紅なしでは生きられぬ
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昼間は活気溢れる町も、この時間になればそれは成りを潜める。代わりに漂う香りは、ハヤトの腹を空かせていくには十分だった。
遊び終え家路につく子供たちや、買い物帰りと思われる女たち、仕事を終え、家族の待つであろう家に帰る男たち。そのどれもは、前王時代には見られなかったものだ。
それほどルエの統治が取れているのか、いや恐らくジェッタの手腕がいいのだろう。やはり父親には敵わないと、少し苦虫を潰したような顔になった。
「あ!ハヤトさま!」
こちらに向かってくる子供たちの内、まだ七、八才頃と思われる少女が、ハヤトの姿を認めると、少し嬉しそうに駆け寄ってきた。すぐに他の子供たちにも囲まれてしまい、ハヤトは苦笑しながらも目線を合わせてやる。
「どうした。今帰りか?」
「はい!はやくわたしも、ハヤトさまみたいになりたいです!」
無邪気に笑う子供たちは、将来騎士になりたいと勉学に励んでいる少年少女ばかりだ。ウィンチェスター家の敷地内に宿舎はあるのだが、まだ幼い彼女らは、希望があれば家から通うことを認めている。
もう少し成長すれば、他の子供たち同様に宿舎で共同生活を始め、そして各々の熟練度に合わせた訓練を行っていく。そこからは、諦める者もいれば、そのまま這い上がる者もいるし、つまるところ、千差万別というわけだ。
「俺を目指しても余りいいことはないだろうに」
「わたしがめざすってきめたんです!ハヤトさまが、いいわるいを、きめないでください!」
「……それもそうだな。すまない」
薄く笑い、まだ幼い少女の頭を撫でてやる。すると、他の子供たちからもせがまれたので、言われた通りに撫でていると。
「珍しいこともあるものだ」
後ろから聞き覚えのある声がかけられ、口から心臓が飛び出すほど驚いた。もちろん子供たちの手前、表にはなんとか出さずに振り返れば、先程城で見たばかりの顔がそこにはあった。
いつもの団長服ではなく、マントを外し、どこにでもあるようなシャツに身を包んだその姿は、明らかに私用で来ていることを示している。
「団、長……」
あからさまにハヤトは顔をしかめる。が、子供たちは更に興奮した様子でジェッタを取り囲む。
「ジェッタさま!」
「どうしたのですか!」
「あたまなでてー!」
ジェッタは慣れた様子で子供たちを諌め、一人一人の頭を優しく撫でてやると、
「帰る時間だろう?家の者が心配する、早く帰りなさい」
と帰路を促した。揃って元気な返事を返した子供たちは、来た時と同じように居住区への道を駆けていった。
それを見送り、ジェッタは渋い顔のままのハヤトに視線をやる。その眼差しは子供たちに向けたものと同じで、ハヤトは、それに少しの気恥ずかしさを覚え、わざと背を向けてしまう。
「なぜ、団長はここに……」
「今は城でもない。無理にそう呼ぶ必要はないが、まぁ構わんだろう。私はレイナから呼ばれていてな」
ハヤトの渋い顔が更に渋くなっていく。自分もレイナに呼ばれたのだが、父親もそうだと言う。うっすら残っている幼い時の記憶を引っ張り出しても、こういう時の呼び出しはろくでもないものばかりだったことがほとんどだ。
ハヤトは「そうですか、ではこれで」と短く返し、やはり城へ戻ろうと来た道を帰ろうとした。
「待て」
腕を掴まれた。
「離してください」
「その様子だと、お前もレイナに呼ばれたな?私は執務で忙しい、レイナには帰れないと伝えてくれ」
「お断りします。どうぞご自分でお伝えください」
ぎりぎりと力のこもる腕が痛い。
痛いが、ハヤトとしても折れるわけにはいかないのだ。折れたら明日城に帰れないかもしれないのだから。
「団長、貴方の奥様でしょう。奥様の手綱くらい、きちんと握って頂きたい」
「ハヤト、義母の顔くらいたまには見たらどうだ。しばらく休みをやろう」
「謹んで遠慮させて頂きます」
お互いに引かず、それどころか睨みつける始末である。巡回で近くを通りかかった騎士が「騎士同士の……」と言いかけ、いやこれは親子喧嘩なのかと躊躇っているのが傍から見ればよくわかる。
「団長こそ、たまにはご家族と過ごすことを進言します」
「……それならお前も腹を括って来い」
「え?」
ジェッタからの言葉は、ハヤトには思いもよらない一言で、つい呆けた顔になってしまう。
「家族と過ごせと言うのなら、お前も含まなければ意味がないだろう」
「そ、れは……」
墓穴を掘るとは正にこれだ。
自分を家族として見ていたとは予想外だった。ジェッタ、つまり父親から見れば、自分なんぞ、ただ押しつけられた存在でしかないと思っていたのに。
無言で背中を向けたジェッタに、ここで自分が城へ帰ったとて恐らくは何もお咎めはないのだろうし、明日会ってもこのことを掘り返したりはしないだろう。だからハヤトは。
どれくらいかぶりに、父親の背中を追いかけた。
※
ルエを自室へ送り届けたゼロは、自室への道を歩いていた。他の騎士と違い城内に住んでいるゼロやハヤトは、ルエが住む階と同じ階に部屋がある。だからといって簡単に会えるような距離ではないのだが。
「明日からは執務頑張ろっかなー」
やるかどうかは別としても、やろうと思っていることは本当だ。ただ、目が覚めるとその決意が揺らいでしまい、気づけばウィンチェスター家に通う子供たちの元へと向かってしまう。
明日も約束していたし、やはり執務は無理だなと苦笑したところで、見回りをしていた騎士と肩をぶつけてしまった。
「おっと。ごめん」
「……」
その騎士はぶつかったことに気づいていないのか、よろけながらもふらふらと歩き続けている。それに疑問を持ち。
鼻をついた鉄の臭いに、ゼロは騎士の腕を掴んだ。
「おい!」
騎士がぐるんと振り返る。
青白い、というより腐ったその顔を見て、ゼロは反射的に手を離した。
騎士が引き抜いた剣をゼロに繰り出すが、その軌道はてんでバラバラで、避けるのは容易い。しかしなぜ騎士がこのような姿に。
「ぅ、ぅ、うぐぁぁあああ!」
剣を床へ放り投げた騎士は、今度は掴みかかろうと手を広げ襲いかかってきた。ひらりとかわすが、ゼロには彼を斬ることが出来ずにいた。
自分が神機を使い一振りすれば、彼は簡単に消し炭になるだろう。しかし城を、サガレリエットを守ると誓った彼に、ゼロは剣を抜くことが出来なかった。
「ぅぅ、ゼ、ロさまぁ……」
「!?おい、しっかりしろ!」
頭を押さえ何かに抗おうとするそれに、ゼロは思わず手を差し伸べようとし。
「剣の騎士は甘ちゃんなのねぇ」
ゼロは背後からの声に気を取られた。
振り返った先に、豊満な胸をこれ見よがしにひけらかしているユンシャルが立っている。相変わらず騎士とは思えない出で立ちだが、手に持つカードが不気味に光り、それはアンバランスな存在を放っている。
「辛いって言ってる子は、ラクにしてあげなきゃ」
ユンシャルは宙に円を描くようにカードを投げる。
重力に逆らって浮くそれは、そのカードが神機であることを示していた。
「唸れ、狂風。嘆きを我が手に」
冷たく言い放ち、そのカードは意思を持つかのように騎士の周囲を回り、そして容赦なくその身体を刻んでいく。一度でそれは終わらず、二度三度と繰り返され、倒れた騎士が動かなくなった頃。
「ああん。汚れちゃった、嫌だわぁ」
口元にカードを戻し、妖艶にそれを舐める。
「おま、いくらなんでも……!」
やり過ぎだと言わんとするゼロの唇に、ユンシャルは自身のカードを優しく、そして冷たく押し当てる。ゼロを見る深緑の瞳は、それ以上を言うのを許さないと言わんばかりに冷たい。
「ねぇ?彼も、こうなることくらい承知しているのよ?騎士になるとはそういうこと。魂を他に売る前に、彼は誇り高く死ぬことを望んだの。ただそれだけよ」
再び妖艶に笑い、ユンシャルは「後始末お願いね」と背を向けてしまった。
「後始末って……」
誇り高い騎士の亡骸をちらりと見て、ゼロは嘘だろと頭を抱えた。




