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八  永遠の半分を


 私は、弱虫です。

 〈武〉の身分にありながら、刃物が、血が本当にこわいのです。


「避けるなんて生意気よ」

 鋭く突き付けられた小刀に、全身がぶるりと震えました。

 だって避けなければ、あの小刀は、私の身体のどこに刺さったのでしょうか。咽に?それとも胸に?白百合の花の如きお方は、本気なのです。

 いつもの私なら逃げ出したでしょう、先程のように振り返りもせずに。けれども。嫌な汗が吹き出す掌をぎゅっと握り締めました。

「ど、どうしてこのようなことをなさるのですか?」


 が、頑張らなくては。

 イレフ様がご助言くださったのですもの。


「お、お教えください。私が何か」

「わたくしは〈貴〉。下賤な者を鞭打つ者よ、目の前にいる虫けらをね」

「そ、そんな…」

 愕然としました。

 私が何か粗相したことでご不快にさせたのなら、頑張って改めようと思いました。けれども今のお言葉に、対処法は見出せないのです。

 光帝様をお支えする〈貴〉は時別な存在です。

 ですが。


 身分とは、理由なく虐げ、虐げられるためにあるのでしょうか。


 胸が詰まり、つい、反応が遅くなりました。

 月の光を反射する小刀がぎらりと輝きながら振り下ろされ、竦んだ足は動かず、い、痛っ。防御した右手が鋭く痛みました。

 ぼたぼたと何かが腕を伝う感触。


 ああ。


 傷ついた右手から、たくさんのものが流れ出す音がしました。ざあああ。それは血液でしたが、私を支える勇気も含まれていたでしょう。

 全身の産毛が逆立つ感覚。

「次、避けると許さないわ」

 再び迫りくる切っ先に、目を瞑って、地面をごろんと転がりました。剪定された木の下は狭くて暗くて、幹に何度もぶつかりました。

 棘が指に刺さりぷっくりと盛り上がった血を見ただけで倒れてしまうのに、血をだらだら流そうものならば。

 情けなくも、私の意識は急速に遠のきました。




「セシカ、あなたの母は亡くなりました。ですから、あなたはグンジョウ家の養女になります」


 あの日。

 黒い服を召した大勢の方が私の家に訪れました。

 父様のお姉様、伯母様ですよと、家人のマツさんがご紹介くださったことを、私は覚えておりません。


「今と同じく、あなたはぼんやりした子でした。セシカ」

 伯母さまがアサツキ家に出戻られて、当時の様子を、ため息ながらにお話しくださいました。母様や養女のことを問いもせず、兄様はどこですかと、全然関係のないことを私は質問したそうです。

 莫迦みたいに、ぽかんとした顔で。


「セーリクは部屋詰めを言い渡されました。会えません。今後も会えないでしょう」

「兄様に、会えないの?」

 幼かった私は、母の死も、部屋詰めの意味も理解できなかったのでしょう。ただ、大好きな兄様に会えないことだけを悲しんだのです。

 どうして兄様に会えないの。そんなのいや。

 べそべそと泣き出した私に、ぴしゃり、伯母さまの雷が落とされました。

「〈武〉の娘は泣いてはなりませんっ。みっともない」


 〈武〉は人前で泣いてはならない。


 伯母さまは様々なことを教えてくださり、それは、今の私を形作る基礎となっております。

 特にこのお言葉は、遵守すべき第一のもの、です。


 ぶわぶわと湧き上がる涙を止めようとしましたが、ひぃっくひぃっくと喉から漏れ出てしまい、益々伯母さまを怒らせてしまいました。

「なんと不甲斐ない子でしょう」

「に、兄様に会いたい、です」

「わたくしは言いました。セシカ、あなたはグンジョウ家の養女となり、二度とこの家に帰れません。セーリクにも会えません」

「い、いやだもの。兄様に」

「セシカっ」

 お腹の底からびりびり感じる程大きなお声で名を呼ばれ、私は、固まって動けなくなりました。

「目上の者には、はいと返事なさい。あなたの為を思ってこそ言うのです。ありがたく思いこそすれ、いや、でもと反論は許しません」


 常に感謝の心で、反論しないこと。


「グンジョウ家は由緒正しき〈武〉の家柄。毅然となさい。相応しくありなさい。身分に見合うだけの努力をなさい」

 今ならとても出来ませんが、幼かった当時の私は、伯母さまに言い返したのです。

「で、できないものっ」

 グンジョウ家なんて知らないもの。

 身分なんて、そんなの知らないもの。

 私、ただのセシカだもの。

 くるりと伯母さまに背を向けて、兄様のお部屋へと駆け出しました。襖は何故か開かなかったので、お庭に回って、窓をよじ登ったのです。

 この辺りから、私の脳に刻まれているのでしょう、今でも夢を見るのです。


 灯りのない暗いお部屋にぼんやりと浮かぶ人影。

 兄様。

 額の真ん中で分けられた髪は、蒼ざめた頬にかかり、縁なしの眼鏡の奥では思いつめた光が湛えられているのです。

 幼さの残る手には、ぎらりと銀色に光る母様の懐剣。


「ごめん、セシカ」

 兄様は何度も何度も、謝っておいででした。

 まだ幼い兄様を、一人、お部屋に閉じ込める部屋詰め。そんな必要があったのでしょうか、落馬は偶然が重なった不幸な事故でした。

 助けようとなさった母様が胸を強く打ち、儚くなられたことだって、兄様のせいではございません。

 なのに、とても悔いていらした。

「兄様?」

 

「セシカ…こんなにも小さなお前から、母を奪ってしまった。僕の罪は深い」

 どうしてそんなお顔なさるの、私は兄様がいてくだされば辛くありません。

「大好き、兄様」

 いくら笑いかけても兄様はいつものように笑ってくださらず、益々、悲し気に俯かれるのでした。


「大好きと言ってもらう資格が、僕に、ない」

「どうして?」

 眉根を苦し気に寄せ、兄様は、グンジョウ家のことだとおっしゃいます。

 母の実家であるグンジョウ家は〈武〉の中でも、騎馬上手と教科書にも載る程の旧家で、光護国らしく勇猛果敢な一族でした。

 度重なる戦に、母様以外、直系は全て死に絶えてしまったのです。

 縁あってアサツキ家にお嫁に参りましたが、母様に子が生まれた暁には、一人を養子に出すよう決められておりました。母様のお腹にお子さまがいらっしゃって、グンジョウ家の後継にと決定していたのです。

「ごめん。謝っても謝り切れないよ、僕は母殺しの、子殺しだ」


 何のお話ししているのかしら。兄様はどなたかに叱られてしまうのかしら。

「いけないこと、したの?兄様?」

「そうだよ。とてもいけないことを」


「兄様、半分こ、してください。一緒に、ごめんなさいします」

 ご飯も、お菓子も、父様と母様の手も。

 いつだって、何だって、兄様と半分こしてまいりました。木登りはいけませんよとマツさんに叱られた時、兄様が一緒に謝ってくださったように。

「大好き、兄様」


 半分こ。

 幸せも辛さも、兄様と半分こ。


 そうしたら前みたいに、にっこりしてくださる?


「僕は、涙も枯れ果てた。もう一生、泣かない、泣けない。もう二度と笑えないよ、セシカ」

 に、兄様、どうしてそれを喉に押し当てられるの。ぴかっと光って、こわい、です。

「兄様の代わりに泣きます。私。たくさん、たくさん笑います」

「…ごめん、セシカ」

「兄様」

「大事な君を養女に行かせない為だ。こうする他、僕には、ないから」

 私の為。

 兄様がいなくなったら、アサツキの後継は私になるから。だから。

 光る懐剣の切っ先が、決意された兄様の白い喉に吸い込まれて、止めようと思った訳ではないのです。ただ、ただ銀の光がこわかったのです。

 兄様から遠ざけようとして、それを握りしめた私の両手は、真っ赤な花が咲きました。兄様の白い喉も、同じように真っ赤です。

 あつい。

「セシカっ」

「…兄様、ね、半分こ」


 それ以来、私は、刃物も血も苦手になりました。


「何たることだ。世間に顔向けできないではないかっ」

 兄様と私は思ったよりも深い傷を負い、醜聞だと騒がれた親戚方の手前、兄様のお部屋に蟄居となりました。でも、兄様のお布団は隣に並べられていたので、寂しくありません。

 たくさんの怒号を耳にしながら、マツさんに感謝いたしました。

「まさかセーリクがあのような…見込み違いだったな」

「セシカはグンジョウ家に似合いだ。あれは馬に好かれている」

「二人とも軽率だ、身分を何だと思っている」

 身分。

「子どもとは言え、躾が足りなかったでは済まされん」

「もっと厳しくすべきだ。帝学に入れては」

「いや、それより今回の処置は」

 今後の対策だと喧々囂々に叫ばれて、私は、初めて身分とは何かを考え出しました。何だかとても窮屈ですと、兄様にこっそり打ち明けました。

「…君にとって、身分は苦しいもの、なんだね。セシカ」

 そっと囁かれる兄様のお顔、壁の向こうで、父様のお声が響きました。

「静かに願おう」

「しっ、しかし」

「セーリクもセシカも、私とチハヤの子。アサツキの子だ。どこにもやらない」

 父様の凛となさった響きに、場は静まりました。

「時が経ち、セーリクとセシカが自身で望めば別だ。チハヤの遺志を私は尊重する」


「滅す時は滅すべし」


 誰もが知る、彼の有名な家訓。

 潔しと、歴代光帝様に認められたグンジョウ家の。

「同じ〈武〉として、まさか、知らぬ者はおるまい?」


 父様に返されるお言葉は一つとしてなく、兄様と私は、今まで通りの生活に戻りました。この件で、親戚の方々とは疎遠になりましたけれど。

 母様ご自慢の駿馬たちは、悲しみが過ぎると父様はおっしゃって、全てお売りになってしまいました。厩舎が取り壊される時は、兄様の分もですからと、わんわん大泣きいたしました。

 更にお仕事に邁進されることになった父様とは、滅多に、お会いできなくなりました。


 それでも。


 兄様とマツさんだけの小さな世界は、とても幸せで。

 ずっと続くことを願っておりました。

 永遠は欲張りだから、神様、どうかその半分を。


「僕の分も、笑ってくれる?」

「はい、兄様」

「…淑女は顔を引き締めるべきだと叱られるよ、セシカ?」

「構わないもの。大好き、兄様」

「意地っ張りな君は、僕だけの許しの女神だね」




「に、い、様…」

 右手は、あの時のように、火を押し当てられたようにあつく感じました。だから左手を、兄様の手を求めて伸ばしましたが、むなしくも、空を切るばかり。

 心が、氷のように冷えて参ります。

「兄様…どこ?」

 瞼が重くて開けることは叶いませんでした。いくら息を吸っても、ちっとも胸に入って来ず、はっはっはともがきました。


 兄様、やっぱり。

 身分は、私を苦しくさせるのです。


 じんと手の先が、足先が痺れを感じ、息を吸い過ぎていると頭ではわかりました。けれど、どなたかのお声のような音が聞こえては、自分を律せられません。

 どう、しよう、あの白百合のお方でしたら。

 きゅっと身を縮め、ああ、神様。兄様に、父様にもう一度お会いしたかったです。


 …このまま消えてしまったら、軍曹さんにお会いできるかしら。

 そうだと、いいのに。


 痺れ切った腕を何かが包み込む、鈍くも、温かい感触。

 いや。

 触らないで。


 どうして私の名を呼んでいらっしゃるの?


 あなたは、だ、れ?



お読みいただき、ありがとうございました。

いつもより少し早めに更新できました。

さてセシカの過去編です。

 …最後に現れたのは。

 …社長だったなら、強制的に、連れ去りルート?

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