118. 榧坂梅
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『プレアリス・オンライン』のゲームを起動すると、ログインした地点はいつも通り『錬金術師ギルド』の正面だった。
昨日は結局、また夜から長らく『工房』に籠ったりしていたから。
随分と生産が捗った一方で、森都アクラスの都市内からは1歩も出なかった。
お陰で戦闘系のデイリークエストも消化できなかったのが、少し残念だ。
とはいえ、新しく作れるようになったプルーフェアはかなりの量産が行えたし、生産職のレベルも久々に1日だけで『3』つも成長している。
最近は生産職のレベルが、随分上がりづらくなったと感じていたから。3レベルも一気に上げられたというのは、かなり嬉しいことだ。
これもプルーフェアの生産で得られる生産経験値の効率が良いお陰だろう。
今のところ、生産材料にも特に苦労していないから。
早めに〈中級霊薬調合〉スキルをランク『10』まで上げて、ベリーポーションの時と同様に20個×2ライン体制で生産できるようにするのが良さそうだ。
「―――おっ」
そんなことを考えていた最中に。
ふとシズは、ログウィンドウに何かの通知が出ていることに気付いた。
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▲あなたが魔力を与えた『竜の卵』が孵ろうとしています。
安全な場所で『インベントリ』から卵を取りだして下さい。
▲初めて卵を孵す際にはスキルポイントが『200』必要です。
+----+
ここ暫く毎日のように魔力を与えていた卵が、もう孵るようだ。
卵を受け取ったのは『海の日』のこと―――つまり16日のことだから、今日でまだ5日しか経っていない。そんなに早く卵って孵るものなのか。
……と一瞬思ってしまったけれど。そもそもシズは、一般的な動物の卵が、大体何日ぐらいで孵るものなのかさえ、全く知らないのだった。
普段からよく食べる鶏卵も、たまーに購入するウズラの卵も、まだ実物が見たことがないガチョウの卵も。孵るところまで知ろうとしたことなど一度も無い。
(『安全な場所』って、どうすればいいんだろう?)
とりあえず、宿屋に部屋でも借りれば良いだろうか。
ちょうど『錬金術師ギルド』の前に居るのだから、『工房』を借りてそこで卵を孵してしまうのも良いかもしれない。
爆発にも耐えられる『工房』の個室は、防音性も高いから。もし生まれたての竜がよく啼くようであっても、あそこなら大丈夫だろう。
(……って、私は『動作テスト』の為にログインしてたんだった)
今回シズは、初瀬川家の別荘に持ち込んだVRヘッドセットが、こちらでも問題無く動作するかチェックする為に一旦ゲームを起動してみただけなのだ。
竜のことは惜しいけれど、あまり長くログインしていては、友梨達を心配させてしまうだろう。
そう思い、雫は速やかにゲームからログアウトした。
「うわっ!?」
「あら、もう戻って来てしまわれましたのね」
ログアウトして現実の身体に意識が戻り、VRヘッドセットを外すと。
雫の顔のすぐ目の前に梅の顔があって、思わず驚かされてしまう。
意識を手放していた間に、キスのひとつでもされていそうな―――そう思えてしまうほど近い距離まで顔が接近していたことを知って、急に動悸が速くなる。
「うふふ♥ ゲームにログイン中のお姉さまは身動き一つ致しませんから、何でもしたい放題ですわね♥」
「わーお、貞操の危険を感じたのは人生で初めてだよ……。これは責任を取って、梅が嫁に貰ってくれないとだね」
「あら、そんな責任でしたら、いつでも大歓迎ですわ」
くすくすと笑い合いながら、雫は居間のソファから身体を起こす。
友梨と一心の2人は、今は少し離席しているようだ。
彼女達も今日この別荘に来たばかりだから、荷物の整理でもしているのだろう。
「―――改めまして、お姉さま。わたくしは榧坂梅と申します。どうぞ今後とも、よろしくお願い致しますわね」
「私は白石雫です。こちらこそ、よろしくね」
ソファに2人横並びに座った状態で、お互いに頭を下げ合って挨拶を交わす。
『プレアリス・オンライン』内での交流で、既に知っていたことだけれど。梅は時に軽口を叩くことはあっても、基本的にはとても礼節を大事にする少女だ。
身に付けているものはゴスロリっぽさのある、黒色のドレスだったりするのに。その割に梅が見せる挙措は、いかにもお嬢様然とした洗練されたもので。
そのギャップもまた、どこか可愛らしく見えてしまって、雫にはただ愛おしい。
ちなみに彼女は好きな相手に対して、まず『尽くしたい』と考える性分らしく、ゲーム内でも何かにつけて世話を焼いてくれることが多いのだけれど。
どうやらそれは現実でも変わらないようで。梅はソファからすっくと立ち上がると、柔和に微笑みながら雫に問いかけてきた。
「お姉さま。お飲み物はいかがなさいますか?」
「ん……。そうだね、何か冷たいものが飲みたいかな」
梅の気持ちを大事にして、ここは素直に甘えることにする。
別荘の邸宅内は充分に冷房が効いているけれど。不思議と今は熱いものよりも、どこか冷たい飲み物が恋しい気分だった。
「確か冷蔵庫には、麦茶と烏龍茶、林檎と葡萄のジュースがありましたわね」
「あ、じゃあ冷たい烏龍茶を貰える?」
「はい、少々お待ち下さいまし」
梅がキッチンのほうに行ったので、雫はひとり居間に取り残される。
改めて居間の中を雫は見回して―――贅沢感の強いこの空間に自身が居ることの場違い感を意識してしまい、思わず苦笑してしまう。
先程まで雫が身体を横たえていたソファひとつ取っても、その見た目や質感から明瞭に判るぐらいには高級品なわけだけれど。
特に居間に置かれている物品の中でも、壁に掛かっている超大型テレビの値段などは、庶民の雫には想像も付かなかった。
(これって何インチのテレビなんだろう……)
何となく、ここまで大きいと、却って視聴するのが大変そうな気もした。
見ているだけで、ちょっと首が疲れそうとでもいうか―――。
ふとテレビの下に目をやると、そこに置かれているラックの中には、実に様々なゲーム機の類が置かれている。
雫でも名前を知っているような、比較的新しいゲーム機が全て揃っているのは、ある意味予想通りだけれど。中には雫が初めて見る、明らかに時代錯誤と思われるデザインのゲーム機も多数置かれていた。
(……友梨って、こういうの遊ぶのかな?)
そういえば『リリシア・サロン』で以前にラギが、友梨のことを「小さい子供なのに君は結構なゲームオタクだよね」と告げて、呆れていたことがあった。
雫は『プレアリス・オンライン』を遊び始める以前は、ゲームの類を殆ど遊ばない人間だったから、この手のものには全く詳しくは無いのだけれど。
友梨と今後、人生を一緒に生きていくのだから。彼女が好きなものなら、何でも自分も好きになりたいな―――と。そう思ったりもする。
「あら、お姉さま。何をしていらっしゃるのですか?」
そんなことを考えていると、ちょうど梅がトレーの上に2人分の飲み物を乗せて居間に戻ってきた。
「私が見たことないゲーム機が、いっぱいあるなあと思ってね」
「ああ……友梨さんは古いゲームが大好きでいらっしゃいますからね。彼女が滞在する時のために、初瀬川家の別荘はどこもこんな感じだと聞いていますわ」
よく冷えた烏龍茶を差し出して来た梅に、「ありがとう」と言って受け取る。
喉を潤しながら、雫は梅から友梨に関する話を色々と聞くことにした。
友梨の実家と梅の実家とは、仲が悪いから。私的な交流を持てる機会は限られていて、梅は学校の場でしか殆ど友梨と交流を持てないらしいのだけれど。
雫からすれば、学校での友梨のことを教えて貰えるだけでも充分に嬉しいのだ。
何しろ、つい昨日までは。ネット上での友梨のことしか、殆ど何も知らなかったぐらいなのだから。
「―――お話が弾んでいるみたいですね」
20分ほど梅と歓談していると、やがて友梨と一心の2人が居間に戻ってきた。
「あ、友梨、お帰り」
「はい、ただいま戻りました。梅と何のお話をされていたのですか?」
「学校での友梨の話を、色々と聞かせて貰ってたんだ」
雫が正直にそう告げると、友梨は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてみせた。
そういうところもまた、堪らなく可愛らしい。
もっとも、照れながらもしっかり雫の隣に―――梅とは逆側を確保して、速やかにソファに座ってくる辺りのしたたかさは、何とも友梨らしくもある。
一方で一心は、例によって雫の膝の上に座り込んできた。
「一心さん……。そこに座るのは狡くありませんの?」
「一番身体が小さい私が雫姉様の上に座るのが、一番負担が少なくて良い」
梅からの言葉に、即座に反論する一心。
好きな子と直接触れ合えることは、雫にとって幸せ以外の何物でもなかった。
「―――おっと、そうだ。ちょっと良いかな?」
「どうされましたか、雫お姉さま?」
「いや、さっきゲームにちょっとだけログインした時の事なんだけれどね」
竜の卵が孵ろうとしていたことを、ユーリ達3人に説明すると。
もちろんその後は、すぐに皆でゲームにログインしようという話になった。
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