117. 別荘にて
*
「お姉さま!」
「シズ姉様!」
別荘の建物内に入ると同時に、2人の少女が駆け寄ってくる。
もちろん雫には、その2人が誰なのかすぐに判った。
「こんにちはプラム、イズミ。いや―――梅と一心って言うべきかな」
「ふふ。どちらで呼んで頂いても、わたくしは構いませんわ」
「そういえば私も、雫姉様とお呼びすべきでしたね」
ぎゅっと抱き付いてくる2人の頭を、雫は優しく撫ぜる。
それを後ろで見ていた友梨が、くすくすと小さく笑ってみせた。
「2人共、別に慌てて飛びつかなくても、当分は雫お姉さまと一緒ですよ」
「むう……。自分ひとりだけ車の中でずっとお姉さまと一緒だったからって、友梨さんは随分と余裕のようですわね」
「うふふ、幸せな80分間のドライブでした♡」
「う、羨ましい……」
梅と一心の2人が、ぎゅっと抱き付く力をより強めてくる。
少女2人に拘束されて、雫は暫く別荘の玄関で身動きが取れなくなった。
「もう……。とりあえず雫お姉さまの荷物を下ろさせてあげて下さい」
「う、そうでした。すみません、雫姉様」
「あら、これは失礼致しましたわ」
友梨の一言でようやく拘束が解かれて、雫は友梨と共に別荘の中へと入る。
中に入っても、やっぱり(高級旅館なのでは?)という疑念が捨てきれないぐらいには、屋内もまた随分と立派な設えだった。
先導する梅と一心の2人についていくと、まず居間らしき部屋へ辿り着く。
もっとも『居間』とは言っても、20畳以上の広さは余裕でありそうだ。
(この部屋で私、くつろげるかなあ……)
部屋の中を見渡しながら、雫は内心で苦笑する。
造り自体は純和風の建物なのに、床材の板も置かれているソファもテーブルも、あらゆるものが高級であることが庶民の雫にも何となく理解できてしまう。
空間のラグジュアリー感が強すぎて、正直あまり落ち着ける気がしない。
……とはいえ、どうせ一日の大半は『プレアリス・オンライン』にログインすることになるのだろうから、あまり気にしなくても良いのかもしれないが。
「とりあえず、どこかに服を吊るせるところあるかな?」
「あ、ご案内致します」
ユーリがそう言ってくれたので、再び荷物を抱えて建物内を移動する。
リュックサックやボストンバッグの中に入れたままだと、すぐにブラウスなどにシワが付いてしまう。そういう衣類は早めに吊るしておくに越したことはない。
また畳んだままで良い衣類に関しても、とりあえずバッグから出して、収納の中などにちゃんと仕舞っておくほうが良いだろう。
「どうぞ、お好きな空きスペースに掛けて下さい」
「おお……」
30秒ほど歩いて到着した先の空間を見て、思わず雫は唖然とする。
そこは10畳ぐらいの広さがある、大きなウォークインクローゼットだった。
ぶっちゃけ雫が普段住んでいる部屋の居間より、遙かに広いサイズだ。
ハンガーラックには友梨の家族のものと思われる、沢山の衣類が吊るされているけれど。充分な収納容量があるお陰で、全体の4割ぐらいは空いている。
有難く雫は、空いているスペースに自身の衣類を保管させて貰うことにした。
「……? お姉さまの服って、どこかで見たことあるような……?」
雫が吊るしていく衣服を見て、梅が首を傾げながらそう言葉を零す。
「私が持っている服は全部、両親が作ってくれているものだから。流石に気のせいじゃないかな?」
「あら、そうなんですか? ご両親は服飾関係のお仕事を?」
「私もあんまり詳しくは知らないんだけれど。父母で小規模な子供服のブランドをやってるとかって話を、以前に聞いたことがあるかな」
「まあ! それは素敵ですわね」
ぽん、と両手を打ち鳴らして。嬉しそうに梅がそう告げた。
素敵かどうかは判らないけれど。両親が常日頃から服を送ってくれるので、買いに行く必要が全く無いという点では結構有難いと思っている。
「雫お姉さまのご家族のお話、是非とも詳しく伺ってみたいです」
「そう? 聞きたいなら幾らでも話すけれど……」
服を収納してから居間の方へと戻ると、ユーリがそんなことを言ってきた。
両親の話をするのは少し気恥ずかしいけれど……別に嫌というわけでは無い。
友梨が聞きたいというのであれば、拒む理由も無かった。
「じゃあ、先にお茶とケーキの用意をしてからにしよっか」
「はい、お手伝い致します」
ユーリに運んで貰ったチーズケーキを1箱持って、キッチンへと向かう。
別荘に持ち込んだチーズケーキは1ホール分だけ。もう1ホール分の箱は赤坂と名乗った運転手の人が、友梨の家に持ち帰ってくれている筈だ。
(……判ってたけれど、キッチンも広いなあ)
5~6人は同時に調理作業が行えそうなキッチンを見て、思わず苦笑する。
シンクは2箇所にあり、コンロは全部で8口もあるようだ。当たり前だけれど、こんなに沢山あったところで雫達に使いこなせる筈もないのだが。
とりあえず雫はキッチンの脇に置いてあった電気ケトルの中に水を注ぎ、お湯を沸かすことにした。
それから金属製のボウルを1つと綺麗な布巾、それと包丁を用意する。
探せばケーキナイフもキッチン内のどこかにありそうな気がするけれど……。とはいえ流石に、そこまでする必要も無いだろう。
「……お姉さま、なぜボウルが必要なのですか?」
「あー。チーズケーキって意外に、切るのが難しいんだよね」
チーズケーキを切る際には、包丁をお湯で温めておく必要がある。
そうしないと断面が荒れてしまい、綺麗にカットできないからだ。どうしてそうなるのかは訊かれても、雫も知らないので答えられなかったりするのだけれど。
ちなみにチーズケーキに限らず、大抵のケーキは包丁をお湯で温めておくほうが綺麗に切ることができる。
その辺りのことを雫が説明していくと。
友梨は「へえー」と漏らしながら、感心したような表情を浮かべていた。
沸騰した熱湯そのままだと流石に熱すぎるので、ボウルに少量の水を入れてから電気ケトルで沸かした熱湯を混ぜ、お湯の温度を大体80℃前後に下げる。
包丁の刃をボウルのお湯に浸して充分に温め、布巾で水気を拭ってからカットに用いる。また、一度カットする度に包丁は再びお湯の中に浸し直す。
この繰り返しで、4人分のチーズケーキを綺麗に切り分けた。
まだあと半ホール分残っているので、残りは冷蔵庫に仕舞っておく。
言うまでもないけれど、設置されている冷蔵庫もまた、超巨大なものだった。
雫がカット作業をしている間に、友梨が4人分の小皿やカトラリーを用意してくれていたので、そちらにケーキを乗せてから居間のほうへと運ぶ。
居間に戻ると、梅が4人分の紅茶を淹れてくれていた。
ティーバッグで淹れたものらしいけれど、随分と良い香りがする。
「お姉さま手作りのケーキだなんて、贅沢ですわね……!」
「何の変哲もない普通のチーズケーキで、申し訳無いんだけれどね」
見た目は素朴でシンプルなものだけれど、作り慣れているものなので味にはそれなりに自信がある。
とはいえ、普段から上等なケーキを食べ慣れていそうなユーリ達にも、美味しいと思って貰えるかどうかは、少し不安だったのだけれど―――。
「美味しいです!」
「お姉さま、これは素晴らしいですわ!」
「うん。すっごく濃厚で、美味しい」
そんな不安は要らない懸念だったようで、3人は喜色満面に喜んでくれた。
自分でも食べてみるけれど、割といつも通りの味だ。
―――もちろん、その『いつも通り』が充分美味しいのだけれど。
紅茶はティーバッグで淹れられたものなのに、嘘みたいに美味しかった。
どうやら高級品だと、ティーバッグでも味が全然違うらしい。
「お姉さま、是非ご両親のお話を聞かせて下さいませんか?」
ケーキを少しずつ味わいながら、ユーリがそう促してくる。
家族の話をするのは少し恥ずかしいから、忘れてくれるならその方が良かったのだけれど。どうやら友梨はちゃんと覚えていたみたいだ。
「うーん、何から話せば良いかなあ」
「雫お姉さまの服は、いつもご両親が作っておられるのですか?」
「うん、そうだよ。もちろん靴下とか肌着は別だけれどね」
―――父母は雫がまだ6歳の頃から、雫のために服を作ってくれている。
と言ってもこれは単純に『娘のため』というわけではなく、商売も兼ねた話だ。
両親が経営する小さな服飾ブランドは、雫に似合う服が出来上がる度に、同年齢の女子を対象としてそれを世間にも売りに出しているのだ。
だから両親のブランドが販売している商品ラインナップは、対象年齢が6歳から16歳までということになっている。
これは現在の雫の年齢が『16歳』であるため、17歳以上向けの服がまだ1つも作られていないからだ。
両親が作る服は、常に『雫に似合う服』をモチーフにしている。だから現時点の雫でモデルになれない服を、両親が作ることは絶対に無いわけだ。
ちなみに両親は現在、共にフィンランドに滞在している。
母が言うには「服は別にどこに居ても作れるから、別に日本に居る必要はない」とのことらしく、だから仕事のついでに世界中を巡っているらしい。
両親は共にもう40歳を超えているのだけれど。未だに娘の雫から見ても胸焼けするほど、熱々のカップルだったりもするから。
きっとデート気分も兼ねて、世界の様々な国を楽しんでいるのだろう。
そんな育児放棄も同然の両親だから。雫は両親よりも、自身を預かってくれていた祖父や祖母の方が、よっぽど近しい『家族』だと認識している。
服飾一本の腕でやっているという点で、両親のことはとても尊敬はしているんだけれど―――。
でも『尊敬』と家族に向ける『親愛』は別物だから。両親と祖父母のどちらに、より深い親愛を感じるかと問われれば、それはやっぱり後者なのだ。
そういう話を、雫がゆっくり話していくと。
友梨も梅も、そして一心も。3人とも随分興味深そうに聞き入ってくれた。
「お姉さまは、今はひとり暮らしをされていましたよね?」
「うん、そうだよ。3月までは父方の祖父母と一緒に実家暮らしだったけどね」
「どうしてご実家を出られたんですの?」
「あー……」
梅から問われて、雫はどう答えたものか言葉に詰まる。
別に言いにくいことじゃないんだけれど、少し説明が難しい。
「―――あっ。す、すみません。何かよくない質問をしてしまいましたか?」
「ううん、そういう訳じゃないよ」
雫が祖父母の住む実家を出て、一人暮らしを始めたのは。祖母の側が右膝を悪くしてしまい、日常生活にも支障が出て、介護が必要になったからだ。
もちろん当初は雫が介護を手伝っていたのだけれど。2週間と経たないうちに、雫の父の弟夫婦が介護のために一緒に住むことになった。
実家は元々二世帯住宅の建物だから、それ自体は問題無かったのだけれど……。
ただ―――父の弟夫婦は、雫より2歳年上の息子を1人連れてきていて。
その息子さんが、雫に対して明らかに好意全開の視線を向けてくるものだから。
何だか居たたまれなくなって、そそくさと実家を出たのだ。
「別に私は男嫌いってわけじゃないから、年齢の近い男子と一緒に住むこと自体は構わないんだけどね。ただ、絶対に応えられない好意を向けられるっていうのは、正直……ちょっとしんどくてね……」
―――雫は同性愛者だ。
男性からいかに好意を寄せられても、それに応えるなど出来る筈も無かった。
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お読み下さりありがとうございました。
頂いております誤字指摘の反映が遅れっぱなしで、本当に申し訳ありません。




