202. 夜を翔ける
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一旦ログアウトして皆で一緒に夕食を摂る。
本日の献立はチキン南蛮と鶏つくね。どちらも鶏肉料理で被っているし、何なら『照り』を出す料理という点でも被っているわけだけれど。
チキン南蛮が甘酢で調味してタルタルソースを乗せるのに対して、鶏つくねの方は甘辛い味付けに仕上げてあるから。味の対比という点では、充分に面白いものに出来ていると思う。
少なくとも『ご飯のお供』という意味では、充分な役割を果たすはずだ。
実際、振る舞った皆からはとても良い評価を貰うことができた。
鶏胸肉と鶏挽き肉を使った料理なので、材料費も安く抑えられた筈だ。
……とはいえ、別荘の冷蔵庫内に備蓄されているお肉は、いつも雫がスーパーで買うものに較べれば、多分格段に高級なものではあるんだろうけれど。
夕食を終えて軽くストレッチも済ませてから、再び『プレアリス・オンライン』のゲーム内へとログインすると。すっかり空には夜の帳が降りていた。
気温も日中とは違って、だいぶ涼し気なものになっているようだ。
もっとも、ゲーム内では暑さや寒さを苦痛に感じることが無いので、別に暑さが残っていても構わなくはあるのだけれど。
「それじゃ、移動しよっか」
「はい、シズお姉さま」
森都アクラスの南門を出た後、シズは皆に向けてそう声を掛ける。
目的地はシズ達が滞在しているファトランド王国に於ける『魔軍侵攻』イベント対象地の『ソレット村』。
現在地の森都アクラスからは、まず南に10kmの位置にある『ミーロ村』まで移動して、そこから更に西へ15km移動することになる。
25kmとなると結構な距離だけれど、〈聖翼種の飛行能力〉のスキルを修得している現在のシズなら、通常の浮遊の2倍の速度―――つまり『時速30km』の倍で『時速60km』の速度で空を翔けることが可能だ。
2分間飛行したら10秒間地面に着地しないと、また再び飛ぶことはできないけれど。それでも信号待ちなどが一切無い異世界でなら、現代の自動車より効率的に飛ぶことができそうだ。
「一応、直線距離で移動することもできるけれど……どうする?」
空へ飛翔する前に、まずシズは皆にそう問いかけた。
街道沿いに進めば25km掛かる道程だけれど、もし森の上空を突っ切って直接ソレット村を目指すなら―――えっと『c²=a²+b²』だから―――大体18kmぐらいまで、移動距離を短縮することができる。
林冠を掻き分けて離着陸を繰り返す必要があるのが、少し面倒ではあるけれど。大幅な時間短縮ができるのは、間違いない事実だ。
「そんなに急ぐ必要も、無いんじゃないかな」
「まだ確認していないルートの採用には、幾許かの不安もございますし」
「そうですね。ゆっくり街道付近を飛ぶほうが面倒がないかと」
すると、皆の意見はあっさり一致していた。
イベントを明日に控えている現状で、移動の際にトラブルが生じるのは好ましくない。確かにそれを思うと、街道沿いを移動するほうが無難だろう。
というわけで、シズ達一行は森都アクラスから真っ直ぐ南へと飛び、ミーロ村を目指すことにする。
そして―――空へ舞い上がった後にすぐ、ひとつのことに気づいた。
『赤い、柱が……』
パーティチャットでイズミが零した言葉が、皆の気もちを代弁する。
南西の方角の離れた場所に、赤くて細い光の柱が降りているのが。空へ上がったことで遮蔽物がなくなると、とてもよく見えたからだ。
『光の柱』とは言っても、それは決して好ましく見えるものではない。
とても―――禍々しい色味を帯びた『赤』の柱。それが夜闇の深さに溶けるかのように、不吉に煌めいていた。
『おそらく、あの場所にソレット村があるのでしょうね』
『なるほど……』
ユーリの言葉を聞いて、シズは得心する。
つまりあの光の柱は、魔軍の侵攻先の地点を示す目印なわけだ。
『魔軍侵攻』イベントでは、ゲーム内の世界の国家ごとに1つの小都市や村落がランダムに選出され、明日から魔物達の侵攻対象となる。
国土の大半が背の高い樹木に埋め尽くされているファトランド王国では、あまりこの光の柱が見えることは無いわけだけれど。
おそらく他国で侵攻対象となった都市は、その国に住まう人達の目からも、よく見えてしまうのだろうな……と思った。
『我々にとってはゲーム内で発生するイベントの1つでしか無いが。この世界に住む人達にとっては、全く別の意味合いを持つのだろうね』
脳内に響いたエリカの言葉にも、少し考えさせられるものがある。
この世界に住む人達はゲームの『NPC』なので、全てコンピュータの『AI』が動作させている筈なのだけれど―――。
(……とてもではないけれど、全くそうは思えないんだよね)
シズは内心で、そう思わずにはいられなかった。
今までに、この世界で交流してきた人達。例えば、錬金術師ギルドのナディアやマレッド、掃討者ギルドのゴーリキやサラ、『憩いの月湯亭』の主であるミレイユに、ダンディなおじさまことオルヴ侯爵、それから緑竜のディアスカーラ―――。
彼らの誰ひとりとっても、それが『AI』が全てを制御する『NPC』だとは、到底思えないものがあるからだ。
むしろ、今までにシズが知り合ってきたNPCの人達全員が、実はAIではなくプレイヤーによって操作されている、と。
そのように説明された方が、よっぽど納得できそうにさえ思えた。
『わたくし達で、少しでもお力になれたなら良いですわね」
『ん……。そうだね、その通りだ』
プラムが告げた言葉に、シズは強く同意する。
ソレット村は森都アクラスからたったの25kmしか離れていない。
そんな親しい場所にある村落が、もし魔物の侵攻によって陥落するようなことがあれば。森都アクラスに住まう人達は、誰しもが不安を覚えることになるだろう。
―――その不安を取り除くことに、少しでも役立てたなら嬉しい。
ゲームのイベントを消化するというよりも、そちらの意識のほうが、正直シズの中ではずっと大きかった。
途中で何度か街道に着地しながら、シズ達は夜を翔けていく。
飛行中にはあまり高さを稼がず、森の木々より気持ち高いぐらいの高度を維持するように気をつける。
そうしなければ夜闇の中では、自分たちの下に伸びている街道の存在を、すぐに見失ってしまいそうだからだ。
まあ、仮に見失ったとしても―――過去に何度も訪れたことがあるミーロ村までの道程なら、ゲーム内機能の『マップ』に記録されているので、迷うことは無いのだけれどね。
ちなみに、街道自体は夜闇の中では殆ど見えなくても、その街道上を走る馬車の御者台に灯っている松明の灯りは、上空からでもよく見えるようだ。
もう夜の8時は超えている筈なのだけれど―――こんな時間でも、案外交通量があるのだなと、シズは少し驚かされるものがあった。
もちろん空を翔けるシズ達は、街道を走る馬車を簡単に追い越してしまう。
時速60kmの速度が出るというのは、伊達ではないのだ。
ちなみに飛行中はユーリが風の精霊魔法を行使して、シズ達の周囲に障壁のようなものを展開してくれていて。そのお陰で、風圧は殆ど気にならない。
多分この障壁がなかったなら、時速60kmで空を飛ぶというのは、相当に辛いことだったろうと今更ながらに思う。
15分ちょっとの時間を掛けてミーロ村へと到着したシズ達は、そのまま村の中には入らず、今度は西に向かって飛翔する。
ここから先は、シズ達もまだ行ったことが無い場所だ。当然『マップ』の機能にも、その道程は記録されていないわけだけれど―――。
とはいえ、ソレット村の中心から伸びるように、細くて赤い『光の柱』が立っているから。目的地がある場所は、容易に見て取ることができた。
『流石に、こちらの街道には馬車が全然通っていませんね』
『そうだね……』
森都アクラスからミーロ村を繋ぐ街道では、どちらの方向からもそれなりの量の馬車が通っていたように思うのだけれど。
現在シズ達が上空を飛行している、ミーロ村とソレット村を繋ぐ街道では、馬車が灯している松明の光のようなものが一切確認できなかった。
元々ソレット村は交通上で行き止まりの場所にあるから、街道を利用する馬車は少ないのかもしれないけれど……。
とはいえ、通行量がゼロというのは、流石に行き過ぎている。
『やはり侵攻があるような場所は、商人の方も恐れて近寄らないのでしょうね』
溜息交じりにユーリがつぶやいたその言葉は、真理をついたものだろう。
『魔軍侵攻』イベントの対象となった集落の近くでは、一時的に普段よりも強力な魔物が棲息するようになると、以前に運営から告知されたことがある。
商人がわざわざ、好ましくないリスクを受け容れる筈もないからだ。
ソレット村はミーロ村としか交易路が接続していない。
なので、その交易路上での商人の行き交いが途絶えれば、ソレット村は外部との接触手段を失うことになる。当然、村落で作った作物は外部に輸出できない状況が続いているだろうし、また村外から物資が入ってくることも無いだろう。
おそらく、村の人達はとても困っている筈だ。
ならば、その憂いを除くために、出来るだけのことをしよう―――。
そう心の中で強く思いながら、シズは愛する仲間と共に夜を翔けた。
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