沈黙の密約
※
町まで抜けてしまえば、ジェッタの姿を訝しむ人間はいなくなる。どこにでもいる、茶髪翠目の青年だ。腰に差した剣は、見えないようにマントの下へ隠した。
「そこの兄さん!見ない顔だね、買ってってよ!」
軒先に並べた果実を指差し、ふくよかな女店主が大袈裟に笑ってみせる。誰に言っているのかと一瞬迷ったが、店主が自分に睨みを利かせていることに気づき、ジェッタは苦笑いと共に軒先へ立ち寄った。
「どれがオススメだ?」
「お、買ってくれるんだね!そうさね、今ならこれがいいよ!中央は一年を通して気候が安定しているからね、大抵のものはなんでも育っちまう」
渡された桃色の果実、桃の代金を礼と共に支払うと、ジェッタは足早に立ち去ろうとする。が、店主が続けて話しかけてきた為立ち止まることになってしまう。
「アタシは最近、まぁ最近といってもそろそろ一年は経つかね、東からこっちに来たんだけど。あぁ、それ食べながら聞いておくれ」
それ、というのは手の中の桃だ。
買い食いなど、それこそ本当の少年期以降してこなかったが、まぁ久しぶりにそれもいいかと一口噛じる。
オススメだと言うだけあって、甘く、果汁が口いっぱいに広がっていきとても美味い。
「あっちと比べると、こっちは過ごしやすくていい。けれども、あの刺さるような寒さと、そして綺麗な雪景色を見たいとも思うんだよ」
「まだこちらへ来て一巡りほどで、店主はホームシックと見た。やはり育った国がいいものか?」
「アタシはそうだね。でも、それこそ、生まれに縛られた偉い人たちは違うのかもしれないね」
「ほう、というと?」
桃を食べ終え、少し汚れた手をどうしたものかと考えていると、店主がタオルを差し出してきた。ありがたく拭いてから返してやる。
「王族もそうだけど、騎族もそうさ。生まれた時から騎士になれだなんて、酷だと思わないかい?普通に生まれた子は選ぶ自由があるけど、家に縛られて生きるなんて辛くないのかって、アタシみたいなおばさんは考えちゃうのさ」
「選ぶ自由、か」
「兄さんはその年で騎士……っぽくないね。何をしてるんだい?」
騎士に見えないと言われたことに内心苦笑し、ジェッタは「俺は……」と足元へ視線を落とした。
「他の領地からここへ遊びに来た、只の穀潰しさ」
自嘲気味に返し、手を振って店を後にした。不思議そうに首を傾げつつ、店主も手を振り返す。
選ぶ自由。
考えたことがないと言えば嘘になる。それは恐らく、自分だけでなく、騎族に生まれた子供たちも、王族として生まれた彼らも、それこそ一生ついて回ることではないかと思う。
グレイから指定された食堂へ向かう。すれ違う騎士たちは、もちろん自分に気づくことはない。その中、ある女性が騎士たちに何か訴えているのが見えた。何事かと遠目に眺めようとし、近くの雑貨を見るふりをして聞き耳を立てる。
「どうして!どうして主人が死ななければいけないのですか!?」
あぁ、彼女は、昨夜の騎士の身内なのかと気づいた。前に見たことがあったが、もっと落ち着きのある、利口そうな女性だったと思ったが、確かに身内が死んでは取り乱すのも仕方がないだろう。
宥めている騎士たちも、その痛みがわかるからこそぞんざいに扱えはしない。
「……」
ジェッタは手に持った雑貨を買うと、その場から早く立ち去ってしまおうかと考える。この姿の自分が出たところで変わりはしないし、なんと声をかければいいのかもわからない。
しかし。
横を通り過ぎようとした時に、彼女が腹を抱えて座り込んだのを見て、なぜか彼女に手を伸ばした。完全な無意識に、騎士だけでなく、彼女も、そしてジェッタ自身も驚きを隠せない。
「あー、えっと……、お姉さん、よかったら俺、話聞くけど」
そう言い、どれくらいかぶりにへらりと笑ってみせれば、彼女は関が切れたように、ジェッタに縋りついて泣き出した。
グレイが落ち合う場所として指定したのは、領地内に唯一ある酒場だ。といっても、昼は酒を出すこともない只の食堂であり、見回りがてら休憩に訪れた騎士や家族たち、そして旅の商人など、見慣れない顔がひとつふたついたところで気にする者などいない。
かといって。
女、しかも妊婦を連れてきていいなどとグレイは一言も口にしておらず、気まずそうに視線を彷徨わせるジェッタを静かに睨みつけるだけだ。
「……おい」
「なん……でしょう」
いつもの癖で「なんだ」と返しそうになり、慌ててジェッタは正した。面白いと言わんばかりのグレイに、元に戻ったら嫌というほど仕返してやろうと心に決めた。
「お前さ、女をはべらせんの本当に好きだなぁ。しかも人妻ねぇ」
「勘違いするな。これはただ、見て見ぬ振りが出来ず……」
「ほう?」
この見た目だと何を言っても説得力がない。
ジェッタは半ばグレイを無視し、女性を席へ座るよう促した。妊婦を立たせておくのは流石に忍びない。女性は控えめに頭を下げると腰かけた。
「まぁ、なんだ。お嬢さん、名前は?このタラシに無理矢理連れて来られたってなら、丁重にお送りするが」
「おい」
ジェッタも席へつくと、店員を呼び止め、適当に飲み物を三つ頼んだ。
「私は、テネットと申します。先日、ここで喧騒があったと聞いています。その時に対応した隊が、私の主人が所属する隊だったのですが……」
「お姉さん。もう話さなくていい、わかっている……」
運ばれてきたミルクを女性、テネットに渡してやり、ジェッタはコーヒーをグレイに、そして自分は炭酸水に口をつけた。
あの騎士のことはジェッタも知っている。騎士になったら、恋人にプロポーズするのだと息巻いていた少年だったことも。だからこそ、ジェッタはテネットに手を伸ばしたのかもしれない。
「本当は、わかってるんです。覚悟だってしていたんです……!でも、実際にその時が来ると、なんでって、それしか思い浮かばなくてっ」
カップを両手で握りしめ、テネットは声を押し殺したように涙を零す。それが何粒かミルクへと入っていくのを見つめた後、ジェッタは再び炭酸水に口をつけた。
「お姉さん。いや、スィーク夫人」
「え?」
テネットが驚きから顔を上げる。柔らかく微笑むジェッタは、テネットからは年相応のそれには到底見えなかった。
「なんで……」
「おいお前」
「構わん、グレイ。夫人に知られたところで不都合もない。更に言えば、かの騎士は我がウィンチェスターの所属だ。私が出て可笑しなことはあるまいよ」
ジェッタは頭を深く下げ、そしてテネットの驚きで染まった瞳を正面から見つめた。
「王宮騎士団団長、ジェッタ・エイピア・ウィンチェスターだ。ご主人は、本当に素晴らしい騎士でした。だからこそ、今回の件は憤りを隠せない……。今は諸事情でこのような姿だが、亡くなった騎士たちの為にも早く片をつけたいと思っている」
「……ジェッタ、様」
「なんだ?」
その大きな瞳から涙が零れないように耐え、テネットはなんとか笑みを作ろうと口元を歪ませる。
「主人は、あの人は、最期まで、魂を尽くしていましたか?」
「ハヤトから、息子から聞いている。最期まで、ご主人は貴方がたを想い、尽くしていたと」
その言葉に、テネットは再び関が切れたかのように泣き出した。ジェッタは隣に立ちその背中を優しく撫でてやると、先程買ったばかりの、値札のついたままのハンカチを差し出してやる。
「ジェッタ様……」
「ん?」
「甲斐性がないって言われませんか?」
そう言うテネットは少し微笑んで。
ジェッタも苦笑いと共に、
「君で三人目だよ、私にそれを言ってきたのは」
と優しく目元を拭ってやった。




