「わたモテ」加藤さん回が最高だった件
いやー「わたモテ」加藤さん回、最高でしたね。
元々、加藤さんというキラキラキャラはどう処理するか、個人的には心配していました。というのは、加藤さんはまだネモやゆりのような「本性」を見せていなかったからです。ドロッとした人間臭さがまだ見えなかったので、言ってみればモデルのような、綺麗で憧れるけど、置物的に存在している要素が強かった。
もちろん、そうは言っても魅力のあるキャラで、自分も好きだったんですが、ネモやゆりと比べると、やや落ちる部分があったかと思います。ヤンキー吉田は、漫画的ヤンキーの部分を取り除けば、聖人コースに入っていると思います。最高位の聖人は今江先輩で、まこが、気遣いのできる普通聖人という感じですか。ピュアヤンキーは聖人キャラ扱いかと思います。
そうなると、加藤さんの座りが悪くて、絵文字なんかは、背景で「キモイキモイ」言っている人でいっか。加藤さんがどうなるかという事は、個人的には「わたモテ」の気になる所でした。
それが、今回の青学見学回で、いやー、来たな、と。キモいな、と。「ペ○ス」と言う加藤さんはキモいな、と。いや、最高です。最高ですね。
落ち着いて感想を述べますと、加藤さん回で、「わたモテ」という作品の目指す所、その本質がはっきりしたと思います。加藤さんという宙ぶらりんのキャラクターをどう扱っていくか、それがある方向にはっきり出たので、作品の方向性も見えた気がしました。
今回は加藤さんが、ゆりやネモ、絵文字同様、もこっち争奪戦に参加した形なわけですが、加藤さんがもこっちの底にあるものを見たいと思ったのが決定的だと思います。
「わたモテに見るキャラクターを破るキャラクター性」という文章の中で、ゆうちゃんが、自分自身のキャラクター性を越えても、もこっちともっと仲良くなりたい、今までの型通りの関係を打ち破りたいという感情を持っているという話をしましたが、同じ事が加藤さんにも起こったと思います。
4chanで、もこっちは、キャラクター達の内に眠れる秘めた欲望を目覚めさせる能力を持っているという指摘があったそうですが、これは的を得ているかと思います。もこっちは、それまで眠っていた、表皮的な、スクールカースト内におけるそこそこの役割としての人間関係を打ち破る触媒的な役割を担っている。
もちろん、それが可能なのは、もこっちが、人との関係がうまく行かず、関係面にうまく解消できない「底の自分」を持っていて、それを捨てて、まわりに合わせれば楽なのですが、これを捨てなかったという事にもこっちの特徴がある。
三年生の自己紹介の時に、もこっちがわざと恥ずかしい自己紹介をする場面がある。あれは感動的な(馬鹿馬鹿しい)場面でしたが、あの時に、もこっちが、「他人に嫌われたくない」「空気を読もう」という一般的な風潮をぶち破っても、己というものを晒せる存在だというのがはっきりしたわけです。そこに至る過程は、もこっちがこれまで散々、恥ずかしい事、空気が読めないとか、うまく馴染めないとかいうのを体験したからこそ、そこからの逆転があるからこそ、ああいう場面が出てきた。
そうです。もこっちの想像していたのとは違い、「他人達」は自分達の関係や空気感を守る為に、何かを代償にして生きている。他人に嫌われてでも、自分を現すという場合、そもそもその自分がないか、あるいは自分を殺してでも、その関係を守るかという風になる。過不足なく、世の中に溶けている人は幸福だ。しかし、そういう人には魅力が足りない。もこっちのようなぶち破り具合が足りない。
もこっちの魅力は、他人に嫌われてでも、関係の網の目を越えても、それから脱落するとしても、自分というものをはっきり打ち出せる、恥ずかしい自分で何が悪い!と自身の経験から、根源的に言える所にある。それが「逆に」、ネモやゆり、加藤さん達を引きつける。リア充は無理して、努力して、楽しい雰囲気を作っている。しかし、それは無意識的なストレスがあって、その圧迫を越えても自分はある、自分を表せるという風に持っていける所に、百合ヒロイン達は魅了された。
そういう風に自分は「わたモテ」を見ていたわけですが、それは、こっちの考察にすぎない部分もあるわけです。(多分そうだろうな)という感じです。しかし、加藤さん回で確信が持てたというか、そういう側面がよりはっきりした。先に言ったように、もこっちの魅力は、そこそこの人間関係で満足できるキャラではない事にある。だけど、加藤さんには気を使って、そこそこの女子を演じてしまう。
そこに不満を感じて(本当の自分を曝け出してみろよ…)と迫る加藤さんは既に、もこっちに蠱惑されているわけですね。いやあ、最高ですね、「かともこ」がこの世に現れてきたわけですね。
という事で、加藤さんももこっちルートに入った、と。加藤さんがもこっちに興味を持って、本当の自分を晒すように迫ったという事は、加藤さんも今までの自分を捨てて何かになろうとしている証拠。つまり、みんなはもこっちというダメ人間を契機として人間的に成長しようとしている。そういう、彼らの物語でもある。
いやあ、いいですね。そういうわけで、加藤さん回最高でした。加藤さんが以前よりも好きになれた。この「好き」というのは、例えば、誰かがどうしようもない事でも、本音を言った時にそいつを好きになれるというのに似ている。(こいつくだらないなあ)という友人がいたとしても、そいつが、そのくだらなさを全力で本音として言ってきてくれれば、好きになれます。自分に嘘をついて、他人にも自分を偽っていた人が、本性を出す。その本性がどれほど醜くくだらないもので、一般人なら引くものでも、それでも本性という事だけで大きな価値がある。そいつを好きになれる。
もちろん、加藤さんその他のキャラはくだらない人ではなく、みんないい子です。しかし、加藤さんが「ペ○ス」なんて言ってしまって、逆に加藤さんの事が人として好きになれる。やはり、人間の魅力は幻想を作る事にあるのではなく、幻想を破れるという所にある。そう思いました。いやあー加藤さん回最高でした。続きが気になります!