甲子園を目指す
ここは異世界? そんな夢みたいなことを考えながら、ヒバリは高校へ向かった。
部室棟へ走る。
まだ信じられなかった。
しかし、部室棟に到着して、あることを確認した時、確信した。
「夢みたい! 本当に夢みたい!!」
ヒバリは子供のようにはしゃぐ。
部室棟には男子~~部や女子~~部のような表記がなかった。
その代わりに全部活共有の男女更衣室があった。
ヒバリはそこでユニフォームに着替える。
「わぁ…………私、吉岡高校のユニフォーム着てる」
ヒバリは呟く。
外に出ると、すでに二人の部員がいた。
カズヤとマサト、ヒバリの幼なじみで『向こうの世界では一番近い距離の野球部員』だった。
「オッス」
「えっ、オ、オッス」
カズヤの挨拶に、ヒバリはぎこちなく答えた。
「ど、どうした?」
ヒバリの様子が心配になり、カズヤが尋ねる。
「あの~~、私って野球部の部員なんでしょうか?」
「…………お前、野球バカだと思っていたけど、ついに自分のことも分からなくなったのか?」
「実は昨日、頭を打って、記憶が曖昧になったんだ。君は誰だっけ?」
「お前、本気で言っているのか?」
「半分本気。おかしいこと言っているかもしれないけど答えてくれない? 私、ってカズたち一緒に野球やってた? 一緒の試合に出てた?」
「今日のお前、本当におかしいぞ。一緒に野球やってただろ。お前はうちのエースだろ?」
「そっか、やっぱり、そうなんだ」
ヒバリは嬉しくなった。
確信した。
ここは異世界だ。野球に、いや、スポーツに男女の境界がない世界なんだ!
「おーい、今日のお前、おかしいぞーー」
「だ、大丈夫、大丈夫! 今日も練習がんばろーー」
「…………まぁ、良いけど。俺たちももうすぐ三年だ。野球が出来るのは、五ヶ月くらいだ」
欲を言えば、一年生からやりたかった、と贅沢なことをヒバリは思った。
「んっ? 五ヶ月?? カズ、それは弱気すぎない?」
「はっ?」
「高校野球は八月まであるんだよ!」
ほとんどの高校は七月で、三年生が引退する。
しかし、四九校だけが八月も野球が出来る。
野球をやっている者なら、一度は夢見た舞台『甲子園』で!
「あのなぁ、ヒバリ…………」
高校野球が出来ると知ったヒバリと、カズの間には落差があった。
「私立の強豪ならともかく、こんな田舎の高校じゃ無理だろ」
「えっ?」
ヒバリは驚いた。
「ちょっと待って。エースは私なんだよね!?」
「ど、どうした? そうだよ、吉岡高校のエースはお前だよ」
「じゃあ、なんでそんなこと言うの? 私が打たれるとでも思っているの!?」
カズとマサは顔を見合わせた。
「今日のお前、やっぱり変だぞ? 記憶喪失みたいだ」
その表現は間違ってなかった。事実、ヒバリにはこの世界の記憶が無い。だから、ヒバリと二人の間には当然、落差があった。
「去年の夏、群馬育英に五回コールド食らったじゃ無いか。秋の大会だって、渋川西に六失点だし」
「コールド!? それに渋川西なんかに六失点!? それって本当に私だった!!?」
「今のお前が、お前じゃない気がするよ。そんなに疑うなら、スコア見てみろよ。記録してあるから」
「それどこ!?」
「部室の棚の中だよ」
ヒバリはダッシュでそれを見に行った。
公式戦、と書かれたファイルを見つける。
「何これ?」
スコアを見た。
愕然とする。
確かに打ち込まれている。それもショックだった。
しかし、それ以上にショックだったのが…………
「何で私が変化球を投げているの!?」
スコアを見ると直球はほとんど投げてなかった。
「こっちの私は何をやっているの!?」
放課後、ヒバリは練習を休んだ。
朝の挙動不審もあり、体調不良というヒバリの主張は疑われなかった。
「あんた、部活は?」
「体調不良で休んだ!」
「…………体調が悪いようには見えないけど?」
母は疑いの目でヒバリを見る。
「ねぇ、母さん、私が投げてる時の映像って無いの!?」
「もちろんあるけど」
「去年の夏の大会ってある?」
「群馬テレビで放映されたのが録画してあるじゃない。なんだか、今日のあんた、確かにおかしいわよ」
おかしいのはこの世界の私だ、と言いたくなった。
どうなったら私が軟投派になるんだ、と言いたかった。
DVDを再生する。
ヒバリは言葉を失った。そこには確かに自分がいた。一切の余裕が無い自分がいた。初回から四番バッターの上泉にホームランを浴びる自分がいた。
「だからなんで…………?」
映像の中のヒバリは、徹底的な変化球責めだった。まるで直球が投げられないようだった。そして、投げ方は『アンダースロー』だった。
「…………分かった。こっちの私はずっと男女共同の世界に生きていたから、男の怖さを、圧倒的な身体能力の違いを思い知ったんだ。壁があった私は、考える時間があった。でも、この世界の私はずっと最前線にいたんだ。体勢を立て直す時間が無かったんだ。常に結果だけを求めて、小技に走って、それが私とは、似つかない軟投派投手なんだ」
映像は進んでいく群馬育英の九番バッターが映った。
「女の子?」
群馬育英のラストバッターは、間違いなく女の子だった。
県内屈指の育英が、温情で女の子を使うとは思えない。と言うことは、この映像の女の子は、実力で今の地位を確立したのだ。
「一体どんな子なの?」
さらに驚いたことに二年生だった。育英で二年生のレギュラーは、四番の上泉秀と、この九番バッター新田知枝だけだった。
ツーストライクまでは簡単に追い込んだ。新田知枝の本領はここからだった。フォール、フォール、そして、またフォール。
「なるほど嫌なバッターだね。それにこの世界は高校の野球のルールがちょっと違うみたい」
本来、高校野球では故意のカットは禁止されている。それなのに、新田はすでに十球以上カットしていた。注意はない。結局、画面の中のヒバリは十五球も投げた上に、四球で新田を歩かせてしまった。ここからはもう見るに堪えなかった。集中力を欠いたヒバリは、育英打線に捕まり、大量失点。良いところ無しで五回コールドだった。
「なるほど。こっちの私が何で並の、ううん、並以下の投手だったか分かった」
ヒバリは悲観するどころか、安心した。笑った。
だって、自分の直球が通じるか、まだ試せるのだから。
「紅白戦?」
「そう、今日は風も無いし、暖かいから紅白戦をしようよ!」
全体練習が終わった十一時過ぎ、自主練習に入る前に、ヒバリが提案する。
「紅白戦って、うちは部員が十五人しかいないのに、どうやって紅白戦をやるんだよ?」
「Aチームは九人、Bチームは六人でやるんだよ。あっ、Bチームのピッチャーは私ね」
「はっ?」
カズは驚いた。
「そんなのBチームの負けじゃんか。六人でどうやってポジションを振るんだよ?」
「そんなのいつも通り…………じゃなかった。外野をゼロにすれば出来るじゃん」
それはヒバリにとってはいつものことだった。
「話になるか。そんなんなら、普通に練習した方がいいだろ!」
ヒバリがふざけていると思ったらしく、カズは怒鳴る。
「やっぱ、昨日からお前、おかしいよ」
カズは不審そうにヒバリを見た。
「おかしくっても何でも良い。私は今、試したいことがあるんだ。お願い」
ヒバリは頭を下げる。
「時間の無駄だというなら、一点、ううん、一安打打たれるまでで良いから、やらせてくれないかな?」
「お前なんで…………」
「良いじゃ無いか。やってみようよ」
マサが割って入る。
「Aチームのピッチャーは僕で良いかな?」
「うん、いつもそうだから」
「いつも?」
「ううん、何でも無い。ありがとう、マサ。さすが、話が分かる」
「なんだよ。俺が分からず屋だってか?」
「そんなことは言ってないよ~~」
ヒバリは小馬鹿にするように言った。
「上等だ。いいか、先頭バッターは俺なんだからな。すぐに終わらせてやる!」
「それは楽しみ」
ヒバリは笑った。
一時間半後。
「マジかよ…………」
ヒバリを除く十四人の部員全員がどん引きしていた。
Bチームが七回に、エラー絡みで一点を手に入れた。
そして、現在は九回裏。ヒバリは一安打でも打たれたら、止めると言った。
しかし、紅白戦は九回まで来た。ノーヒットノーラン(エラー1)で。
九番バッターの上野がセカンドゴロに倒れてツーアウト。
「さて、ラストバッタ~~」
「舐めんなよ!」
カズが打席に入る。
「まずはコツコツとバットに当てることから目指しなよ。3三振のカズちゃん」
「うるせ!」
ヒバリはいつものように少しだけカズをからかってから、投球に入った。
1球目は高めに外した。これをカズは振ってしまう。
(打ち気で目線にボールが来ると振っちゃうよね~~。次はと…………」
ヒバリはど真ん中に直球を投げ込んだ。
カズはこれを打ち損じて、ファール。
しまった、という表情になる。
(うんうん、最初にボール駄目に手を出しちゃったから、消極的になって、甘いボールにも遅れるよね。次はセオリーなら外に一球、様子見でも良いけど…………)
そんなことはしない。
ヒバリは3球目を外角のストライクゾーンギリギリに投げ込んだ。
カズはピクリと動いただけで、そのボールを見逃した。
「あ、あの、船尾先輩…………」
一年生キャッチャーの大久保は申し訳なさそうに言う。
「うるせ、分かってるよ。ストライクだ」
カズは吐き捨てるように言う。
「あっ、後輩にそんな八つ当たりしないでよ」
「うるせ! お前に当たるぞ!」
「きゃ~~、襲われる」
ヒバリは普段出さない高い声を出す。
「そんな声出すな。女かよ、お前!」
「女でしょ、私は! 失礼な!」
「うわ~~、懐かしいな、二人の夫婦漫才は中学ぶりかな」
マサが言う。
「いつもこんなノリでしょ?」
ヒバリの発言に二人は首を傾げた。
「なんだか、昨日といい、今日といい。お前、昔に戻ったみたいだな」
「昔?」
「それに何だよ。今更、オーバースローに戻して」
「まぁ、細かいことは良いんだよ。今まで秘密にしてきたけど、これが私の本来の姿、これで甲子園を目指すんだよ!」
ヒバリは力強く宣言する。
しかし、他の部員との間にはやはり温度差がある。
「確かに今日のお前は凄かったよ。でも、だけどな、それとこれは違うだろ? 俺たちに通用したことが、強豪校にも通用するかなんて分かんないだろ?」
「そう、分からない。分からないからやるんだよ」
「ヒバリ…………」
「今まではゼロだった」
一緒に野球が出来なかったから。
「今は可能性がある。それは本当に細い糸、それは分かってる。でも、目指そうよ。私たちは高校野球をやっているんだよ! それなのに甲子園を目指さないでどうするのさ! こうしえん、って、たった五つの文字をいうのに何でそんなに躊躇うの?」
部員は沈黙する。
「バッカだな、お前は。やっぱり馬鹿だよ。それだけは変わらない。でも、今のお前は輝いてる。なんだが、本当に昔のお前みたいだよ。そこまで言うなら、やってやる!」
「甲子園」
ヒバリはカズに顔を近づけた。
「何だよ?」
「まだ、甲子園に行くって言ってない。言葉にして。声に出して。まずはそこから。それも出来ないなら、目指すことなんて出来ないよ」
カズは深呼吸をした。
「甲子園…………俺は、俺たちは甲子園に行くんだ!」
ヒバリはニヤッと笑った。
「上出来。みんなは今日の私を見ても、やっぱり甲子園は手の届かないところだと思う? まぁ、そう思われても私は行くけど。私は進むけど」
ヒバリに対して、馬鹿にするような視線を送る部員はいなかった。
しかし、みんなが戸惑っていた。
「良いじゃ無いか。甲子園」
マサが言う。
「そうだよ。僕らは高校生だ。せっかくなら、目指そう。いや、みんな思ったことがあるはずだ。あの舞台に立ちたいと、それがいつの間に分不相応だと感じて、県内ベスト4なんて中途半端な目標を立てたんだ。分不相応、上等じゃん。高校生が夢を見ないでどうするのさ!」
マサの一言に先導され、部員たちから戸惑いが消えた。
「さすが、キャプテン。人を乗せるのがうまいな~~」
ヒバリはマサの肩をポンと叩いた。
「僕を乗せたのはヒバリだけどね」
マサは笑う。