始まりの境界線
※
ぽかぽか。
ぬくぬく。
そんな形容がぴったりなシーツに包まれて、白髪碧眼の少年は、カーテンの隙間から溢れる朝日をぼんやりと眺めていた。これからは朝が寒くなる季節だ、次第にベッドから出られなくなるのも致し方無しである。
しかし聞こえてきた足音は、どうやら自分をこのまま寝かせてはくれないようだ。出たほうがいいのだろうが、出られないものは仕方ない。少年は顔まですっぽりとシーツを被り、狸寝入りを決め込むことにした。
「……おい、ゼロ!」
荒々しいノックと共に開けられた扉と、これまた荒々しい怒鳴り声。少年からはその姿が見えないが、今までの付き合いでわかる。
これはかなりご立腹なようだ。
ゼロ、と呼ばれた白髪碧眼の少年は、被っていたシーツから渋々顔だけ出すと「おはよ」と悪意の欠片もない笑顔を見せた。寝癖はこの際ご愛嬌である。しかし、少し離れた位置にいる空色の髪と瞳を持った親友には、この愛嬌がわからないらしい。
ずかずかとベッドまで近づいてくると、力任せにシーツを剥ぎ取ってしまった。寒いから戻してほしいのだが、それを言うと鉄拳が飛んできそうなので言わないことにする。
「随分呑気なものだな。今日が何の日か覚えていないのか!?」
はて。
ゼロは寝癖のついた髪を何度か掻いた後、今日は何かあっただろうかと考えを巡らせる。
訓練だったか、いや巡回か?それとも要人警護だったか。我らが仕える王女様は、最近勉学に忙しく、何かしらの祭典はなかったように思えるのだが。
「あ」
いや待てあった。しかも大切な儀式だ。
「今何時だと思っている」
空色の少年は、部屋の隅にあるクローゼットから礼式用の騎士服を乱暴に取り出すと、それをゼロ目掛けて投げつけた。
「ぶっ」
一応飾りがじゃらじゃらとついている服の為、当たるとそれなりには痛い。それを言ったら睨まれそうなので、静かに受け取るだけにした。
「あれ?ハヤトはもう着替えてんの?」
欠伸と共にベッドから降り、空色の少年ハヤトに視線をやる。ハヤトの着ている丈の長めな白のコートらしきそれは、今自分に投げつけてきたものと同じだ。
「お前が遅いから迎えに来たんだ。わかったら早くしろ」
「へいへーい」
入ってきた時と同様に、乱暴に閉められた扉に苦笑いをし、ゼロはまた欠伸をひとつ零した。
中央大地。
年中穏やかな気候のこの国では、本日、国一丸となって盛大な祭典が開かれていた。
中央を纏める王族、サガレリエット家の第一王女ルエディアが、正式に王名を冠する儀を執り行うのだ。それに伴い、城の中はいつもより厳重な巡回、そして他国の王族も来ている。
その中、王女直属の騎士と言ってもいい剣の騎士の自分が大遅刻だなんて、王女に恥をかかせるなんてものではない。下手すれば中央一生ものの恥だ。着慣れない騎士服に袖を通し終え、ゼロは軽く鳴った腹を押さえて部屋を飛び出した。
集合場所はどこだったか。
起こしに来たなら待っていてくれてもいいではないかと、今はもういない親友に心の内で悪態をつき、とりあえず大広間にでも向かえばいいかと足を急がせる。
「すんません!サガレリエット家第一王女付き剣の騎士、ゼロ・ライビッツ。ただ今参りまし……た……?」
大広間の扉を開け、とりあえず謝罪と名を述べ、それから右手を胸に当て深々と頭を下げた。しかし何も反応がなく、失礼かとも思ったが、ゼロは恐る恐る頭を上げる。
きょとんと目を丸くして自分を見るのは、いつもは肩まである黒髪を、今日は緩いシニヨンにしている黒目の少女だ。両耳に揺れる水色のイヤリングがよく似合っている。
「あー、遅刻して……ほんっとごめん!」
手をぱんっと合わせ、少女に再び頭を下げる。
「……ゼロ、ゼロ」
ドレスの裾を摘んで歩いてきた少女は、ゼロの白髪に指先だけで軽く触れてみせ、それからふわりと笑った。その笑顔に釣られて頬が緩んでしまうのは、最早癖になっているのかもしれない。
「寝癖、ついたままですよ」
「あぁ!?やっべ!」
慌てて直そうとするも、どうやら直らないようで、少女は可笑しそうに笑うだけである。時間もないというのに、本当に今日はツイていない。いや、自分のせいなのだが。
「二人とも、笑っているところすまないが、もう時間がない。民も集まっている、早く出るぞ」
「わぁ、本当ですね。ゼロはそのままでも十分大丈夫ですよ?」
「何が十分なんだよ、ルーちゃん。オレ情けなさすぎ」
「今更だろ」
黒髪の少女ルエディア――ルエは、ハヤトから差し伸べられた手に自分の手を重ねると、城の庭園が一望出来るバルコニーへと歩いていく。そこの庭園には、今日この日を待ち望んだ中央の民たちが、所狭しと集まっているのだろう。
もちろんゼロも望んでいた。
この日を迎えるに当たり、それこそこの一週間、働きづくめだったのだ。そうだ、だから寝坊は仕方がないのだと自分を正当化し、ゼロもまた二人を追いかける。
「ハヤト、ルーちゃん」
先を歩く二人を呼び止める。
ハヤトがなんだと言いたげに睨みつけてくるが、もうこの際気にしてはいけない。
「オレさ、二人と一緒で本当によかったと思ってるよ」
「……それを言うために引き止めたなら、相変わらずお前はとんだ馬鹿だな」
「もう、ハヤトくん」
ハヤトは背中を向けてしまったが、ゼロにはわかる。
親友のこの反応が照れ隠しで、本当は彼もそう思っていることを。そして隣で笑うルエだって、それは同じだということを。
ゼロは、ハヤトとは反対のルエの手を優しく取ると、ルエに明るく笑いかけた。それに頷き返したルエを見て、またハヤトは歩き出す。
バルコニーへ続く扉の前に立つ騎士は、三人の姿を確認すると、先程のゼロと同じように右手を胸に当て、深く頭を下げた。それにハヤトとゼロは繋いでいた手を離し、同じ仕草を返してルエの少し後ろに下がった。
「緊張してきました……」
胸に手を当て俯くルエを見、ゼロは隣に並ぶハヤトに視線を投げる。ハヤトもわかっているとばかりに視線で応えると、そっとルエの肩に手を伸ばした。触れた瞬間跳ねた小さな肩が、不安を表すように微かに震えている。
「王女、大丈夫。私たちは貴方の後ろに必ずいます」
「ハヤトの言う通り。オレらは王女と一緒だぜ?」
その言葉で幾分か安心したのか、ルエは目線を再び扉へと向ける。肩の震えはなくなり、その背中からはもう迷いは感じられない。
それを見たハヤトは手を離すと、扉の両隣に控えていた騎士たちへ「開けてくれ」と指示を出す。開かれていく扉と共に、盛大な歓声と、そして鳴り止まぬほどの拍手の中。
ルエは歩き出す前に二人を振り返った。
「行きましょう、私の剣と盾の騎士」
決意を宿したその瞳に、ハヤトもまた力強く頷いてみせる。ゼロはもちろんと言わんばかりに笑ってみせ、歩き出したルエに続く。
広めのバルコニーには、他国の王族たちが既に参列しており、ルエが目の前を通ると、それに合わせるようにして頭を下げた。その王族たちは、三人にとって見知った顔であり、そして同時に、これから共に世界の理を壊す仲間でもある。
この儀を行うまでの、特にこの一週間は、本当に長いようで、そして短い一週間であったことを、ハヤトは前を歩くルエの背中を見つめながら、そっと思い出していた。