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悲哀の鎖

 ※



 南大地(サウスタンガイア)

 神力の加護を強く受けた、緑豊かなそこは、五つの民が独特の形を造り、各々の規律の元で暮らす場所。

 鮮やかな髪色の者ほど強い加護を受けており、その者は自身の意思に関係なく、民をまとめる神官になり、そして元素を満たす為の神柱(じんちゅう)になることが定められている。

 特に火と水の民は、他の民とは関係を持つことを好まず、祭事と、集会の時以外は姿を見せることすら稀である。

 水の村で生まれたハヤトは、ある日疑問に思った。


「かあさん、なんでみんなは、おれをへんななまえでよぶの?」


 いや、厳密に言えば、ハヤトをハヤトと呼ぶのは母親のアリアしかおらず、その他の村人は、皆ハヤトを違う名で呼んでいた。

 アリアがおかしいとは子供心に感じていたが、幼いハヤトにとってアリアが自分の正解であって、その他は不正解なのだと思っていた。

 そう、思いたかった。


「お父さんが、迎えに来たときに迷わないようにするためよ。ハヤトがハヤトである限り、お父さんはハヤトの手を握ってくれるわ」

「とうさんが……」


 見たことすらなかった父親が、いつかきっと、この閉ざされた村に迎えに来てくれると言う。しかしそれを言うときのアリアの表情(かお)は、必ず曇り、そして淋しそうに歪むのだ。

 母親にそんな顔をさせるくらいなら、知らない父親なぞ迎えに来なくてよいと思ったが、それを言えば、母親が悲しむと思い言わなかった。





 アリアは体が強くはなかった。よく喘息を起こしては倒れ、寝込んでいる間は、ハヤトは必然的に一人でいることが多かった。

 そうすると、大人からの視線はいつもより冷たく、子供たちからの容赦ない罵倒はハヤトにまとわりついた。

 どうやら自分の父親は野盗であり、その野盗はもう死んでいるらしい。ならば一体誰が迎えに来るというのか。

 ある日、森を抜けた先の海岸で膝を抱えていると、息を切らしたアリアが駆け寄り、ハヤトを抱きしめてくれた。


「とうさんは、いないの?」

「いるわ。絶対、絶対に、ハヤトを迎えに来てくれるから」


 いつもはふわりふわりと会話をしていたアリアだったが、その時だけは、はっきりと言い切ったのを覚えている。

 だからハヤトも、アリアに必死でしがみつき、ただただ泣き続けた。



 ※



「――に、なったわけです。そろそろ時間のようですし、ここまでにしましょうか」


 ナズナが本を閉じる。その音で我に返ると、どうやら今日の時間は終わったようで、ルエが手元の本をしっかりと抱えたところだった。

 しまった、と手元の書類を見る。全く進んでいないそれに、自分の責任ながらもため息をついてしまい、それを聞いていたナズナから咳払いをされた。


「ではわたくしは失礼させて頂きます。ハヤト様」

「わかっている。王女ならお部屋まで……」

「いえ。途中で理性を飛ばすことなど、あってはなりませんよ?」


 このツンケンした教育係は、廊下でのことをお見通しらしい。いや、確かに痕をつけはしたが、理性を飛ばすほどでは、と考え思い直す。


「……わかっている」


 渋々ながらも答えると、律儀な教育係は不敵な笑みを張りつけて部屋を出ていった。仮にも今は厳重注意中なのだから、彼女ももう少し気をつけたほうがいいと思う。

 ほとんど手をつけていない書類をまとめ立ち上がると、気まずそうに自分を見上げるルエと目が合う。この状態で残されたことに内心悪態をつき、しかし自分がルエにしたことをまだ謝れていないと思い出し、ハヤトは少しルエとの距離を詰めた。


「悪かった」

「私も、すみませんでした。王女なのに、上手く感情をコントロール出来なくて……」


 王女だから特別扱いはしない。

 それは西(ウェス)で彼が誓ったことではあるが、だからといって無闇やたらに恋人の扱いをしていいわけではない。もちろんそれは理解している。だからルエ自身も、王女らしく振る舞うと決めたのだし。

 しかし、王女といったところで彼女はまだ十五歳の少女なことも事実である。まだまだ幼い彼女にばかり背負わせていることが、ハヤトにとっては己の不甲斐なさを際立たせているようにも思えた。


「……まだ終わってないんですよね、それ」


 それ、とはハヤトの手元の書類であり、ナズナの話を聞いていたというよりも、少し昔を思い出していた為に進まなかった、のが正しい。終わっていないことに変わりはないのだが。


「後で終わらすことは出来るし、急ぎのものはない。強いて言うなら、ゼロが自分の分をしていないから溜まっているわけで……」

「ではまだ時間もあることですし、私も手伝います!」


 優しく笑うルエを見、否定の言葉が出なくなってしまう。断ったとしても、終わるまで待っていると言いかねない雰囲気だ。


「とりあえず、戻ろう。ここにいるわけにもいかないしな」


 根負けし、薄く笑って返してやると、ルエはさらに明るく笑い、分厚い本を抱え直した。




 ルエの部屋へ戻り、抱えていた本やら書類を机に置くと、ハヤトはルエの手を優しく取り(スペル)を紡いでいく。首の痕も消そうかと思ったが、それはそれで癪だったのでそのままにする。

 慌てるだろうか、それとも少し怒るだろうか。どちらにしろ、それはそれでいいと思う。

 すっかり治った手首と、そしてハヤトを交互に見つめ、それからルエは少し唸った後不思議そうにハヤトを見つめた。


「これは、なんでも治せるんですか?」

「いや、そういうものではない」


 ルエに座るよう促し、ハヤトもその反対に座ると、机にあった果物ナイフを手に取る。そして自身の腕に当てると、なんの躊躇いもなくそのナイフを手前に引いた。


「!?」

「心配するな」


 血が滴る傷痕にもう片方の手をかざす。

 特に(スペル)を紡いだ様子はなかったが、触れた箇所から淡い水色の光が溢れ、そしてハヤトが手を離すと、そこにはなんの傷痕も残っていなかった。


「怪我をした時、時間が経てば自然に治っているだろう?水の術はその治癒速度を速めているに過ぎない。だから、欠損や病気といった場合には効果はないし、治癒速度が鈍る老人にも意味がない」

「水だけが、そうなんですか?」


 純粋な疑問から来るのだろうが、正直ハヤトのような術を扱える側からすれば、それは日常であり、特別疑問に思うようなことではない。

 ナイフを机に戻し、ハヤトは少し呆れ顔でルエを見た。流石に血がついたままのナイフで果物を切る気は起こらず、後で調理場へ持っていこうと思う。


「お前は覚えていないだろうが、レイやお前が使った神の(スペル)と呼ばれるそれは、時間そのものを戻す類のものだろう。身体を切断されても、切断される前に戻している、という解釈で合っていると思うが……」


 何ぶん、紡げる者が限られている上、それを紡げばどんなリスクがあるかわからない。それこそ、ルエが以前の記憶を無くしたり、兄であるレイにかけられた呪いだったりと、それこそ未知数だ。

 それらを確認しようとは思わないし、もう二人にそんなことをさせたくはない。ハヤトは「いや」と書類を何枚か手に取ると、それをルエに渡してやる。


「まぁ、わからないことを話していても仕方がない。手伝ってくれるんだろう?これは紋を押していくだけだから頼んでもいいか?」

「もちろんですよ!頑張りますね」


 受け取った書類と、渡したウィンチェスターの紋印を見比べつつ、ルエは難しそうな顔を時折しつつも、夕食をメイドたちが運んでくるまで、ひたすらに印を押し続けた。

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