197. 自宅に無い調理器具は使ってみたくなる
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夜に『強化遠征』のイベントへ参加した、その翌日。
雫が目を覚ましたのは、間もなく午前の8時になろうかという頃合いだった。
(け、結構寝ちゃったなあ……)
ベッド脇に置いているスマホで時間を確認して、まずその事実に驚かされる。
普段の雫なら朝の6時頃には、自然と目を覚ますことが殆どだからだ。
よほど前の晩に夜更かししていた場合でも、朝7時を超えて起きることなんて、まず有りはしないのだけれど……。
それが今日に限って既に8時というのだから、自分のことながら驚きだ。
とはいえ―――理由はある程度、察せなくもない。
要はそれだけ、深い眠りに陥っていたということだろう。
やはり現実の『3時間』という間に、実に48倍にも相当する『144時間』ぶんもの体感時間を得るというのは、それなりに負担が掛かる行為なのだろう。
もちろんVRヘッドセット機器の開発メーカーでも、充分なテストを行っている筈だから。体感時間の拡大は、身体上では何の問題も無いのかもしれないが。
それでも―――おそらく精神的な疲労までは、その限りではない。
実際、昨晩ゲームからログアウトした後などは、もう何もする気が起きなかったのを覚えている。
友梨と梅と一心、そして江里佳と九重。愛する5人もの子たちと、同じベッドに横になりながらも―――本当に一切何もする気にならなかったのは、初めてのことかもしれなかった。
それに……彼女たちの側からもまた、何を求めてくることも無かったから。
多分この疲労は雫だけでなく、皆も共通して感じていたものだと思う。
ちなみに一晩ぐっすり寝た今となっては、もう昨晩に感じられていた疲労らしきものは、何ひとつ意識できなくなっていた。
どうやら精神的な疲労は、しっかり眠れば簡単に抜け落ちるものらしい。
とりあえず雫は、皆を起こしてしまわないように気をつけながらベッドを抜け出し、寝室を後にする。
居間に移動してから、カーテンを開けてぼんやり窓の外を見遣ると。
いかにも夏を感じさせる強い日差しが、別荘の庭を明るく照らし出していた。
(……この時間からジョギングに行くのもなあ)
そろそろ8月に入ろうかという今頃は、日中の気温がすぐに高くなる。
普段目を覚ます6時頃ならまだ暑さはそれほどでもなく、良い気分で外を走れるのだけれど。午前8時になろうかという今の時刻では、そうもいかないだろう。
別にダイエット目的でジョギングをしているわけではないから、かなり汗をかくと判っていてまで、わざわざ外へ走りに行こうとも思わなかった。
「とりあえず、朝ごはんでも作ろうかな……」
誰にともなく、居間の中で雫はそう独りごちて。
それからキッチンの方へと、ゆっくり歩いて移動した。
普段から雫と起きる時間がほぼ変わらない一心と九重の2人は、おそらく1時間と経たないうちに起きてくるだろう。
友梨も多分、起きるのが午前10時を過ぎることは無い筈だ。
梅と江里佳の2人は……うん、彼女たちは普段から起きるのが結構遅めだから、今日なんかはそれこそ午後になるまでまず起きてはこなさそうだ。
というわけで、朝食は4人分を準備しておけば良さそうだ。
昼食をガッツリ食べられる感じのものにすれば、遅れて起きてくる梅と江里佳の2人にも満足してもらえるだろう。
(朝食は軽めにしよう)
何か無いかなーとキッチンの中を見回していると、色々取り揃えられている調理器具の中に、コンロで使うタイプのホットサンドメーカーを発見した。
焼いた食パンはお手軽に満腹感が得られるけれど、それほど腹持ちが良いわけではないから。今日みたいな朝の食事には、ちょうど良いかもしれない。
それに……別荘の中に用意されている食材は、どれも普段の雫が購入しているのより、明らかにランクが高いものばかりだ。
特に卵が顕著で、明らかに雫が利用しているようなスーパーには置かれていないような、高級なものが平然と用意されている。
この高級な卵を使って『たまごサンド』を作ったら美味しいだろうな―――と、実は何日も前から思っていたりしたのだ。
というわけで、まずは鍋に湯を沸かして、ゆで卵から作り始める。
投入した卵の数は全部で8個。サンドイッチ用として売られているやや小さめのパンなら、たまごサンドを1つ作るのにゆで卵1つでも充分なのだけれど。今回はホットサンドにする関係で普通の食パンを使うから、卵は1人前あたり倍の2個を使うことにした。
ホットサンドメーカーで調理すると食パンがカリッとした食感に仕上がるので、間にふんわりとした充分な量の卵の層を作るほうが、食感の違いが作り出せて美味しくなるだろうとも思うしね。
(レタスも挟もうかな)
ふと、雫はそう思う。
卵だけのホットサンドを作るつもりだったけれど、食感の違いを作るならレタスも入れてシャキシャキ感をプラスするのも面白いだろう。
「お、おはようございます、ご主人さま! 遅くなってすみません!」
卵を茹でながらそんなことを考えていると、不意に掛けられた声があった。
九重だ。慌てた様子の彼女に、雫は優しく微笑みかける。
「おはよう、九重。もっとゆっくりでもいいんだよ?」
「い、いえ、そういうわけには……。あ、朝食はゆで卵ですか?」
鍋の中で沢山の卵を茹でているのを見て、九重がそう問いかけてくる。
まあ、ここだけ見たら、そう思うのも無理はない。
「ううん、たまごサンドを作ろうと思ってる。手伝ってくれる?」
「もちろんです! あ、ホットサンドメーカーを準備されていますね」
「うん。まだ使ったことが無いから、見かけたら使ってみたくなっちゃってね」
「いいですね! 僕もまだ触った経験が無いので、使ってみたいです」
「それなら、ホットサンドメーカーはもう1つあったから、今のうちに洗って用意しちゃうといいかも」
「分かりました。他にも必要そうなものを用意しておきますね」
念入りに手を洗って準備を済ませた九重が、まずホットサンドメーカーを用意してから、更にまな板やボウル、フォークやスプーンなどの道具類や、マヨネーズに塩コショウといった調味料まで手早く準備してくれた。
九重は普段から料理を嗜んでいるから、何を作るのか伝えるだけで、他に何も言わなくても必要なものを率先して用意してくれる。
だから彼女が料理を手伝ってくれると、それだけでとても楽ができるのだ。
「具材はタマゴ以外にも何か挟みますか?」
「レタスぐらいは入れようかなって」
「じゃあ、適当にちぎっておきますね。マスタードはどうしますか?」
「今回は無しで」
たまごサンドはマスタードを入れても美味しい。
でも、今回はたっぷりのタマゴとマヨネーズだけで味を整えるつもりだ。
……うん、何しろこの別荘に用意されているものは、きっちりマヨネーズに至るまで高級品だからね。
高級なタマゴと高級なマヨネーズの相性を考えるだけで絶対に美味しそうだし。そこにマスタードまで加えるというのは、ちょっと蛇足のように思えたのだ。
「白身をお願いしていい?」
「はい、任せて下さい」
茹で上がった8個のタマゴからスプーンで黄身の部分だけをくり抜き、ボウルの中へ投入して。残った白身の部分はそのまま九重のほうへと渡す。
九重はそれをまな板の上に置いて、手際よくみじん切りにしていく。
その間に雫は、卵8個分の黄身をフォークで潰してから、更にボウルの中にマヨネーズも投入して混ぜていく。
あとは九重がみじん切りにしてくれた白身の部分もボウル内に投入して、そちらも混ぜてしまえば、たまごサンドの中身はほぼ完成だ。
棚から未開封品の食パンを取り出し、1枚の上にタマゴとマヨネーズを和えたものを広げるように塗り、レタスも乗せてから別の食パンで挟む。
特にレタスは食パンの端から飛び出さないよう、やや内側寄りに配置した。
レタスは温かくても美味しい食材だけれど、鉄板などで直に熱されれば、すぐに不味くなってしまうからだ。
逆に、タマゴの部分に関しては多少はみ出しても問題ないので、たっぷりの量をパンの間に挟み込んだ。
片面を2分間ほど焼いたら、ホットサンドメーカーごと裏返してもう片面からも2分間焼いて。
これだけでもう出来上がり。元々生でも食べられるものなので、火にかける時間は割と適当にやっていたりする。
4人分を焼き終わったら、最後に包丁で見栄え良くカットして皿に盛り付けた。
「わ、素敵ですね!」
「とても美味しそうです」
出来立てのたまごサンドを、まだ熱い内に居間へと運ぶと。
既に起きていた友梨と一心の2人が、嬉しそうにそう言葉を零した。
もちろん実際に食べてもらった上で、味についても大変に好評だった。
まあ、たまごサンドなんて、美味しく作らないほうが難しいんだけどね。
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お読み下さりありがとうございました。




