王国からの侵略 第一次攻防戦⑧
子爵の話は実に有意義だ。王弟派といっても、形ばかりのものが多そうだ。数少ない忠義の篤い者が、ここにいる子爵というわけか。そのような者をこうもあっさりと見捨てる王弟は、思ったより大したことのない男に感じるな。とにかく、今回の目的を聞き出さねば。
「今回の戦はこっちにとっては不本意なものだ。急に攻め込まれたのだからな。なんとか、撤退させたはいいが、こちらの損耗も著しい。子爵には、洗いざらい聞かねばならない。今回の戦について」
子爵はしばらく沈黙をし、考え込んだ後に、静かに話し始めた。
「まず、これから言うことは、我が身が惜しくてを言っているのではないことを申し上げておきます。私は、この戦には反対でした。ルドベック殿下もご存知の通り、我が領には遠征をするほどの余力はないのです。特に最近になって、急速に農作物の収量が減ってしまい、蓄えも心許ない状態です。なにゆえ、私が王弟殿に味方をし、兵を起こしたかと言うと、我が妻と子が人質に取られているからなのです。ルドベック殿下が我が領を去ってから、すぐに王弟殿から使者が参りまして、味方をしなければ攻めると……領民二万人の命を犠牲にするわけには行かず、軍門に下りました。その証拠として、我が妻と子を人質に差し出したのです」
子爵はここで、出された水をぐっと飲み、再び話し始めた。僕もその様子を見ながら、話が終わるまで、聞くことに集中した。
「妻と子を人質に取られていても、戦争をおこし、領土の食料が枯渇すれば、領民を救えなくなる。なんのために人質まで送った意味がなくなる。私は、王弟殿に対して、戦争の参加を拒否する使者を送りました。しかし、後日来た使者は、まるでイルス領を見てきたかのように話すのです。そして、王国騎士団のみで、イルス領は制圧可能で、我が領の兵たちは、あくまでも王国騎士団の予備に置くだけなので、損耗もないだろうと。なにゆえ、そこまで詳しく知っているのか尋ねると、使者は、自分は最近イルス領に行って見てきたのだと言っていました。よく見たら、以前、ルドベック殿下が我が領を訪ねてきた時に参謀として使えていたものだったのです」
その話を聞いて、ルドの表情は悔しそうな顔をにじませていた。しかし、これで繋がったか。王国に話を持ち込んだのは参謀で間違いないようだな。
「その参謀が言うには、イルス領は食料が豊富で、土地も豊かで、奴隷にできる亜人がたくさんいるという話でした。参加した貴族には、食料を山分けした上、その豊かな土地から採れる作物も手に入れられると聞かされました。私は、この話を聞いて、つい腰を上げてしまったのです。ロッシュ公の領土を我が領民を救うためとは言え、侵略に手を貸してしまったのです。これでは、私は申し開きをする言葉すら見つからない。私は、領主として、一王国民として大切なことを忘れてしまっていたようです。領土は違えども、同じ国民であることを。私は如何様にも罰を受けましょう」
潔さに惚れ惚れとしてしまうな。正直、こちらには実害は殆どなかったから、怒りというものは然程には湧いてこないのだ。もちろん、公国民を危険に晒したことについては、きっちりとけじめは取ってもらうつもりだ。しかし、誠に許せないのは、王弟であり、王国そのものだ。さらには、それらを唆した参謀だ。
そうはいっても、現状では、王国になにかするという力は公国にはない。そのためには、まず味方を増やさなければならない。それも裏切らない者だ。増援と言って、火薬玉を一回見ただけで、引き下がってしまうような貴族には用はない。そういう意味では、子爵は是非とも味方に引き込みたい。それに、子爵の率いる兵たちは、今でこそ弱兵の部類と言えるが、まともな食事と武器を与えていれば、王国騎士団に引けを取らないのではないかと思える。
「話はよく分かった。子爵の境遇を思えば、苦しい決断であったことは想像に難くない。私も様々な決断を迫られる時、常に考えるのは、領民のことばかりだ。我が領民は、公国のために必死になって働き、貢献してくれている。その者たちが少しでも報われるような領地経営をしていかねばならない。それは、子爵も同じ考えであろう。ましてや、妻や子を人質に取っていられるとなれば尚更。それらを考えれば、子爵の決断はいささかも責められるようなものではない。だから、自分をそう責めずとも良い」
子爵はこちらを見つめ、目には涙を溜めていた。小さな声で、ありがとうございます、と何度も口にしていた。
「さて、子爵。ここからは領地を持つ者同士の話に移ろうではないか。もちろん、子爵の悪いようにする気はない。単刀直入に言うが、我が公国の味方についてくれぬか? そなたのような忠義に篤い者を味方に付けられれば、これほど心強いことはない。条件はこれから話すが、子爵にその意志はあるのか?」
子爵にとって、僕の誘いは意外だったのか、目を見開き、じっと、僕の目を見た後、首を横に振った。
「ロッシュ公のお誘いは大変魅力的であります。これほどの豊かな土地を有している領地など王国にはないでしょう。さらに、単独で王国軍を撤退までさせる軍事力は驚くばかりです。我が領民のことを思えば、ロッシュ公に膝を折ることも吝かではありません。しかし……やはり。妻と子が……」
やはり人質が問題となるだろうな。僕も妻が人質になったらと考えると、肝が冷える思いだ。しかも、あの醜悪な面の王弟にだ。何かをされているのではないかと思うと、夜も眠れないだろう。
「やはり、そうか。いや、それでこそ、僕が味方にいれたい男の姿だ。気にするな。では、人質を奪還することが出来たならば、考えは変わりそうか?」
子爵はぐいっとこちらに見を近づかせ、興味をひいている様子だ。ルドも少し驚いた様子だった。
「実はな、この戦に紛れ込ませるように王国に部下を何人か送ったのだよ。王国軍が率いていた亜人の様子が少しおかしかったのだよ。士気は低いくせに、前進を止める気配がなかったからな。それで、調べたら、どうやら家族が人質に取られたものばかりだったのだよ。人質を奪還するには、今のタイミングは最高だとは思わないか?」
「もちろん、それは。王国騎士団は、既に戦闘力は失っているでしょうから、人質の救助にはこれ以上のタイミングはないでしょう。しかし、成功の見込みはあるのでしょうか? こう言っては何ですが、王国の地理に明るく……」
そういって、子爵はルドの顔を見て、合点がいったような表情をした。そう、僕の部下には王都内に精通したものがたくさんいるのだ。それに、王国騎士団に所属していた者も。怪しまれずに行動できる者がこれほどいれば、成功率はかなり高くなるだろう。もちろん、脅し用の火薬玉もいくつか持たせている。あとは、一月もすれば、結果は分かってくるだろう。僕にとっても賭けだが、この賭けに勝てば、王国を大きく弱体化することが出来る。
「わかりました。そこまでして頂けるのでしたら、ロッシュ公の軍門に降りたく思います。我が領とロッシュ公の領は隣り合わせ。我が領も公国として迎え入れて頂きたく思います。されば、我が領民も救われましょう。私のことも一部下としてこき使っていただければ幸いです」
「よく言ってくれた!! ガムド子爵。貴殿がそう言ってくれると嬉しいぞ。さて、子爵がそう言ってくれると楽しくなってくるな。条件を説明しよう。貴殿の領土には改めて、公国から行政官を派遣させてもらう。これは、実地調査をさせるためだ。土地の状態、品種の確認、収量の状況から人の動きまで全てを調べさせてもらうぞ。その上で、農地改革をしてもらい、収量を増やしてもらう。食料はそれで、備蓄を増やせるはずだ。それと軍備だが……」
「ちょ、ちょっと待ってください。公国として受け入れて頂けるのでしたら、行政官の派遣はお認めいたします。食料の備蓄を増やして頂けるのも、これ以上の喜びはありません。しかし、領民は明日食べるものに困っているのです。将来の領民より、今の領民に手をかけてもらえないでしょうか?」
ん? ああ、それもそうだな。農地が拡大するので、つい興奮してしまった。しかも、二万人も領民が増えるのだからな。
「ああ。もちろん忘れてなんかいないぞ。すぐに、公国から備蓄を出そう。こちらも然程に余裕はないが、なんとかなるだろう。これから冬になるが、まぁ、足りなかったら、皆で食料を分け合おう。そうすれば、皆の口に少しでも食い物が入るだろう」
「あなた様こそが真の領主様です。領民のためにこれほどの気持ちを持っている領主がどこにいましょうか。私は、是非ともロッシュ公を主としてお仕えしたく思います。なんなりとご命令をお与えください」
ガムド子爵が僕の部下になることになった。それに併せて、ガムド子爵領も公国に加わることとなった。これで公国は北に大きく勢力を伸ばすこととなった。