視察の旅 その18 山奥の集落
僕達は元子爵領に向かって視察の旅をしている。ロドリスの情報により、北の街道を北上して、元子爵領の途中の山中に集落があるという情報を頼りに探していると、斥候として送っていた自警団から集落らしい場所を発見したという報告が入ってきた。僕は、その報告に心躍るような思いを感じていた。その集落は、以前より牛の飼育をしているという話で、その技術を持っているものがいるというのだ。二村の牛の飼育を頼める者がいるかもしれない。そうなれば、食文化に大きな影響をもたらされるだろう。牛、最高!!
僕は逸る気持ちを押さえられずに、馬車を飛び出しハヤブサに乗り込み、報告のあった場所に向けて走っていった。当然、飛び出した僕を追いかけるようにシラーがついてくる。ハヤブサも本気で走っていないが、それに追いつくシラーはさすがだな。
北の街道をひた走るとついに集落を発見することが出来た。僕達は丁度、高台の位置にいて集落を一望することが出来る。山の中だと言うのに平地が広がっているところを見ると、どうやら盆地になっているようだな。僕達は、ゆっくりと集落に向かっていった。しかし、集落には人の影がなく、遠目で見たから気にしなかったが、建物がかなり朽ちているようだ。これでは、人が住んでいる様な感じはなさそうだな。
僕達は、さらに周囲を見て回ることにした。僕は落胆してしまった。建物の中には家財道具は一切なく、壁もぼろぼろだ。井戸を覗いたが、管理がされていなかったのか土が堆積して、完全に枯れてしまっている。どうやら、この集落は随分前に放棄されてしまったようで、人の住んでいた面影だけを感じるだけの場所となっていた。
さらに少し離れた場所まで向かってみることにした。そこには、牧場があったであろう朽ちた柵が設置されていた。やはり、ここでは牛の飼育がされていたようだな。僕はそのことを知って余計に悔しい気持ちが込み上げてきた。とはいえ、この状況を受け入れなければならないだろう。もしかしたら、ここに住んでいたものがどこかに移住したという可能性もある。そうであれば、いつか会えるだろう。僕はそう思い諦めようとした。
僕達から遅れて一時間後くらいに馬車が追いついてきた。今晩はここで野営をしよう。この盆地は風当たりが強いのだが、集落がある一帯だけは風の当たりが弱くなっているのだ。まだ日が沈むのには時間はあるが、休んで酒でも飲みたい気分だ。僕がそういうとシェラもシラーも大賛成をしてくれた。当然、サリルも参加するようだ。
「ロッシュ公。住民を発見できなかったのは残念でした。是非、この辺りの話をいろいろと伺いたかったのですが。私も集落を見て回ったのですが、ここが放棄されてからはさほど時間が経っていないように感じます」
サリルが面白いことを言ってきた。いなくなってしまっているのには変わりはないのだが、時間が経っていない理由というのが知りたくなった。
「この集落の近くに畑があったのですが、麦が撒かれていたのんですよ。もちろん、大部分が枯れていましたが、明らかに最近撒かれたものです。おそらく、昨年の秋くらいまではここに住んでいたのですが、何らかの理由で移動せざるを得なかったということでしょう」
なるほど。そうだとしたら、その理由というのが何か気になるところだな。しかし、この建物の朽ち方から随分前と判断したが、麦から判断するとはサリルの観察力はなかなかのものだな。やはり、外見通り、能力が高いようだ。僕がそのことを褒めると、くねくねとして微妙に恥ずかしがっている感じが気持ち悪く映った。
野営の支度が出来、僕達は食事を取りつつ、酒を飲んでいた。しかし、なんて寒いんだ。街から大して北上していないだろうに、この寒さは堪えるな。僕は自警団に頼み、廃屋から乾いた木材を持ってきてもらい盛大に焚き火をしてもらった。焚き火は空高くまでそびえ立ち、周囲を熱気で包み込んでくれた。そのおかげでようやく寒さを感じることがなくなり、ゆっくりと酒を楽しむことが出来た。
しばらくしてから、僕は自分のテントに戻ることにした。明日からも長時間移動をするのだから休んでおかなければ。シェラとシラーに目配せをして、共に戻ることにした。テントに戻ってからもシェラとシラーは酒を飲み続けていたが、これは約束だから文句も言うことが出来ないのだ。
翌朝、早くに目を覚まし、外に出てみると素晴らしい景色が広がっていた。昨日は廃れた集落に目が行っていたが、なるほど、この周りの山々の景色は見事だ。朝焼けに照らされて見事な風景が広がっている。この景色を見ながら散歩をしていると、サリルが言っていた畑を発見することが出来た。たしかに、麦が撒かれた形跡があるな。枯れている物が目についてしゃがんで原因を探っていると、背中にこつんと何かが当たった。
背中からでも分かる。鋭利な刃物のようなものだ。さすがにイタズラではなさそうだ。僕がそっと振り返ると、そこには僕より年上に見える女性が槍をこちらに向けて、立っていた。その周囲にも男たちが数人、同じような槍を持ってこちらをかなり警戒している。野営地はここからだとかなり遠いな。大声を出して聞こえるか分からないな。すると、前に立っている女性が話しかけてきた。
「お前たちは何者だ⁉ ここで何をしている」
この者たちは何者なのだろうか。皆、ボロい服を着ているところを見ると漂流者のようにも思える。しかし、この女性だけは薄汚れているが、仕立ての良い服であることが分かる。ということは、この集団のリーダーではないかな。山賊のたぐいだろうか。
「僕は、ここに集落があると聞いて南よりやってきたものだ。牛の飼育の技術者を探している。お前たちは、山賊か何かか? 僕から奪えるものはなにもないぞ」
牛の飼育という言葉を聞いて、女性がピクリと反応したのを見た。何かを知っているのか? すると、槍を構えていた女性が槍を起こし、警戒はしているが敵対する態度だけはやめたようだ。
「お前た……」
女性が何かを言い始めようとしたところで、シラーが突如として現れ女性以外の男たちを残らず瞬く間に制圧してしまった。どうやら、気絶させてしまったようだ。シラーは僕に向けられている槍目掛けて突進してきて、小枝を折るように槍の柄を簡単に折ってしまった。続けざまに女性にも手をかけようとしたところで僕は止めさせた。女性は、ぺたりと尻餅をついて呆然とした様子だ。
「お、お前たちは何者なのだ。何なんだ、一体」
女性がそういうと、シラーは冷たい目線を女性に向けた。
「お前こそ、何者なのだ。ロッシュ様に刃を向けるとは」
「ひぃ!! 私は、ここを治めていたオーレック騎士爵の娘モナスだ。昨夜、大きな火柱を見かけたから、盗賊が侵入してきたと思ってな。丁度、一人で歩いている男がいたから話を聞くために……仕方がないだろ。この地に住む者たちを守るためにはどんな手段でもやらなければならないんだよ」
僕は、モナスの言葉を聞いて、興奮することを抑えることが出来なかった。欲情しているわけではない。この地に人が残っていたことにだ。
「モナスというのか。僕は、イルス公国の主、ロッシュだ。オーレック家というのはこの地を治めている領主の家系ということなのか?」
「オーレック家はこの地を代々治めている家系だ。ロッシュ……イルス……辺境伯。辺境伯家のロッシュか!! そうか、そうか。イルス辺境伯家にはよく援助を受けていたと父から聞いたことがあるんだ。私も何度か辺境伯領に行ったことがあるんだぞ。ロッシュという子供がいると聞いたことがある気がするな」
こんな僻地のイルス領からすれば遠方であるこの地域に父上が援助を? 何ゆえだ? 僕が聞くとモナスはニヤッと笑い、答えた。
「それはもちろん、牛に決まっているじゃないか!!」