18. 投げ銭
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雫は『料理』はしないけれど『自炊』は好きだ。
―――と言っちゃうと、日本語として変だって突っ込まれそうだけど。
要は自分のお腹を満たせる程度の、簡単な食べ物を調理するのは好きだけれど。それは『料理』と言えるほど、ちゃんとしたものではないということだ。
20cmの小さいフライパンにちょっと多めの油を引き、冷凍のハッシュポテトを2枚並べて焼く。
ハッシュポテトと言えば普通はたっぷりの油で揚げるわけだけれど。フライパンに少量の油を引き『揚げ焼き』にして、カリカリに仕上げたものが雫は食感的にとても気に入っていた。
ちなみにこれは業務用のスーパーで纏め売りされている、ベルギー産の安価なものだ。1枚あたり30円ぐらいと大変にリーズナブルなのも嬉しい。
別に貧乏なわけではないけれど、それはそれとして節約は好きなのだ。
ハッシュポテトは中までしっかり火を通すには、どうしても時間が掛かる。
なのでこちらのフライパンは放置して、コンロの別口に20cmのフライパンをもうひとつ設置し、そちらで冷凍のカットタマネギと刻み青ネギを炒め始めた。
時折具材を混ぜながら、傍らで電気ポットに水を入れてスイッチをオンにする。
冷蔵庫に作り置きしてあるサラダストックから、1食分を取り分けて皿に移す。
ついでに片面が焼き上がった頃合いで、ハッシュポテトを裏返した。
冷蔵庫から取り出した卵1個を小さめの器に割り入れ、卵らしい質感が失われない程度に溶き混ぜる。
そうこうしている内に、程良く炒まったタマネギと青ネギをフライパンの端っこに寄せて、全体に溶き卵を流し込む。
卵が焼き固まったらコンロの火を止めて、菜箸と手首のスナップを使って炒めた具材を包み込むことで、簡単なオムレツを作る。
沸き上がったお湯を電気ポットから注いで、インスタントのお味噌汁を作る。
あとは裏面もちょうど焼き上がった頃合いのハッシュポテトも、オムレツと一緒に皿に盛りつければ完成だ。
調理時間は正味、10分強といったところだろうか。
1人分の食事なんてこの程度で充分だと思う。
お世辞にもちゃんとした『料理』とは言えないものだけれど。どうせ食べるのが自分だけだと思うと、あまり頑張ろうという気にはなれない。
(こういう時だけは、ちょっと恋人が欲しくなるよね)
そんなことを思ったりもするけれど。残念ながら、それは難しい望みだ。
雫はネット上でこそ気軽に、同性愛者であることを誰にでもカミングアウトしているけれど。現実では家族にも友人にも、誰にもその事実を明かしたことはない。
家族も友人も、どちらも大切な相手だけれど。大切だからこそ、雫の本性を知ることで、彼らが向けてくる視線が変質するのではないかと思うと……怖いのだ。
(いっそ、ユーリちゃんが私の恋人になってくれればなあ……)
なんてことも、正直思ったりはするけれど。
小学生を相手に恋愛関係を期待するのは、危険な考えだろうか。
雫は決して『鈍い』ほうではない。……少なくとも自分ではそう思っている。
だから―――もちろん気付いていた。
先日『リリシア・サロン』でディープキスを交わして以来、ユーリがシズへと向けてくる視線の中に、何か特別な好意が籠められていることに。
好意を持たれること自体は、率直に嬉しいと思う。
でも……正直、どう対応すればいいのかは、判らないでいる。
雫にとっての恋愛とは、沢山の女性に対して自分が一方的に好意を抱くだけのものだったから。逆に自分の側が、誰かから好意を向けられるなんて経験は、今までにただ一度さえ無かったのだ。
(……ま、とりあえずは現状維持しかないかなあ)
あくまでも現時点では、好意を含んだ視線を向けられているだけなのだから。
この段階でシズの側から何か、リアクションを返せる筈も無い。
もしユーリから告白でもされれば別だけれど―――。
そんなことになる可能性は低いだろうと、シズは思っている。
理由は単純で、シズとユーリはどちらもタチを自認しているからだ。
タチ同士のカップルが、あまり上手くいくとは思えなかった。
更に言えばシズが気の多いポリガミーなのに対し、ユーリは一途なモノガミーなので、それぞれが恋人に求める関係性の質も全く異なっている。
どう考えてもユーリの相手として、シズは不適格だろう。
*
「シズお姉さまっ!」
「わっ」
食事と洗い物を終えてから、再び『プレアリス・オンライン』のゲーム内世界へと戻ると。即座に左腕にしがみつかれて、シズは驚かされる。
抱き付いてきたのは、もちろんユーリだ。どうやらシズよりも早く、彼女はこちらに戻って来ていたらしい。
「ごめんね、ユーリちゃん。待たせちゃったかな」
「いいえ、シズお姉さま。私もいま来たところで―――って、何だかこんな会話をしていると、今からデートするみたいですね」
「あはっ。デートという割には、ちょっと殺伐としているかなあ」
戦闘職のレベルが無事に『2』に上がったシズ達は、これから都市北部に広がる森に棲息する、水蛇という魔物を狩りに行く予定なのだ。
蛇狩りを『デート』と呼ぶのは、ちょっと無理がありそうに思えた。
ちなみに水蛇を狩りに行くのは、この魔物を討伐して得られる『錬金特性』が、ゲームの序盤に有用らしいからだ。
その情報を教えてくれたのは、言うまでもなくラギだ。信頼できる情報なので、シズ達はこの魔物を狩ることを今日の目標に定めていた。
水蛇のレベルは『2』。シズ達もピティ狩りでレベルが『2』に成長しているから、レベル的にもちょうど良い相手だ。
「それじゃ、もう狩りに行く?」
「シズお姉さま。先に『配信』を再開すべきでは?」
「……そうでした」
ユーリに指摘され、慌ててシズがゲームの『配信機能をオン』にすると。
視界内に表示させているログウィンドウに、何かのアナウンスが表示された。
+----+
▲配信時間や視聴者数に応じて得られる経験値の蓄積により
配信妖精のレベルが『1』にアップしました。
今回の配信から、以下の機能が利用可能です。
- 『ギフト』機能
- 『投げ銭』機能
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どうやら『配信』にもレベルというのがあるらしい。
と言っても、別に能力値がアップしたりするわけじゃないだろうけれど。
《おかえりー》
《おか~》
「ただいまー。また配信を再開するね」
お昼ご飯の後にまた再開すると宣言していたからなのか、『配信』を開始するとすぐに視聴者の人が増えはじめる。
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◇配信妖精 Lv.1
この妖精が表示されているプレイヤーは『ゲームを配信中』です。
主にこの妖精視点からの映像が、視聴者には届けられます。
現在の視聴者数:217人
コメントの読み上げ:オン
ギフトと投げ銭:共に受け付ける
+----+
というか、すぐに視聴者が200人を超えたものだから、かなり驚かされた。
別に上手いプレイを見せているわけでも、目新しい情報を出しているわけでも無いのだけれど。何でこんなに見てくれている人がいるんだろう……。
「ユーリちゃん。配信で『ギフト』と『投げ銭』という機能が使えるようになったらしいんだけど……。どういう機能か、知ってる?」
「あら、それは素敵ですね♡」
シズが訊ねると、何故か嬉しそうにユーリはにんまりと笑ってみせる。
「簡単に言えば、どちらも視聴者が配信者に対して何かを贈る時に利用する機能になりますね。『ギフト』はゲーム内で視聴している人が、配信者にゲーム内のアイテムや通貨を贈与する機能のことです」
「へえ、そういう機能があるんだね」
「はい。そして『投げ銭』というのはゲーム内外を問わずに、シズお姉さまの配信を視聴している人達が……。すみません、ちょっとお待ち下さいね」
「………?」
ユーリはそう言って、何かを操作するような素振りをしてみせると。
やがて―――ジャン♪ という効果音が鳴ると同時に、シズが視界に表示させているログウィンドウに、赤色で縁取りされたアナウンスが表示された。
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▲ユーリから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:シズお姉さまへ愛を籠めて♡
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「―――ほわっ⁉」
「うふふ、こういう機能です♡ うーん、18歳未満は1日に1万円までしか投げ銭できない制限があるのですね。残念です……」
……制限が無ければ、一体幾ら投げ銭をするつもりだったんだろう。
知りたいけれど、何だか訊くのが怖くて、口にするのが憚られた。
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▲ラギから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:じゃあ折角だし、私からも贈っておこう。
▲アキから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:では私からも。仕事中だけれど、配信は音声だけ聞いてるよ。
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「えっ、えっ?」
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▲マリンから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:シズ様の配信に、お布施をするのは当然のことです。
▲チセから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:毎日見るので毎日配信してください!
▲プラムから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:コーヒー代にでもして下さいまし♡
▲エリゼから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:良き配信者への支援もまた、貴人の務めというものですわ!
▲ホタルから『¥10000』の投げ銭を受け取りました!
:頑張ってね、お姉ちゃん。
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「ちょわっ⁉ あっ、あっ、あっ」
ジャン♪ という効果音が何度も連続して鳴り響いて、思わずシズは混乱する。
ログウィンドウに記載されている名前を確認してみたところ、投げ銭をしてきているのは、普段よく『リリシア・サロン』で会っている人達だった。
《おお、貢がれていらっしゃる》
《流石はシズお姉さま……》
《既に数多の女性を手に掛けていらっしゃるのですね》
《我々もお布施をせねば》
「待って、待って、誤解だから。あっ、待って、待って……!」
それからも断続的に効果音が鳴り響き続けるものだから、シズはもうどうして良いのか判らなくなった。
どうやら配信を見ている他の視聴者の人達も、面白がって200円~1000円ぐらいの投げ銭をし始めたらしい。
嬉しいけれど……。ゲーム内の通貨ならともかく、現実のお金をこんなに簡単に渡されてしまうのは、嬉しさ以上に申し訳無いという気持ちが先に立った。
「あっ、そうだ。投げ銭の機能をオフにすれば良いんだ……!」
「シズお姉さま。その機能をオフにしてはいけません、いいですね?」
「―――なんで⁉」
シズは即座に抗議の声を上げるけれど。
ユーリはただ、笑顔を浮かべたままこちらを見つめるばかりだ。
「なんでもです、いいですね?」
「い、いやでも……お金は困るって言うか」
「いいですね?」
「………………………………はい」
ユーリから笑顔でそう言われてしまうと、不思議と逆らえない気持ちが生じて。
最終的には、シズの側が簡単に折れてしまうのだった。
《小学生にわからされている……》
《そんなシズお姉さまも、お可愛らしい♡》
とりあえず、コメントは聞こえないことにしようと思った。
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お読み下さりありがとうございました。