視察の旅 その1
休暇が終わり、雪が随分と収まってきたことを受けて、僕はガムド子爵領に向かうことにした。間違えてしまった。元ガムド子爵領だ。元が付くのは、王国との戦争の時、ガムド子爵は王国軍に見捨てられた形になったため、公国に降伏したのだ。当初は、ガムド子爵領の自治権を認める形を取る予定だったが、ガムドの妻子を救助して以降、僕の部下になることを望み、ガムド子爵領は公国に取り込まれることになったのだ。
実は、元ガムド子爵領には行ったことがない。そのため、子爵領の住民や土地について知ることは殆どないのだ。それを知るための視察だ。今はガムドにまかせている形になっているが、ガムドは将軍を排出する名家だ。内政官よりも軍人であることを選ぶガムドは、僕に会う度に元子爵領に足を運んで、行政官を派遣してほしいと何度も要請してきたのだ。
ライルに任せている砦が完成すれば、王国軍に対抗するための軍を再編することになるだろう。そのときには、是非ガムドの知恵を借りたいと思っている。それは、ライルも同じ意見だ。だから、その前に視察をしておかなければならないのだ。
元子爵領は、北と東に深い森が広がり、南には山岳地帯が広がる。西は拓けており、王都からまっすぐと伸びる街道のもっとも東に位置する。南にも街道があるが、人が二人並んで歩けるかどうかの道が続いているのみだ。その終点が、ラエルの街と王都を結ぶ街道にぶつかるというわけだ。現在、その交差する場所の近くで街作りが行われているのだ。
そのため、まずは新たに作られている街を視察することになる。その間にも、二つの村が新たに作られているので、そこにも立ち寄る予定だ。今回の視察には、ゴードンとルドが同行する。もちろん、ミヤとシェラも一緒だ。出来れば、どちらかが屋敷に残ってくれると良かったのだが、実際はマグ姉に追い出された形なのだ。ミヤとシェラは残念ながら、家事が全く出来ない。ミヤはやる気すらないが、シェラはやる気があるからたちが悪いのだ。マグ姉は仕事を増やしたくないから、僕に押し付けてきたのだ。
二人はそんな事情も知らずに、馬車に揺られて街道を進んでいく。僕はハヤブサに乗り、ルドとゴードンは自警団と共に歩いていく。総勢で100名ほどになってしまったのだ。僕は大げさすぎるとゴードンに抗議したのだが、全く受け入れてくれる様子がなかった。ルドも公国の主が数人を共に行動するなんてありえないぞ、と眉をしかめて窘めてきたのだ。そういうものなのかな、と思いながら従うことにした。
ラエルの街から街道に出来る時、沿道で住民たちが僕達を見送ってくれた。口々に、お気をつけて、とか行ってらっしゃい、とか言葉を掛けられて、いつの間にか僕にとって、ここは故郷のような場所になってしまったのだなと嬉しい気持ちが溢れてきた。それに、ハヤブサは子供に人気のようで、周りに子供が集まってきているのを見て、ハヤブサが住民に溶け込めていることを知って、更に嬉しさが込み上げてきた。
街道には、約30キロメートル毎に街や村が作られている。最初に訪れたのは、村だ。今は名称がないため、簡略的に一村と呼ぶことにする。一村は、二千人程度の人口で、産業は農業だけだ。近くに森が広がっているため、林業にも今後展開していくだろう。
今回の視察の旅で、もう一つ重要なことがある。それは、アウーディア石の設置をすることだ。アウーディア石の効果は、土地を豊かにするというものだ。もともとは効果が制限なしに広がっていたところをシェラの神力によって制限をしてもらうことにしたのだ。そうしなければ、石がすぐに消耗して無くなってしまうためだ。
そのため、何もしなければ、効力は村だけに及ぶというものだ。これを拡大するためには石を転々と設置している必要があるのだ。石同士が共鳴することでその効果が広がるらしいが詳しいことはよく分からない。石を設置すれば、30キロメートル四方広がるのだ。それゆえ、町や村を30キロメートル毎に設置しているのである。
石の存在は、土地の荒廃に大きく結びついているため、警備を必ず必要とする。村の存在意義はその一点に集約されるのだが、石のおかげで土地は豊かに広がっているので、大規模農業をするのにはうってつけなのだ。二千人という人口は、いますぐに村を作れる規模というので、その人数にしたが、農地を最大限に広げれば、その十倍は人を必要とするだろう。そうすれば、人を支えるために産業が生まれ、都市化していけば、郊外に更に村が広がり、街はどんどん大きなっていく。
その足ががりとなる基礎を作っているのが、今いる二千人というわけだ。この二千人を代表しているのは、今は村から派遣された自警団の団員だ。団員の名前はデルという。新たに採用された亜人の男だ。王国との一戦の際には一部隊を率いて戦ったらしく、その働きを評価されてライルの推薦で一村を任されたのだ。デルは、僕達に挨拶をするべく、村の入口で待っていたのだ。
「ロッシュ公。ようこそ、来てくださいました。私は、この村を任せられているデルと申します。以後、お見知りおきを。今回は視察と伺っておりますので、私がご案内いたします」
僕は頷き、ハヤブサから降り、デルに挨拶をした。僕達はデルの案内で、一村を回ることにした。まずは居住区だ。未だに十分な棟数は確保できていない状況のようだ。少ない棟数に、無理やり人を詰め込み、雨風を凌いでいるようだ。今はいいかもしれないが、続くようだと病気の蔓延が心配になるな。しかし、僕の心配をよそに村人達は元気そうに住居用の木材を運んでいた。
「デル。住居だが、どれくらいで完成できる見通しなんだ?」
「当初の予定ですと、夏頃を予定していたのですが、近頃、資材が滞りなく届けられるようになったので、もう少し前倒しで完成すると思われます」
ほお。物流を改善したことがもう効果として現れているのか。今までがどれだけ無駄があったかが押して測ることが出来るな。住居については問題はなさそうだな。そうなると、農地の確保が問題となるか。まずは、予定地を案内してもらうか。僕はデルに案内するよう頼み、その場所に向かった。
その場所は、北に森が広がり、ゆっくりと流れる大きめの川がある場所だった。水量は然程多くは感じないが、それはこの時期だからかもしれない。流石が周囲に広がっているところを見ると、そこまでは川幅が広がるということだろう。きっと、雪解けの時期になると景色は一変するに違いない。たしかに、ここならば農地としては最適だろう。問題は土だが。僕は土を握って、手を広げると、土が風に流されて手の上から消えていった。
やはり、土壌がかなり荒廃してしまっているな。こうなると、北の森にも大きな影響が出ているに違いない。森と農業は密接な関わりがある。森が豊かであれば、その周りの土壌に潤いを与えてくれる。その潤いが作物の栄養となるのだ。その森が、この荒廃した大地では遅かれ早かれ枯れてしまうのは自明だ。
「ロッシュ公。この土地で本当に農作物が出来るのでしょうか。私がこの村に来てからも、土の状態が悪くなる一方で、とても農業が出来るような状態ではないと思うのですが」
「デル。ここだけではない。おそらく公国の外は同じ状況だろうな。しかし、ここもラエルの街のような土に戻すことが出来るんだ。僕はそのために来たのだ」
どういうことですか? とデルは聞きたそうにしていたので、僕は石を取り出し、これを祀れば土は蘇るのだ、というと、半信半疑といった表情で僕を見つめていた。それはそうだろう。僕でなかったら、確実に疑われるだろう。石を祀れば土が豊かになる? とても信じられる内容ではない。しかし、嘘臭いがそれしか言いようがないのだ。
言葉で信じてもらうのは難しいので、とりあえず適当な木材を加工して、祠のようなものを一村の中心に置くことにした。今は怪しいものだが、必ず一村の象徴的なものになるはずだ。デルは、この中心に僕の銅像を置こうと画策していたらしいが、事前に止められてよかった。
「デル。石を祀ったことで、自然と効果が出てくるだろう。春までには見違えるほどにはなっているだろうな。だから、春の作付けに間にあうように、準備を進めてくれ。まずは、森の縁に沿って畑を伸ばしていくんだ。堤防や水田も数年以内には整備していこうと思っている。それまで、農地を出来る限り広げていおいてくれ」
デルは、石のことはともかく、任せてください!! と力強く頷いた。僕達は、そのまま一村で一晩を明かし、早朝から次の村に向かって出発することにした。