は『精霊』の一種であり、断じて『魔物』ではない。
無いのだけれど―――その事実はユーリのような〈精霊使い〉にとっては常識であっても、一般的にはあまり知られてはいないのだ。
魔軍を退けているフォートランド連合王国軍の人達が、空から接近する竜の姿に気づいたなら。彼らがそれを『魔軍の増援』だと認識するのは有り得る話だ。
それこそ集落の中や付近に降りようとすれば、防衛の弓兵から一斉射撃を受けるようなことさえ、充分に考えられた。
―――けれど、竜に騎乗している人物が大きな旗を掲げていて。
それが同盟国の軍旗であるなら、魔軍側の増援ではなく、同盟国からの援軍だと遠目にも伝えることができるというわけだ。
「私は天使のお嬢さんのことは信頼しているが。申し訳ないが当国の軍規として、国旗や軍旗は軍部以外の人間に預けてはならないと決められていてね。
だから、この旗をお嬢さんに預けるわけにもいかず、私も一緒に竜へ同乗させて貰ったというわけさ」
「そうだったんですね……。それは、わざわざ私達のために済みません」
シズが率直に頭を下げると。オルヴ侯爵は少しだけ決まりの悪そうな顔をしながら、微笑んでみせた。
「感謝には及ばない。そもそも隣国への援軍自体、我々がお願いしたことだしね。むしろお嬢さんのクランの派兵が恙無く行えるように最大限の努力をすることは、当国の責務であると言えよう」
『ちゃんとシズ達には、充分な報酬も払ってやるのじゃぞ?』
「無論です。侯爵家の当主として、お約束致しましょう」
ディアスカーラの言葉に、楽しげに笑いながらそう答えるオルヴ侯爵。
一体どの程度の報酬を後で貰えるのか知らないけれど。沢山のお金が貰えれば、それだけクランの皆にも喜んでもらえるだろうし。多い分には良いことだろう。
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