201. 吝嗇
*
適当なところで霊薬の調合作業を切り上げたシズは、錬金術師ギルド1階のカウンターで『工房』の利用終了手続きを行う。
時刻は17時。そろそろ夕方と言っても良い時間帯かもしれないけれど、夏場の今は陽が沈むのが遅いため、まだまだ日中という印象だ。
現実とは違い、この世界では暑い日差しの中を出歩いても不快感を覚えることが無いし、熱中症のリスクもない。
なのでシズは森都アクラスの中心部を、適当にぶらぶらすることにした。
中心部のような人通りが多い場所では、ところどころに露店が立っている。
露店で最も売られていることが多いのは、穀物や野菜などの食料品だ。
おそらくは周辺の村落に住む農夫の人達が作物を持ち込んで、お金を得るために商っているのだろう。
また、他にも日用品や雑貨、衣類や鞄や布帛、工芸品、化粧品、武具、酒など、実に様々な物品を商う露店が、通りには点在していた。
その中でも、シズのお目当ては『すぐに食べられる調理品』を販売するものだ。
具体的には焼き菓子やパン、飲料などを売る露店が該当する。
この世界では食品や飲料がそのまま『HPやMPの回復アイテム』となるから、パーティの回復役を担う〔操具師〕のシズは、それらの物品を潤沢に取り揃えておく必要があるのだ。
もちろんインベントリの中には、まだ結構な量の菓子が備蓄されているけれど。それでも『魔軍侵攻』イベントの防衛戦で大量に消費する可能性がある以上、なるべく余裕を持った量を今のうちに確保しておきたいという思惑があった。
(できればクッキーとかが良いかなー)
目抜き通りに散見される露店をひとつひとつ見て回りながら、シズは内心でそう思う。
クッキーのように一口か二口で食べられる菓子は、戦闘中に食べるのにも都合が良いからだ。
それに、小さな菓子は食べた際に満腹度が増える量が少なくて済む。
〈食養術〉のスキルを持つシズは、満腹度の増加量を抑えることができるので、小さな菓子なら満腹度の増加を『0』に抑えられることも多い。
その場合は文字通り、手持ちの菓子が無くならない限りは『無限に』食べ続けることができるから、『魔軍侵攻』イベントのように長期戦が想定される場合だと、継戦能力という面でも都合が良いのだ。
それからシズは20分ほど、都市中心部近辺で見かけた露店を総当りしてみたのだけれど。残念ながら、あまり良さそうな品揃えの露店は発見できなかった。
そもそも菓子や飲料などを売っている露店自体が、あまり多くないようなのだ。
多分そういう店は、皆の財布の紐が緩くなる『露店市』に出店するのだろう。
(今日は金曜なんだよねえ……)
森都アクラスの都市中央にある広場で『露店市』が開催されるのは、週末土日の2日間だけだ。
金曜日の今日は、残念ながら『露店市』が立つ日ではない。
明日まで待てば市が立つだろうけれど―――。『魔軍侵攻』イベントの開始日も明日からである以上、それを待てるほどの猶予は無さそうだ。
《もう普通にお店で買ったほうが良いんじゃない?》
「そうだね、そうしようかな……」
配信妖精が読み上げた誰かからのコメントに、疲れた顔でシズも同意する。
菓子やパン、それから飲料などは、当然ながら都市内にあるちゃんとした商店でも購入することができる。
持ち帰り専用の販売店もあるし、そうでない飲食店でも客から求められたなら、テイクアウトには対応してくれるのが一般的だ。
じゃあ、どうして最初からそういう店で買わないのかというと―――。
これはもう、単純に『お値段が高いから』という一言に尽きる。露店で売られている菓子に比べると、商店で買う菓子は倍以上の値段がすることも多いのだ。
もちろん、そのぶん品質は高く、商店で買う菓子のほうがHPやMPの回復量に優れていることが多いんだけれど……。
〈食養術〉のスキルで回復量を押し上げることができるシズからすると、低質でも安価な菓子を沢山購入するほうが、何かと都合が良かったりもするのだ。
というわけで、シズは過去に何度か利用したことがある菓子販売の商店に入り、クッキーやサブレなどが沢山入った箱を6つほど購入した。
陳列された菓子は高価なものが多いけれど、それでもビスケット類が50枚ぐらい詰め込まれた箱などは、流石にお求めやすい価格になっている。
なのでシズは普段から商店でも、この手の商品だけはよく購入していた。
……まあ、この手の箱にびっしり入ったビスケットの類は、味に少々飽きつつもあるから。できれば他の菓子のほうが良かったりもするのだけれど。
「いつもありがとうございます。お嬢様はビスケットがお好きなのですな」
手早く会計を済ませた後に、店員の男性がそう話しかけてきた。
白髪と白い髭が目を引く、スマートな体型をした初老の男性だ。シズがこの店で買い物をする時は、いつも店番に立っているのを覚えている。
『お嬢様』と呼ばれたことに、軽く驚くけれど。なるほど、いかにも『老紳士』らしい物言いだと思えば、却って納得できるものもあった。
「……ええっと。そ、そうですね。手軽に食べられる部分が気に入っています」
「ふむ……」
老紳士から会計のやり取り以外で話しかけられたのは初めてだったものだから。少しだけ焦りに似た気持ちを覚えながら、シズはそう答える。
……もちろん焦りを覚える理由のひとつには、本当はビスケットがあまり好きでないということもある。
いや、ビスケット自体が嫌いというわけではないけれど。流石にこうも同じものばかりを食べていると飽きが来て、あまり好きではなくなってしまうのだ。
「お客様、少々お待ち頂けますか」
「えっ? あ、はい」
シズにそう告げると、初老の男性は一度お店の奥の方へと引っ込んで。
2分ほど待っていると、ほどなくシズが待つ会計カウンターへと戻ってきた。
それから初老の男性は、シズの手にひとつの紙袋を差し出してくる。
受け取った瞬間に、それなりの重さを感じた。
おそらくビスケットの箱に換算して、3~4箱ぶんぐらいの重量はありそうだ。
「こちらは当店で来月から販売する商品の試作品です。常連のお客様にサービスしておりますので、是非ともお持ち下さい」
「……貰っちゃっていいんですか?」
「はい。次のご来店時にでも、是非感想をお聞かせ下さい」
人好きのする柔和な笑顔で、初老の男性がそう告げる。
祖父と同じぐらいの年齢の男性から勧められると、シズとしても拒みにくいものがあるから。素直に有り難く受け取らせてもらうことにした。
「何だかすみません……。いつも安いものしか買ってないのに」
「とんでもありません。またいつでもご来店下さい」
店を出た後に、ようやくシズは緊張を解く。
『ダンディなおじさま』こと、オルヴ侯爵もそうだけれど。いかにも『紳士』な男性といると、どうしても緊張感を覚えずにはいられないものがあった。
(一体、どんな試作品をくれたんだろう……?)
そのことがどうしても気になって―――。
シズは1時間前まで利用していた『錬金術師ギルド』へと戻り、再び『工房』の個室を借り受けてから。その室内で頂いた紙袋の中を確認することにした。
紙袋の中に入っていたのは、クッキーのものより一回り大きい箱が2つ。
そのうちの1つには、やや小ぶりなアップルパイがホールで入っていた。
8つにカットされているので、そのまま美味しく食べられそうだ。
「わ……!」
もう1つのほうも開けてみると、こちらの箱には半分にドーナツが、もう半分には薄い紙の袋で個包装された何かがぎっしりと入っていた。
ドーナツは砂糖がまぶされたものと、チョコレートでコーティングされたものの2種類があるようだ。
この世界に『チョコレート』が普通に存在する事実を初めて知って、まずシズはそのことに驚かされる。
もう半分の薄い紙の袋に包まれたものを、1つ指先で破って開封してみると。
こちらにはビスケットが―――いや、ただのビスケットではなく、何と『フロランティーヌ』が入っていた。
いわゆる『フロランタン』とも呼ばれるもので、ビスケット生地の上にスライスしたナッツを並べて、カラメルでコーティングして焼き上げた菓子だ。
当然ながら普通のビスケットに較べると、調理にはかなりの手間を要する。
こんなに良いものをプレゼントしてくれたことに、改めてシズは感謝の気持ちで一杯になった。
「うわ、美味しい……!」
開封した分だけは食べようと思い、口の中に入れると。
ナッツの風味と香ばしい食感が相まって、とても美味しかった。
これほどの出来ならたとえ高価でも、リピーターが続出することだろう。
(正式に販売される来月以降に、何度も買いに行かないと)
感謝とともに、内心でシズはそう決意する。
そもそも―――別にシズは、お金に困っているわけではない。
むしろ霊薬の販売で荒稼ぎしていることを思うと、簡単には使い切れないほどの大金を持ってさえいるのだから。別に安価な菓子ばかりを買い求める必要なんて、最初から全く無かったりするのだ。
じゃあ、どうして吝嗇をしてしまうのかというと。
これは……単にシズの性格の問題に他ならない。
うん、1人暮らしをしているとね……。どうしても無意識に、出費を抑えようという心理が働くようになってしまうんだよね……。
-
うっかり昨日書き忘れておりましたが、無事に200話まで書くことができました。
これも全て、いつもお読み下さっている皆様のお陰です。ありがとうございます。
今後とも宜しくお付き合い頂けましたら幸いです。
ブックマークや評価を下さっております方も、いつもありがとうございます。
大変に励みになっております。あと誤字修正の放置申し訳ありません……。




