視察の旅 その33 元子爵領での最後の夜
僕は三人の部落長と別れを告げ、サノケッソの街での最後の夜を過ごしていた。サリルはいつまでも街に残ることを恨みがましく小言をはいていたが、本人からは僕達と同行したいという言葉が出てこなかったので、サリルは責任者になることを受け入れてくれているのだろう。ガムドもサノケッソの責任者から外れたことが気分的に楽になっているようで、楽しそうに夜を過ごしていた。
僕はガムドとグルドを呼び出し、今後について話し合うことにした。二人共、程よく酒が入っている様子で僕に軽口を言ってくるほどには上機嫌のようだ。
「まずは二人には今後、公国の軍事を担ってもらいたいと思っている。これについては異論はないだろ?」
二人は急に真面目な顔になり、頷いた。これにより、公国の軍事力は飛躍的に上がるだろう。グルドは、ガムドの父と共に各戦場を飛び回る目覚ましい戦果をあげた名将だ。一方、ガムドは実戦経験が乏しいものの、部下から大いに信頼されており、将軍として十分な素養がある。これについてはグルドも認めているところだ。まぁ、小言は尽きないようだが。
現状では、ライルが公国の軍事を全てになっていると言ってもいいだろう。公国は元子爵領が併合されたことにより、北でも直接王国に接してはいないが、王国に友好的な諸侯が隣接しているため、実質的には敵勢力に接していると言ってもいいだろう。なんとか早急に防衛陣を北に設置しなければならないのだが、これを任せられる者が今までいなかった。
しかし、ガムドとグルドの参入により、三人となり、ライルには南の砦を拠点とした防衛に集中してもらうことができる。ここからが二人にお願いすることだ。
「二人は知っていると思うが、グルドの領地が公国では北部の西端に位置する。つまり、敵との境界線となる。ここに防衛陣を築こうと思っている。もちろん、用地についてはこれから相談ということになるだろうが。その責任者にグルドに頼みたいと思っている」
グルドも防衛陣の存在がよく分かっていなかったみたいで、ついに攻めるのか? と興奮していたが、そうではないことを説明し、あくまでも公国領土に敵の侵入を防ぐための施設であることを伝えると、心なしががっかりした様子だった。それでも王国に対してなんらかの行動が出来ることには嬉しいみたいだが。
「さて、ガムドには僕の軍事顧問として僕の側に付いていてもらいたい」
ガムドは軍事顧問という聞きなれない言葉に首を傾げていた。僕は戦争が始まっても基本的に何をしていいか分かっていない。今まではライルが側にいてくれて助言をしていてくれたが、離れた場所にいるため、難しくなってしまった。いわば、ライルの代わりとしてガムドを側に置こうと思っている。
ガムドを側に置くことを前提として、ラエルの街に軍を新設して三軍を基本とすることにしようと考えている。有事の際はガムドがその一軍を率いて戦場に赴くことになっている。
「ガムドが基本的には全軍を見て行動することになるのだが。僕はガムドにそれだけの力量はあると思っているが、どうだ?」
グルドもしきりに頷いている。この人事には賛成のようだな。といっても、前もって相談してグルドのガムドへの評価を聞いたから判断していたのだ。ガムドは、ガバッと椅子から立ち上がったかと思うと僕の前に跪いた。
「全身全霊を持って、その役目を全うしたいと思います。我らの最大の敵である王国軍を打ち破れるように軍を強化してまりたいと思っています」
その言葉を聞いて、非常に頼もしく感じた。なんというかガムドならきっとやってくれそうな気がするのだ。僕は、期待しているぞ、とだけ伝えた。これで話し合いは終わりだ。サリルにはサノケッソの街についての計画を伝えてあるので、実務的な事は任せていいだろう。問題は、急いでやらなければならない土木工事の日程の調整が出来ないことだ。まだ、雪が深く、とても工事ができそうにない。僕は明日にはこの地を去ることになっている。再び、春を前に来なければならないだろうな。
「ガムド。伝えてある通り、僕は明日、この地を去り、東に向かい村までの道を開拓していくつもりだ。その道を辿って、村に来るが良い」
「ちょっとお待ちください。それならば、私も明日ロッシュ公と同行いたしましょう。微力ながら、私が護衛として任務に就きたいと思っております。どうか、ご許可をお与えください!!」
ふむ。本来であれば、ガムドにはサリルの引き継ぎのためにしばらくはこの街に滞在してもらいたかったが、一日でも早く村に来てくれたほうが、軍事の再編を早めることが出来るだろう。優先順位からすれば、そちらのほうが重要だ。しかし、引き継ぎが遅れるのは望ましくないだろう。しかし、それについてはガムドより街の行政に詳しいものがいるようでその者に一任できるというのだ。
僕はガムドの頼みを了承し、明日の同行を許すことにした。それからはガムドが家族とのしばしの別れを惜しむかのように時間を過ごしていた。僕は邪魔してはいけないと思い、グルドとサリルとで軍事談義をすることにした。やはり、グルドの話は面白いな。
翌日、僕達は出発するために屋敷を離れた。僕とシェラ、シラーが屋敷を出ると、ガムドが先に待機していており、自警団と共に荷造りの指示を出していた。今回のためにサノケッソの街に駐留している軍の一部も同行することになっている。この一団がラエルの街に新設する軍の中核となる者たちだ、そのため、精鋭で揃えてもらっている。それ以外のものはグルドの傘下に収まってもらうことになっている。
シェラとシラーは、荷馬車の空いている場所に座り、僕はハヤブサに騎乗して出発しようとすると、屋敷から二人の女性が走ってやってきた。当然、ガムドの妻娘のトニアとティアだ。僕達の見送りをしに来てくれたのだろうか。しかし、見送りにしては手荷物が多いような気がするが……。息を切らせたティアが僕の前にやってきた。
「ハァハァ。間に合ってよかった。私とお母様も同行させてください。私達も一日も早く村に行って、いろいろと勉強をしたいのです!!」
なんとやる気に満ち溢れた少女なのだろうか。僕はすこし胸が熱くなってしまった。僕としては二人くらい増えたところで特段支障はないが、ガムドはどうなのだろうか。荷造りの指揮をしていたガムドが妻娘の存在に気づいたのか、急いで僕の下にやってきた。
「やはり来てしまったか。昨夜はやけに聞き分けがいいと不審に思っていたが」
ガムドが呆れたような口調で妻娘に言っていると、トリアが一歩前に出て、ガムドの方をイタズラが成功したような顔をして僕の方に顔を向けた。
「ロッシュ公。厚かましいと願いとは重々承知しておりますが、私とティアの同行を許してもらえないでしょうか? 私達は足手まといになることも承知しておりますが、私達は夫と再び離れて生活するなんてしたくないのです。なにとぞ」
トニアが深々と頭を下げると、それを見倣うかのようにティアも頭を下げてきた。すると、ガムドもトニアの言葉に心が揺らいだのか分からないが、僕に同行を認めるようにお願いしてきたのだ。やはりガムドも離れて暮らすことに戸惑いがあったのかも知れないな。それに気づけなかかったのは、僕の失態だろう。
「いや、家族が離れ離れになるのは辛いことだろう。気づいてやれず済まなかった。同行を認めよう。二人はシェラとシラーから離れずに行動するようにしてくれ」
二人は、はい、と返事をしてシェラとシラーが乗っている荷馬車に乗り込んでいった。ついに僕達は出発した。街を出る間の街道には住民と兵たちが並び、喝采をあげていた。最後にグルドが待ち構えていた。
「この街と公国はかならずオレが守り抜くことを誓おう。道中の安全を祈っているぞ」
そういうと、手を大きく振り、僕達を見送ってくれた。僕はハヤブサに乗っているので荷馬車の中のことは分からなかったが、トニアが声を出さずに泣いていたらしい。これより森の南の縁に沿って東に向かっていく。目指すはラエルの街だ。