溶けかけのアイス
公園から離れ帰路につくと生暖かい風が額に当たる。こう暑いとだるくてかなわん。
夏場にあの少年たちが携帯していた小型扇風機を思い出す。あの日は今よりかなりひどい暑さだったが、俺も薄着をしていたから我慢はできた。だが、今日のように不意打ちされるとあの日以上に暑くも感じる。
生憎あんな便利な機械なんて持っていない俺は夏場と同じように胸元をはだけて手で風を送る。暑さは多少マシになった。だが、肌に張り付いたシャツを見て不快感が増した。くそ。
そういや扇風機と一緒に水のボトルがくっついてるのを持ってるやつもいたな。あれはさぞかし涼しかろう。問題は俺みたいな人間が持っていると変に思われることだが。
まぁ、何もなければ夏はあと一年先のことだ。残暑ぐらい甘んじて受け入れよう。
この街は外周をまるっと山に囲まれている。その盆地になっているせいで空気が留まりやすく、残暑が長いらしい。あの公園があったのは街の東の端のあたり、丁度山脈に入り込もうとしたところにある。高い位置にあるおかげで風が通りやすいが、そこに向かう階段を下ると一気にジメジメとした空気がやってきていた。
だが、そんな道を通らなければ俺は帰れない。俺の帰る場所はこの街の中心、小高い丘の上にあるのだから。
まっすぐ家に戻ってざっと三十分。もう何度も通っている道で、迷うことはありえない。かといって見飽きた景色を眺めるのはヒマである。
そうだ、どうせならアイスでも買っていくか。少し遠回りすることになるが、家に着くのはそこまで変わらない。
帰りが遅くなることと、俺のサイフが軽くなること……それとあいつらの喜ぶことを天秤にかけたら選ぶのは後者だろう。
まぁ、単純に俺が涼みたいだけというのも否定しないが。
最寄りの店でアイスを買った袋を持って鳥居をくぐり、急な階段を上っていく。伸びきった枝が影を作っていて、歩いてきた道よりもずっと涼しく感じる。
段数はそんなに多くない。加工されていない岩が無造作に並んでできているために一段一段の落差が大きいからだ。所々に苔が生えていて、たまに足をすべらせることもある。
けれど俺はもう慣れているから特に気にすることなくすいすい上っていく。急がないとアイスが溶けるからな。
階段を上り切るとまたひとつ鳥居が現れる。ここからはさっきまでと違って小綺麗にされている。境内だけはいつも綺麗にしているようだ。俺もたまに手伝うし。
石畳を歩いて神社にお参りをする。お賽銭は……さっきの釣りでいいか。幾つかの小銭を投げて、手を合わせる。
そうしてしばらくして、本殿を離れてその裏側にあるあまり大きくない建物に向かう。
玄関の表札には一色と書かれている。その引き戸を開けるとカラカラと音が鳴る。それと一緒に俺は「ただいま」と家の奥へ届くように言った。
「………」
しかし、何も返ってこなかった。
時計を見るとまだ一時にもなっていない。あいつはまだ学園に行っているはずだろう。ひとまず台所に向かい、あいつの分のアイスは冷凍庫につっこんでおく。あいつが帰ってきたら渡すとしよう。
アイスを持って廊下を歩く。向かう先は玄関から離れた奥の部屋だ。俺はその部屋の扉の前に立ち、何度かノックをする。
すると、部屋の中で物音が鳴り、しばらくしたら奥に扉が開いた。
「アイス買ってきたぞ」
扉を開けてくれた少年……幸憂にアイスを渡す。彼は嬉しそうな顔をして受け取った。
そのすぐ後、紙とペンを持ってそこに何かを書き始めた。
『もう夏は終わってませんか?』
彼が見せてくれたメモにはもっともらしいことが書いてあった。
「外は結構暑いんだよ」
学園だってまだ完全に衣替えが終わっていない自由期間だ。まだ暑くても不自然ではないということだろう。
「それより、とっとと食おうぜ」
本場の夏よりはマシだが、最寄りの店との距離が地味にあるせいでここに来るまでにすでに溶け出している。せっかく買ってきたのにもったいない。
俺の言葉に反応して、「はい」と頷いた幸憂を連れて、園側まで行く。緑豊かで、鯉が泳ぐ池がある庭園が見られるその場所には、小さなテーブルと向かい合うように一対の椅子がある。そこに座った俺たちはようやくアイスに手を付けた。
俺の分は棒アイス。甘い炭酸水の味がする一般的なやつだ。特別好きなわけじゃないが、これが一番コスパが良い。なんとなくアイスが食べたい時に買ってくるには一番だ。それに運が良ければアタリも出る。そうなれば次回はタダで食べられる。なんと素晴らしいのだろう。
難点があるとすれば溶けてしまうとどうしようもないということか。夏場は急いで帰って急いで食べないといけない。ついでに、俺はまだアタリを出したことがない。幸憂が出したのは何度も見てるんだけどな。まぁ、元からコスパが良いのだから気にする必要はない。
幸憂の分はバニラ味のカップアイスだ。俺らと違ってマイペースにゆっくり食べるから、こういうのが合っている。その分少しお高いが、まぁ、大差はない。
木製のスプーンでアイスをすくっている姿を見ていると、やはりあいつとは姉弟なんだと思う。顔が似ている。だが、幸憂はうっすらと茶色がかった髪なので見分けるのは難しくない。それに性格は正反対だしな。あいつはもう少し弟を見習っておしとやかさを学んだ方が良い。
『どうかしましたか?』
と、俺が見ているのに気づいた幸憂がメモを取り出した。俺はそれに「なんでもない」とだけ言って、残りのアイスを一気に食べた。
幸憂は声が出せない。俺が初めて会った時からそうだった。過去にあった出来事のせいで、ショックで話せないらしい。もっとも、声は聞こえるため、幸憂には必要に応じて紙に書いてもらうことで会話している。 幸憂自身があまり家から出ないために俺たちぐらいしか会話をする必要がなく特に不便だとも感じていないが、いつか治ってほしいと思っている。必要な時に声が出せないと、きっと後悔することになりそうだからだ。
「………んっ!?」
頭が痛くなってきた。あれか。アイスを一気食いしたせいか。なんて言ったっけ?……かき氷頭痛だっけか。まぁ、名前なんてどうでもいいか。両手で頭を抱えて悶える。そのうち治るとわかっててもこの痛みはなかなか耐えがたい。一気食いするか溶けてたれるかどっちか迷って前者を選んだが、これは後悔しそうになる。
あー、変に苦しんでいる俺を見て心配したのか幸憂が立ち上がっておろおろしだした。まったく、お前は心配性だよな。そういや、戻る前も幸憂が心配してるって言ってたな。状況は違くなったが、せっかく戻ったのに変わらないな。
仕方ないので頭痛が収まるまで縁側で横になることにした。幸憂が座布団を持ってきてくれたおかげで木の床にそのまま寝ることにならなくて楽だ。
「そうだ。これやるよ」
俺に向かってうちわで風を送ってくれている幸憂に、ポケットの中に入れていた本を渡す。戻る前に読んでいた本だ。
『もし時間を巻き戻せたら、なにをする?』
そんな問いに対して、主人公は最後にこんな答えを出した。
『幸せな時間を何度でも繰り返す』
過去をやり直して未来を変えるわけではなく、ただ過去に戻るだけ。主人公にとっての幸せはその時間にしかないもので、だから誰になんと言われても同じ時を繰り返す。
それは未来を永遠に閉ざすということ。許されるものかと思うが、主人公にはそれしかなかった。過去に戻っても、未来は変えられない。運命として決められてしまっているから。どれだけ努力しても彼の思い人は死んでしまう。その先の未来は彼にとっては無いに等しい。だから彼は何度でも繰り返し続ける。そういう結末だった。
過去に戻っても、未来は変わらない。それが運命というもの。
本当にそうだろうか。少なくとも俺はそうは思わない。どれだけ意味があるかわからないが、最良の選択をしているつもりだ。
俺は未来を知らない。長く生きて、それから時計で戻れば知っているのかもしれないが、そんな先から戻った記憶はない。
ただ、ひとつだけ。俺のすべきことが書かれている手紙がある。気づいたら時計と一緒に置いてあった。
手紙の指示は時間まで指定されて一日に何行も書かれていることもあれば、ひと月ぐらいの間隔が空くこともあるという気ままなもの。その指示自体もある場所に行けとかそんなおおざっぱなものばかりだ。
胡散臭いものではあったのだが、時計の使い方もしっかり書いてあったこともあり、俺は指示に逆らえずにいる。なんとなく、嫌な予感がするんだ。
今日はというと、そんな手紙の指示はない。次は当分先の話だ。だから今はこうやって好き勝手に過ごしている。本を読むのは幸憂が教えてくれた趣味というものでもあるし、単純に知識が増えることは悪いことではないからだ。
扇風機のやつはディズニーに行くとよく買ってもらってました。かわいいですよね。