春季大会初戦
四月下旬、春季大会1回戦。
相手は群馬育英。
県内の二強の一校である。
「ふ~~ん、新田さんは三番なんだ」
ヒバリは気になっていた選手の一人を確認する。
上泉秀の打順は確認するまでもない。
「あの三番はやっかいだぞ」
「打つ方は分かってるよ。でも守備とはどうなんだろう?」
「守備は外野、育英の基準で上手くも下手でもないってところだな。足は正直、遅い」
カズが言う。
「守備、走力は了解…………ところで何でカズがここにいるの?」
すでに試合は始まっていた。
吉岡高校は先行、先頭バッターはカズだったのだが…………
「うるせ! お前が育英にびびってるんじゃないかと思って、早く戻ってきてやったんだよ!」
「要らない気遣いをありがとう」
「口喧嘩してる場合じゃないぞ。もうツーアウトだ」
「全くもう、点は取ってよね。私が押さえても、完封されちゃったら勝てないよ」
「言われなくても取ってやるよ…………次の回から」
吉岡高校1回表の攻撃は、三者凡退で終わった。
そして、群馬育英の攻撃。
1番バッターの早川。
その早川に投げたヒバリの1球は、ど真ん中の棒球だった。
早川は「しまった!」という顔をする。
これだけでヒバリが有利に立つ。
2球目もど真ん中に投げる。完全に意表を突いた。
3球目、早川は「さすがに外してくる。それが定石だ」と考えた。
それは完全にヒバリの術中だった。
低め、球は遅かった。早川は変化球と錯覚した。
チェンジアップ、それともフォーク。
どっちにしろ、ワンバンドになる。
早川は動かなかった。
しかし、球は落ちない。低めに入る。
「ストライーク! バッターアウト!!」
主審の宣言に早川は肩を落とした。
2番バッターの細谷が打席に入る。
細谷は余裕のある顔をしていた。
ヒバリのボールの脅威を感じなかった。
ヒバリはそれに気付く。甘いコースに高回転ボールを投げ込んだ。
細谷はそれを打ち上げ、セカンドフライ。
細谷は首を傾げていた。
「ふふふ、不思議でしょ。ジャストミートしたと思うよね~~」
ヒバリはマウンドで独り言を口にした。視線を細谷から、3番の新田知枝に移した。
「さて、ここまで4球で済んだけど、このカットマン、じゃなくてカットウーマンに何球使うかな?」
ヒバリは2球続けて、ど真ん中に投げた。
新田知枝に打つ気がない、と気付いたからである。
「ここからが新田さんにとっては、本領なんだね」
ヒバリは試しにボール1個分外した。
新田知枝はバットを振る。
「ファールボール!」
ボールは一塁線を遙か右に飛んでいった。
「もしかしたら、ストライクを取られる、ってコースをカットするか…………」
4球目、ヒバリは遊び球を使わなかった。
内角に低回転ボールを投げた。
新田知枝は寸前まで打つ気だった。
しかし、打たなかった。
見逃した。
当然、ストライクのコールを受けて、アウトになる。
新田知枝は無表情で打席から立ち去った。
ヒバリは不気味さを感じた。
「よし、順調な出だしだな! …………ヒバリ?」
カズはヒバリの様子がおかしいことに気付く。
「気付かれた、かも」
ヒバリはそう結論づけた。
「気付かれたって…………まさか、低回転ボールが、か!?」
「新田さんは寸前まで打つ気だったよ。それなのに、打たなかった。ボールをじっと観察していた」
「まさか、1球でか? そんなことが…………」
「身体能力で圧倒的に劣る私たちが、通用するためには天才的な何かが必要なんだと思う。私が駆け引きを武器にしているように、新田さんは眼を武器にしているのかな? 新田さんが見送った時、じっとボールを観察していたもん」
「で、どうするんだよ?」
「どうもしないよ。種が分かったところで、カズは私のボール打てる?」
「うるせ!」
「打たせないよ。新田さんにも上泉君にも」
ヒバリは静かに闘志を燃やす。
結局この回、吉岡高校は先頭のマサが四球で出塁し、バントで二塁に進めたが、後続が続かなかった。
そして、2回裏。
ヒバリは県内最強のバッターと対戦する。
その勝負は呆気なく終わった。
大泉が初球を打ち、それがセンターフライになった。
大泉は腑に落ちないようだった。
ベンチに戻り、新田知枝と何かを話していた。
「あちゃ~~、これは完全に気付かれてるよ~~」
ヒバリは楽しそうに言う。
危機感、今までの対戦にはなかったものである。ヒバリはそれを楽しんでいた。
この回も群馬育英を三者凡退で終わらせた。
3回をお互いに1人のランナーも出さずに終わり、4回表も呆気なく3人で終わる。
試合は硬直した。
4回裏、群馬育英は新田知枝を中心に円陣を組んだ。
「回転数が違う?」
細谷が聞き返す。
「そうよ。水沢さんはボールの回転数を変えて、直球に変化をつけているわ」
「ヨッシー(細谷のこと)、感覚では芯で捉えたのに、結果はセカンドフライ違う?」
「確かにそうだった」
「他のみんなも違和感があったはずよ」
「だけど、回転数が違うからって、どうやって対処するんだよ? そんなピッチャーとやったことないぞ?」
「予想外のことで今は対処法が思いつかないわ。でも、やれることはある。ボールの上を打つイメージを強く持って、バットを振るの。そうすれば、高回転ボールはジャストミートできるし、通常回転のボールはゴロが打てる。転がせば、なんとかなるわ」
「低回転ボールが来たら?」
「空振り。低回転ボールは捨てるしかないわ」
「それって勿体なくないか? 低回転ってことは当たれば、飛びやすいって事だろ? その球を捨てるのは…………」
「そう考えるだけ水沢さんの思うツボよ。低回転ボールを打ちたい、その気持ちを彼女は察知するわ。そして、裏をかく。彼女の揺さぶりに付き合わないためには。、こっちは徹底的に同じ策を繰り返すことが肝心よ」
全員が押し黙った。
「監督はどう思いますか?」
「俺はお前の眼を評価して、3番に据えたんだ。お前がそう言うなら、間違いないんだろう」
小幡監督は言った。
3番に長打力も機動力もない、女子部員を据える。そして、それを成功させる。、柔軟な思考を持つ監督である。
監督の許可も下り、部員たちの方針は固まった。
「あと、それから、もし追い込まれたら…………」
新田知枝はもう一つの作戦を伝えた。
それからこの回もツーアウトまでやって来た。
二つのアウトは共にピッチャーゴロである。もっと言うなら、ピッチャーに取らせるようにバントをした。
「なるほどね~~、私のスタミナを削りに来たか~~」
ヒバリは少しだけ息が上がっていた。
さらに3番の新田知枝には11球も粘られた。
結果だけ見れば、3人で抑えたがヒバリは、大きく消耗した。
「大丈夫か?」
ベンチに戻ると、カズはスポーツドリンクを渡した。
「平気、だけど、延長とか再試合はごめんかな」
「そうならないように努力するさ。おい、みんなもそうだろ!」
カズは声を張った。
しかし、気持ちと結果必ずしも一致しない。
5回表の攻撃も三者凡退だった。
そして、その裏、トップバッターは上泉である。
新田知枝は、打席に向かう上泉に声をかける。
「さっきのは普通の高校生がすべき作戦だから」
「何が言いたい?」
「あなたは自由にやって。あなたなら正面から水沢さんに勝てるわ」
上泉は大きく頷いた。
ツーストライクとして、3球目、ヒバリは高めに高回転ボールの釣り球を投げた。
上泉はバットを振った。
そして、結果はショートゴロだった。
ショートゴロ…………
後続も押さえて、5回を終わって完全試合。
内容は申し分ない。
しかし、ヒバリとカズのバッテリーは危機感を覚える。
高回転ボールでフライを打つのは想定内である。
しかし、ゴロだった。それはボールの上を打たれた。対応された、ということだ。
「なぁ、ヒバリ、上泉のこと、偶然だと思うか?」
カズは尋ねる。
「偶然じゃないよ。打った後、上泉君がなんて呟いたか、聞いた」
「聞こえるはずないだろ」
「唇の動きで分かった。もう少し上か、って言ってた。要するに鋭く対応しすぎたってことだよ」
「ヒバリ…………」
「そんな心配そうにしないで! 私を信じなさいって! それよりも点、取ってよね」
ヒバリは明るく言うが、カズはヒバリが余裕をなくしていると感じた。
「任せろ! 俺まで回ってきたら、絶対打ってやるからな!」
カズの思いが通じたわけではないだろうが、この回はチャンスが巡ってくる。
先頭バッターがフォアボールで出塁し、9番のヒバリはバントでランナーを進塁させる。
「カズ、任せたよ」
ヒバリは目線で、そう言った。
カズは打席で深呼吸をする。自分に言い聞かせる。
力むな、自然体でいこう、と。
初球だった。
甘く入ってきたカーブを右中間に運ぶ。それがチームの初ヒットだった。
そして、先制点になる。
ついに試合が動いた。
カズは二塁上でガッツポーズをする。
そして、ワンアウト二塁、まだ得点チャンスだったが、2,3番と凡退し、一点止まりだった。
「まぁ、一点あれば十分かな~~」
ヒバリはその言葉を体現するように、六回裏を3人で終わらせた。
試合は終盤に入った。
七回は両チーム三者凡退。
新田知枝にはまた12球粘られ、大きく消耗した。
八回の表の吉岡高校の攻撃も呆気なく終わる。
問題はここからだった。
「さてと、山場かな?」
テンポ良く投げていたヒバリが、間を置いた。
打席には、県内最強のバッター、上泉が入る。
「上泉君はもう私の球を攻略する糸口を掴んでいるよね…………さて、どうしたものかな?」
ヒバリは、第一球を投げた。
油断はなかった。コースは内角の低めギリギリ。そこからボール球になるはずの低回転ボールを上泉は振り抜いた。
白球は高々とレフトへ上がった。
レフトは追うことも出来ず、白球は球場の外へと消えていった。
ダイヤモンドを一周する上泉を、ヒバリは見つめる。
上泉は、無表情で淡々とダイヤモンドを一周した。
ヒバリを見ようともしなかった。
「やってくれるな~~」
ヒバリは、自分が悔しがっているのが分かった。
元の世界で、甲子園を目指せない悔しさは常にも持っていた。
しかし、打たれる悔しさは初めてだった。
「おーーい、被弾して笑うとか、お前はドMか?」
カズが言う。
一度、内野陣がマウンドに集まった。
「寒い中も、暑い中も外で運動できる人間はみんなドMだよ」
ヒバリはそう返した。
「それは問題発言だな。でも思ったより、沈んでなくて安心した」
「一点、一発で沈んでいたら投手なんて出来ないよ」
「…………お前は強いよ」
カズは少し寂しそうに言う。
実際、ヒバリは乱れることなく、後続を打ち取った。
試合はついに最終回、となるのだが、この九回の攻防は呆気なく、お互いに3人で終わった。
試合は延長戦に入った。
その直後だった。
カキーン、と金属バットの快音が鳴り響く。
先頭打者のマサは二塁打で、ノーアウト二塁。絶好のチャンスだ。
しかし、続く5番、神保が三振、6番、金井がセカンドゴロの間にマサは三塁に到達したが、ツーアウト。
「大川」
カズが、7番の大川に声をかける。
「マサは今塁上だ。お前の判断なら従うよ」
大川は何を言われるか分かった。
「祐輔、いけるか?」
「もちろんです」
「祐輔はずっと淡々とバットを振っていた。終盤に入った時、勝負所で使うと言われていたからである」
代打野田が告げられる。
よし、と野田がバッターボックスに向かおうとした時だった。
「堅いな~~。それじゃ、打てないよ」
「水沢先輩」
「ねぇ、ちょっと耳を貸して、打てる魔法の言葉をかけてあげる」
ヒバリは、祐輔の耳元で囁いた。
その行為自体にも、祐輔は緊張する。
「分かった?」
「えっ、あっ、はい」
「本当に大丈夫~~?」
「だ、大丈夫ですって! 行ってきます!」
祐輔は、雑念で程よく緊張が解けた。
「おい、中坊だった奴には刺激が強すぎるぞ」
ベンチに戻った時、カズが指摘する。
「何が?」
「自覚無しか。で、何を吹き込んだんだ」
「1球目は直球で、ストライクを取りに来るって教えたんだよ」
「それは迷いを吹っ切らせるためか?」
「半分はね。でも、1球目は直球、しかも甘い。気付いてる。相手の投手、長野君は八回くらいからカーブのコントロールが出来なくなってきてる」
「そんなことないだろ。ちゃんとストライクゾーンに入っているじゃないか」
「ストライクを取れる=コントロールが出来ているとは限らないよ。カーブを投げた後、納得していない表情が増えてきているんだ」
「お前、よく見てるな」
「まぁ、これが私の生命線だからね。だから、カウントを取りたい時は…………」
ヒバリが全てを言う前に快音が聞こえた。
打球はセンターへ抜けた。打ったのは、初球の直球である。
「ねっ」
ヒバリは得意げに笑う。
十回の裏、打順は2番からの好打順である。
しかし、先頭バッターは呆気なく、サードゴロに倒れた。
続くは新田知枝。
誰もが予想したとおり、新田知枝は粘る。そして、9球目だった。ヒバリは、あえてスローボールを投げる。新田知枝はカットしようとバットを振るが、遅いボールに対してバットが早すぎた。
打球はフェアゾーンに入り、ショートの正面。
しかし、ここで異変が起きた。
「おわっ!?」
打球は不規則に跳ねた。
投げられない。
ワンアウト一塁。
内野陣がマウンドに集まった。
「悪い」
ショートを守っていた南下が謝る。
「気にしないで。不運なあたりだよ。次はゲッツー期待してるよ」
ヒバリの言葉に内野陣は笑った。
しかし、カズだけは笑っていなかった。
「なぁ、次の上泉は敬遠しないか?」
カズが提案した。
「…………何、言ってるの?」
ヒバリは笑う。無理矢理笑う。
「そんなことしたら、得点圏にランナーを進めちゃうし、逆転のランナーまで出すんだよ」
「お前なら、相手の5,6番を間違いなく打ち取れるだろ?」
「なにそれ? 上泉君には勝てないって言うの!?」
ヒバリの表情から、作り笑いすら消えた。
「そうは言ってないだろ! 危険な相手を避けようって言ってるんだ!」
カズも声を上げた。
内野陣は困惑する。
「はいはい、そこまでだよ」
マサが仲裁に入る。
「ヒバリが勝負って言うなら、やらせてみたら?」
マサはヒバリの側に立つ。
「お前まで…………」
「マサの言うとおりだよ! 私は打たれない。分かったら、黙って私のボールを受けてよ!」
「そうか、そうかよ! なら、勝手にしろよ!」
2人の喧嘩は日常茶飯事である。
しかし、今日の喧嘩はいつもと違っていた。
試合が再開される。
ヒバリはショックだった。
カズの発言がショックだった。力を信用してもらえなかった。1番信頼していた人に裏切られた。
(絶対に打ち取ってやる!)
ヒバリはムキになってしまった。
冷静でいられなくなったヒバリは脆かった。
初球、なんの考えもなく、気持ちだけで投げた。
上泉はそれを簡単に打ち返す。
ヒバリは打球を見なかった。結果は分かっていた。
バックスクリーンに打球が当たった音だけが、ヒバリの耳に残った。