永遠の紫雨
※
懐かしい夢だった。
綺麗な青い瞳、少しくすんだ青い髪をバンダナで隠したその商人は、白髪の少年にゼロと名付け、行商を嗜みながら旅をしていた。他の国へ行くこともあったが、そんな時は必ずゼロは南の孤児院に預けられた。その日は久しぶりに、風の村に仕入れがあるとかで、朝から支度を終え向かった。
「風の村……、こっち火の方向じゃね?」
「お前は知らんだろうが、風は吹くもんだからな。こっちであってんだ」
何を言っているのかさっぱりとわからなかったが、彼がそう言うのだ。間違ってはいないのだろう。
孤児院のある港町を出てから半日ほどが経ち、昼にするかと腰を降ろしたところ。腹を空かせた猛獣たちがやって来た。よくある話だ。そしてそれを簡単に追い返すのも、もうどれだけ見てきたことか。
しかしその日、後ろから来た熊に驚いて、持っていた水を落としてしまった。ゼロは商人が止めるのも構わず、先程通った川で汲んでくると言い、走り出した。
そして。
戻ったゼロは、商人の変わり果てた姿を見ることになる。
※
「うわぁぁあああ!」
「きゃあ!」
いきなり飛び起きた衝撃で、ルエは尻餅をついた。握っていたらしい毛布が、はらりと床へ落ちていく。ゼロは息を整えつつそれを見、申し訳なさそうに眉を寄せると、未だ座り込んだままのルエに手を差し伸べてやる。
「ルーちゃん、ごめん。毛布……、もしかして掛けようとしてくれた?」
ルエは手を握り返し立ち上がり、落ちたままの毛布を拾い上げる。
「は、はい……。でも驚かせたようで、すみませんでした」
「いや、ちょっと夢見ただけだからさ。あんまり、思い出したく、ない、夢……」
それだけ言うと、ゼロは頭に手をやり深く息をひとつ吐いた。ゼロにしては珍しく、その手が微かに震えているのが見え、ルエは思わずゼロの頭を抱きしめた。
「ルー、ちゃん?」
「いつもゼロには甘えてばかりだから。だから、これはそのお返しです」
「はは……うん、ありがと」
ゼロもルエを抱き返す。聞こえる鼓動が、今生きていることを実感させると同時に、今度こそ失いたくないとしっかり思わせた。
しばらくの後、ゼロは落ち着いたのかルエを離すと、部屋の中にハヤトの姿がないことに気づく。いくら時間になったからといって、寝ている自分とルエを置いていくのはどうかと思った。
「ハヤトくんなら、残ったお仕事を片付けに執務室へ行きましたよ」
「そっか」
ソファから起き上がり伸びをする。時刻は既に真夜中をとうに過ぎており、ルエは明日も早いだろうに起きていてくれたことに少し申し訳なく思う。
「もう寝な?明日もナズナとお勉強だろー?」
「でもゼロは?」
「オレは寝ずの番。慣れてるから大丈夫」
それでも何か言いたげなルエを言いくるめ、ゼロはまだ寝ている頭を起こそうとバルコニーへ出た。出る際にルエを振り返ると、渋々ながらも着替え終え、ベッドへ潜り込むところだった。
それにしても、と手すりに身を預ける。
随分と懐かしい夢、いや昔を見たものだ。力を失った自分を見つけ、そして保護してくれたあの商人は、もうどこにもいない。いや、その言い方は語弊がある。
「いつでも、一緒だって……。オレの中にいるって……」
自分の胸に手を当て商人に思いを馳せる。
子供のいない商人は、なんの繋がりのないゼロを自分の子供として連れ歩き、色々と教えてくれたものだ。
「なんで、今さら思い出したんだろ……」
その答えを探すように夜空へ手を伸ばしてみるが、もちろんここからでは届かず、ゼロは悔しげに宙を掴むように拳を握りしめた。
特に何事もなく朝を迎え、世話をしにきたメイドによってゼロは部屋の外へ放り出された。兄妹なのだから手を出すわけはないのだが、現状それを知るのは数えるほどしかいないし、まぁ知っていたとしても着替えに立ち会うわけにもいかず。
仕方なしにゼロは大人しく廊下へ出たわけだ。そこへ通りがかった二番隊隊長モーブが、何か言いたげにゼロをちらりと見る。といっても、前髪のせいでよくわからないのだが。
「あー、何。なんかあんの?」
「シ、シ……」
「え、何、邪魔扱い?」
「盾の騎士、が」
確かに今、ハヤトのことを言った。
ゼロは掴みかかる勢いで、早く言えといわんばかりにモーブへ詰め寄った。
「ハヤトがどうした!?早く言えって!」
モーブの首元を掴み、その勢いのまま身体をがくがくと揺さぶる。ゆらゆらと隙間から見える目が、苦しいと訴えかけているが、そんなのゼロはお構いなしだ。
「おい、モーブ!」
「お待たせしまし……、ゼロ!?」
メイドと共に出てきたルエが止めた時には、モーブは泡を吹いて倒れてしまった。
「モーブ様、しっかりしてください。ゼロがすみませんでした」
「いやだってルーちゃん!こいつ、ハヤトのことをなんか言うからさ!」
「ハヤトく……、ハヤト様を?」
倒れたモーブの頬を叩いて意識をはっきりさせてやると、ゼロは仕方ないとルエの部屋にあるソファへ運んでやる。本当は気が進まないが、自分のせいなので我慢する。
ルエはメイドを下がらせると、ゼロに続いて自室へ入り扉を閉めた。ソファへ座るモーブは、まだ頭をふらふらさせてはいるが、一応話せそうではある。
「モーブ様、何かあったのですか?」
「おと、男……、騎士がやら、れました。二人。盾の騎士も、け、怪我を」
「はぁ?なんでこっちに知らせに来ねーんだよ!」
「ゼロ」
いちいち口を挟まれては進まないと、ルエがゼロに微笑する。口ごもりながらも、ゼロは黙ることにしたのか離れた位置にある椅子へ不貞腐れたように座った。
「モーブ様。貴方がここへ来たということは、他の隊長は既に動いているのですね?」
「は、は、はい。お手数を、おか、おかけするよう、ですが、団長、室へ」
「わかりました。ゼロ、団長室へ向かいましょう」
ゼロが短い返事と共に立ち上がる。モーブはモーブで任務があるらしく、頼りない足取りながらも部屋を先に後にした。
「……ゼロ。私、嫌な予感がするんです」
「嫌な予感、か……。そんなの、予感で終わらせるから大丈夫だって」
そう笑ってみせるが、ルエの表情は少し暗いままだ。それに気づいてないフリをして、ゼロはルエを引き連れ団長室へ歩き出した。
※
商人に聞いた。
どこまで行くのかと。
彼は風の村に用があるのだと答えた。
綺麗な瞳をしていた。
それを言えば、彼は少しはにかみながらも、年の離れた妹はもう少し綺麗な色をしていると答えた。
妹はどこにいるのかと聞いた。
村を出てから会っていないと彼は答え、帰るつもりもないのだと笑った。
男は、その、綺麗な、空を閉じ込めたような瞳が欲しくなり、つい手を伸ばした。
殺気や違和感はどこにも無かった。
ただ、綺麗なものに手を伸ばした。
それだけだった。
手の中にある硝子玉は少し朱に塗れていたが、その青さを失わずに輝いていた。
残った片目で、信じられないと、恐怖に満ちた表情で商人は男を見ていた。
もうひとつ、欲しくなった。
商人は取られないようにと、必死に男の手を掻い潜った。
霧が、次第に、かかり出した。
まるで商人を守るかのようにそれは濃さを増していき、少しの先ですら見えなくなった為、男は諦めてその場を離れた。
片目を失くした商人は、冷えていく身体を抱きしめながら、恨めしそうに男を、いや男の持つ片目をただただ凝視していた。
倒れた商人の元に白髪の子供が駆け寄り、雨に負けじと泣き叫ぶ。
商人は残った片目を自分で抉ると、その綺麗な硝子玉を子供へと差し出した。
いつか必要になると言い、そして商人は子供に最期の願いを口にした。
「なぁ……、本当の、お前の名を、聞かせてくれよ……。お前の……未来の、偉大なる王の、その名を」
子供は口にする。
商人は笑う。
穏やかに、静かに、何も見えない世界へ。




