詩 雑文 他 神
?仰ることは解るように思うのですが、像を結ばないのは、抽象的だからではなく掴んでないからに見えます。別にそれが良い悪いありません。元々意味のないことしかありませんから。それは、別に何も言及することじゃない。……ただ、気になったのは傷のように見えることです。心地よいことで無いのならそこに詩の清廉さや、敢えて表出する意図を自分は思えないので、?と、思うのだと思います。
……すみません。少し出かけなければならなくて……帰り次第、続きを書き込みます。取り急ぎここまで。失礼致します。
と、仰られていますし、表出方法が行間を空けて。こういった場合、自らのなにかを大事に拾いあげている、と私は捉えます。行間を空けた表出と空けない表出では、捉えようとしているもの、意識の置き方、向き合う姿勢など、大事にしているものが異なると私は自らを振り返り思います。それらは別々です。殊更大事にされようと思われるものが
神の言葉を拾おうと、日本にも巫女は居ました。シャーマンは、神を信じようとされる場所ではまだ居るのでしょう。いつか見たドキュメントでは、瞑想状態に陥る為に、自然に自生している麻薬を吸い込み神の言葉を伝えようとされていました。
他には
……どんなに文化圏か先進国ではなくとも、女性たちは、精一杯でお洒落を楽しみます。首飾りや鮮やかな髪留め、民族衣装。進化の過程でも、人は文化(言葉)を扱い始め、集落を形成した辺りからもう既にお洒落を楽しんでいたことが解っています。それは、儀式に必要としていたという面もあるでしょうが、もっと単純に、人は文化を持つと他の目を意識する喜びに目覚めると私は、そのようにそういった現象を理解しています。つまり、彼等はお洒落をし、他に魅せる、若しくは喜ばせる行為、自らを喜ばせる行為を楽しみ始めるのだと言えるのだと思います。
あらゆる表現は、他、ありきです。神とされる存在ですら大きく括れば自らとは異なる他です。他がなければ、私は表出しようとしたでしょうか?私は、その問いに首を振ります。他を自らの中に見る意識は、そもそも、本物の他が無ければ生まれません。だからこそ、私は、表出する喜びは、他あってのもの、と、認識し、理解をしています。話を戻します。さんは、私に、ただ息をするだけと申しました。他に向かって表出するものは、本当にそれだけですか?その先は?私は、それのみで傷をほんのり滲ませるさんのお言葉を掴みきれずにいます。