完全
「今日も私の勝ち~~」
「うるせーな! 完全試合できるところを一人歩かせて、俺で終わらせやがって!」
六月中旬、練習試合を組めなかった週末に吉岡高校では久しぶりに紅白戦が行われた。
結果は、ヒバリの独壇場だった。
「まったく不安だよ。こんな貧弱な打線で夏の大会を勝てるのかな?」
ヒバリに煽られると部員たちは居残って、バットを振る。
部内に活気が戻った。
夏の大会まで一ヶ月を切った。
劇的に変わることは出来ない。それでも吉岡野球部の部員は、徐々に力を付けていった。
その中、一人だけ飛躍的に覚醒した部員がいる。
「ヒバリ先輩、今日の紅白戦で全打席安打なら勝負してくれる約束でしたよね?」
ヒバリが投手を務めたBチーム。控えの選手で構成されている。その中で光っていたのが、祐輔だった。
四番を務め、四打数四安打一本塁打四打点。
夏までに必ずレギュラーになる。吉岡野球部の全員がそれは分かっていた。問題はポジションである。
入部当初は投手を希望していた。その素質はある。
しかし、ヒバリの存在を認めた。現時点では勝てないと思った。
「ポジションはどこでも良いです。チームに貢献したいです」
祐輔が申し出たのは、数日前のことだった。
今日はレフトを守った。投手以外のポジションで、レフトは強肩の祐輔に適所である。
「君はもっと野心家だと思ったよ~~」
ヒバリは笑う。
「諦めてませんよ。ヒバリ先輩がまた不調になったら、今度こそそのポジションを奪いますから」
「怖い後輩だな~~。じゃあ、頑張んないといけないな~~」
始まった三打席勝負。
絶好調の祐輔と部内無安打記録更新中のヒバリ
今日こそヒバリは打たれるかも、と部員の注目が集まる。
「いいね。なんかピリピリしてて、こういう空気は人を成長させるよ」
と言ったヒバリは容赦がなかった。
勝負の結果は、3三振。
「お前は鬼かよ」
カズが言う。
「これが私の全力全開!」
天使のような悪魔の笑顔。少なくとも部員たちにはそう見えた。
「全く、お前が味方で頼もしいよ」
部員たちはカズの言葉に同意した。
「次は絶対に打ちますからね!」
祐輔は悔しそうに言った。
夏の大会、ヒバリにとって最初で最後の夏はすぐそこまで来ていた。
夕方。
「ただいま~~」
ヒバリは帰宅するとすぐにシャワーを浴びる。
そして、ジャージに着替えた。
「お母さん、ちょっと出かけてくるね」
「カズ君の所?」
「うん」
ヒバリは自転車でカズの家まで向かう。たった三分の距離である。
到着するとヒバリは、インターフォンを鳴らした。
カズが出てくる。
「相変わらず早いな。そして、女の子っぽくない格好だな」
「これが楽なんだよ~~。なに、もっとフリフリの服を着ていた方が良いの?」
「そしたら、似合わねぇ、って言うと思う」
「努力した上にそんなことを言われると思うと、カズの家に来る時は意地でもジャージ来るよ~~」
「まぁ、その方がお前らしいよ。入れ。準備は出来てる」
「うん、ありがと」
カズはヒバリをリビングに案内した。
これから二人は、昔のヒバリが登板した試合の映像を見る予定だった。
それは夏に向けて、何か気付けるものがないか探すためだった…………というのは、建前かもしれない。本当はこの世界のヒバリが歩んだ道を知っておきたかったのかもしれない。
ヒバリの家にあったものは、全て見た。
しかし、何も見つからなかった。
だから、カズの家にあるものを見に来た。
「一つの投球フォームに拘らないで、変則投法も混ぜたらどうだ?」
カズが提案する。
「駄目だと思う。まず、私にはアンダーやサイドで投げられないし、それを今からやると本来の『後出し投法』に悪影響があると思う。変化球だって投げれないし、投げられるようになったところで、それが強豪校に通用するとは思えないよ」
ヒバリは中学時代に変化球を覚えようとした時期があった。
しかし、身体能力で男子に大きく劣るヒバリでは、変化の幅で敵わなかった。
「なら、速球に変化を付けたらどうだ? ツーシームとか」
「木製バットならともかく、高校は金属バットだよ。多少、芯を外したくらいじゃ、打たれるよ」
「駄目か~~」
映像を見ていても何か見つかることはない。
二人が「無駄かもしれない」と思い始めた頃だった。
「オーバースロー?」
映像は中学時代のヒバリだった。
まだ、変則投法に走る前に姿である。
「えっ!?」
ヒバリは何かに気付いた。
「カズ、リモコン貸して!」
「なんだよ、いきなり」
カズはリモコンを渡す。
ヒバリは巻き戻して、同じ映像を見た。
「やっぱり…………」
「何がだよ?」
ヒバリは、映像から目を離さなかった。
「しかも一球じゃないんだ。でも、たぶんこんな球はずっと投げられない。勝負所でしか投げられない」
ヒバリはぶつぶつと独り言を呟く。
「このやろ」
「ひゃう!?」
カズはキンキンに冷えた麦茶のグラスを、ヒバリの首筋に当てた。
「ひゃう、って気持ち悪い声を出すなよ」
「カズのせいでしょ!」
「で、何に気が付いたんだ」
「私、こっちの世界の私を馬鹿にしていたけど、訂正するよ。こっちの世界の私は、凄いね。本当に凄い。私には出来ないと思っていた。諦めていた。それをやっている」
「分からないけど、それはお前にも出来ることなのか?」
「たぶん出来ると思う。ううん、こっちの私ができるようにしてくれた。準備は必要だけど夏までには間に合わせるよ」
ヒバリは気付いたことを、カズに説明した。
七月、第一週。夏の高校野球群馬県大会、抽選日。
抽選から帰ってきたマサが、初戦の相手を発表する。
「えっ、なんだって?」
カズが言った。
頭を抱えている。
「だから前橋大付属だよ」
「お前にクジ引きさせたのが間違いだった」
「良いじゃん、どうせ甲子園行くなら、倒さないといけない相手だよ」
ヒバリが言う。
「ヒバリ、強気は良いけどな。これはトーナメントなんだ。強いところは当たる回数が少ない方が良い。それに強豪に勝てば、注目されて、マークもきつくなるぞ」
「考え方が姑息だな~~。良いじゃん、いくらでもマークさせてあげなよ。そんなことで私は負けないから」
ヒバリは笑う。
「本当にお前はこういう時、楽しそうだな。頼むぞ、エース」
「任せて~~」
夏の大会が始まる。
赤いユニフォーム。
それが前橋大付属である。
攻撃色である赤。それを体現するように、前橋大付属の野球は攻撃的である。
『機動野球』を掲げ、スタメン全員が俊足である。
前橋大付属の選手が四死球、単打で出たら、二塁打と同義だと思え、と他の高校は教えられている。
春の大会では群馬育英に勝った。県大会を制覇している。
「ランナーは気にするな。お前なら、ホームを踏ませやしない。万が一、スクイズに来てもお前なら後出しで外せるしな」
試合前日の帰り道、カズはヒバリにそんなことを言う。
「カズ、心配しなくてもいいよ。私は大丈夫。カズのことを信じているから」
ヒバリの声は穏やかだった。
「そうだな。明日は勝って、明後日は新聞の一面だ!」
カズは自らを鼓舞するように言った。
翌日、吉岡高校初戦の日。敷島公園球場。
「少しは気になる?」
「大いに気になる」
会話の主は群馬育英の3番、4番である。
すなわち、新田知枝と上泉秀である。
試合はすでに体勢が決していた。
4回を終了で17-0。群馬育英は、二強の力を遺憾なく発揮していた。
「吉岡と前橋大付属、どっちが勝つと思う?」
新田知枝が言う。
どっちが勝つ。
そんな議論ができる対戦カードでない、とほとんどの者は思うだろう。
しかし、新田知枝、そして上泉には十分議論の余地があることだった。
「県内最強の破壊力、それに俺たちも春の大会は負けた」
春の大会は前橋大付属に軍配が上がった。
「あの破壊力は驚異だ。しかし、欠点がある。お前も気づいているだろ?」
「前橋大付属の攻撃力は機動力、つまり出塁しないといけないってことでしょ?」
「そうだ。前橋大付属に良いバッターはいるが、超高校級のバッターはいない」
この日、群馬育英は5回コールドで初戦を終えた。
しかし、高崎城南球場で行われていた『吉岡高校と前橋大付属』の対戦はすでに終わっていた。
ネットでは、その波乱の結果が話題になっていた。
吉岡高校の初戦翌日。
ヒバリは異常なほど早く起きた。
まだ4時である。
「なんだ、こんな時間に?」
玄関で父親と出くわす。
「昨日、試合の後、疲れて寝ちゃったから、生活リズムが狂っただけだよ。じゃ!」
そう言って、自分の部屋に戻ろうとする。
「待て、なら、右手のものは要らないだろ」
父親はヒバリの持っている新聞を指差す。
「普段はテレビ欄くらいしか、新聞なんて見ないだろ」
「今日はみたい気分なんだよ」
「じゃんけんだ」
「えっ?」
「それは父さんの給料でとっているものなんだから、本当は父さんが1番に見る権利がある。それを譲歩してじゃんけんに勝ったら、見せてやるって言ってるんだ」
「お父さん、凄く大人げない」
「なんとでも言え。行くぞ。じゃんけん、ポン!」
「ポン!」
「ポン♪」
「「えっ?」」
勝ったのは三人目の参加者だった。
「母さんの勝ち」
母親は、ヒバリから新聞を取り上げた。
「ちょっと待ってよ、お母さん! これはお父さんと私の勝負だよ」
「そうだぞ!」
大人気ない父子が抗議する。
「この新聞、契約したのは誰だったかしら?」
「そ、それは…………」
「あなたはそういう面倒なことをしないわよね? 私が契約した新聞を私が1番に読む。問題あるかしら?」
かかあ天下、と呼ばれる群馬の女性は強かった。
母親が見せびらかす新聞の表紙には『吉岡高校完全試合勝利』の文字が見えた。




