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頂きもの短編集

その背に学ぶ

作者: ゲストa

岩のようとは、こんな背中を指すのだと思う。

肩から首へと続く隆起には、肩凝りとは無縁の風格がただよう。

貝殻骨の下から通る背骨の溝も、発達した筋肉によって腰までくっきり刻まれ、ビー玉でも転がしたい誘惑に駆られる。

胸骨を覆う肉も厚く、対比して腰は細く見えるが、彼のズボンの腰回りは私なら二人で埋めなければならない大きさだ。


本当ならば、嫁入り前の身でまじまじと見るものではないだろう。

しかしここは台所である、そんな共有の場所で半裸を晒す方に非があるのだから、文句を言われる筋合いもない。

特に足音を潜めるでもなく現れたのに、広い背中はこちらを向いたままだ。

立ったまま俯いて何かをしているその背後に、そっと、そっと、忍び寄る。

あと半歩で手が届いたというのに。


「だぁめ、お触り禁止だよ?」


後ろにも目がついているかのような正確さで振り上げた右手を掴まれ、さらに上へ。

たたらを踏んだ先には逞しい背に劣らない造作の胸板と、太い首と、にっこり弧を描く唇。

暇を持て余しているときのワイゼンは、おそろしく爽やかに笑う。


「先に触らせてくれるなら、考えてもいいけど……?」


艶めいた声でそう嘯いてくるが、人を抱き締めておいてまんまと逃げ出すこと数回、先払いなら済んでいたので。

自由な左手で取り出した物を、黙って彼の眼前に突きつけた。






ぽりぽり、かしかし、落ち着かない様子のワイゼンがどこからか担いできた椅子に跨りこちらを睨む。

無視して昼食の支度を進めるのだが、不機嫌な男が近距離で、じっとりとこちらを凝視しているのは気が滅入る光景だ。


「…………きっと彼女は、あなたに感謝してその生涯を終えるでしょう。種は違えど女性のために黙って身を捧げたワイゼンさんの高潔さに感銘を受けました」

「っ~~随分だな!蚊が止まってるならそう言ってくれればいいだろ!?」


「何とかしようとはしました。痴女扱いされただけでしたが。支援も万全でした。使っては頂けませんでしたが」


ぐっと唇を引き結んだワイゼンが、おもむろに立ち上がり向かってくる。

突き出された拳、その中から現れたのは先ほど渡した痒み止めだった。


「からかってゴメン。薬、塗ってください」

「あと五分お待ちくださるなら。けれどそれほど鍛えられた身体でも、蚊には刺されるんですね」


「皮膚なんてどうやって鍛えるの。それに奴らは熱を感知するんだ、筋肉なんかあるだけ不利だよ」

「なのに服も着ず、しかも“奴ら”も大好きな台所で何をしていらしたのですか?」


「…………痒み止め、ないかと思って」

「モテモテですね。その薬、終わったら差し上げますよ」









綺麗な直立で固まるワイゼンの、がらにない神妙な表情。

背後に位置どったノルがこれまた生真面目な顔でせっせと薬を塗るという、厳粛なる仲直りの儀式を。

ぴったり扉を閉めることで応援した二人組は、忍びやかにその場を歩き去った。


「……オレ、なぁんか安心した。ノルさんもちゃんとムカついたり怒ったりするんだ」

「俺は逆だ。許すのが早すぎないか?」


「そこがノルさんの良いところだろ?」

「ああ、だが世の中には寛容を隙と捉える人間の方が多い」


「それでもあの性格が護衛を六人も捕まえたんだ。これだけいればたいていの揉め事は片付くじゃないか」

「待て、それを幸運に数える気か?寄って来た人材に問題があり過ぎるだろう」


「すくなくともオレには何の問題もないね」

「そうか、ならお前の悪趣味な通り名一式をノルさんに教えてみよう」


「ダメだっ!!……クソっ、いちいちウルサイんだよこンの根暗っ、偏屈野郎!」

「言ってろエセ根明、思慮の足りないエテ公が」


二人がののしり合うのはすでに二階廊下、今日は眠れる熊が不在のため声量に加減はない。

だが無人でもなく、がちがちがしゃんっ!と、幾重もの錠の解除音が響いて。


「やかましいですよ二人とも。お兄さんがいい物をあげるのでとっとと沈黙しなさい」

「口挟むな変態メガネっ!年上面すんなって言ってるだろ!?」


登場早々の罵声にも眉一つ動かさずセトは続ける。


「おや、いらないんですか?この装置には実績がありますよ。名付けて、たぶんノルさんホイホイ!」

「たぶん?実績はどこにいった」


警戒しつつも、時々神がかった着想を得る技術者への微弱な敬意と、ノルがホイホイという謳い文句に。

抗いきれず近寄ったルークとムルフィンは、驚愕に目を剥くこととなる。


「…………ねえオニイチャン、一体どこから見てたの?つーか、いつもどうやって、どこまでオレらを監視してるの?」


無言の微笑とともにすうっとセトが引き下がり、物々しい扉が閉まる。

またがちゃがちゃと鳴り響く金属音に負けないよう、大声で嘆願したのはムルフィンだった。


「その件は追及しないと約束する。だからセト、さん、そのホイホイを譲ってくれ」

「コラ引っ込むなメガネ……さん!オレもそれ欲しいっ、ホイホイしたい!!」


「面白そうなことをしているじゃないか。開けてくれセト、詳しい話を聞きたい」


宿舎全体に行き渡った騒ぎも、厚い扉に遮られ台所には届かない。









ソレは、叩けばぷにゅんと弾むのだ。

愕然として動きを止めたノルを見下ろすのは、今日はベルトランだった。


「……もう誰も信じられない……っ」


小さく呻いたノルは、その弾力を秘めた物体を摘み上げた。

それはそれは精巧に作られた、腹に溜めこんだ血までリアルな――蚊フィギュアを。

ワイゼンを除く全員に配られた誘引装置〈ホイホイ〉は、遺憾なくその威力を発揮した。

痛恨の五ぷにゅんめに、もはや項垂れるしかないノルをにやにや窺うベルトランだったが、笑いは徐々に褪せていった。


「なんでオレにはしないんだ?」

「……何ですか」


「レイスには一発喰らわしたんだろ?」

「それは!……やり過ぎだったと、反省しています。まさかレイスさんにまでおちょくられるとは思わず、ついカッとなって……」


雇い主への暴行だ、普通は許される所業ではないが、レイスは気にするなと受け流して立ち去った。

憮然たる面持ちのレイスは特に珍しくもないのだが、手をあげたという罪悪感とともに焼き付いたその表情は、ノルを深く悩ませていた。


「ソレだ、真剣に怒ってんのにその結果がぺちってどうだよって大ウケだったぞあいつ?目の前で笑うと可哀想だからって部屋まで堪えたぶん、枕くわえて痙攣してたし。というわけでオレもひとつ生で拝みたいんだが」


しかし妄想だったようだ。


「御免こうむります」

「なんで!」


「人を見せ物扱いする方々のために芸をする気はありませんっ!!」


初めて見るノルの憤激に、しかし面食らったのも数秒、小さく鼻を鳴らして。


「……そんなのお互い様だろうが」


顰め面でそっぽを向くベルトランに、今度はノルが目を見張った。

……思い当たるふししか、なかったからだ。

具体的には、彼らは人語を解する猛獣だと思うのが一番しっくりくると気付いた一月目から、その認識に何の疑問も持たなかった。

いいように騙され、おびき寄せられては馬鹿を見て、弾ける笑顔を眺め続けたストレスも氷解した。

今後も見方を変える予定がない以上、お互い様なら仕方がない。

目からウロコの気付きのお礼に、望みどおり背をはたこうかとも思ったノルだが、感謝と暴力は並び立たない。

結果として。



――ぽん、ぽん、ぽん。



ワイゼンよりもなお厚い背中が、そのかすかな振動でぴくりと震えた。

望んだものではなかっただろうが、ベルトランは首だけで振り向き、渋々といった苦笑を見せた。

そこでふと、彼女に周りを見渡させたのは虫の知らせか、学習能力か。

がっちり視線を受け止めたムルフィンは、いっさい目を逸らすことなく足早に移動すると。

ベルトランの隣で、そっとノルに背を向けて待機した。


「あの……ムルフィンさん?」

「いつでもいい。待つ」


「誤解があるようなのですが」

「説明より公平さが欲しい」


「まことに勝手ながら本日の営業は終了致しました」

「そうか。なら明日は朝から張り付こう」


「いえ、あの……っ」

「ほらノル、断るなら気合い入れてけ、まだ序の口だぞ?こいつのねばりは半端ねぇんだ」


「ん、試してくれてもいい」

「ああ、張り付くならトイレぐらいは遠慮してやれよ?」


「……トイレに立て篭もられたらどうすれば?」

「あ~、そりゃ問題だな」



――ぽん、ぽん、ぽん。



前の二人とは質の違う、かさはないが締まって硬い背を。

全面降伏の合図に変え、細心の注意でもってベルトランと同じ回数、同じ強さを再現してあやすノル。

納得のいくものだったのだろう、満足気に一つ頷いてムルフィンは去っていった。

そこはかとない敗北感が漂う小さな背中をしばし眺め、ベルトランもまたしんみりと呟いた。


「……そうやって流れ流されて、ココに染まっちまうんだろうな」

「身にしみる忠告を有難うございます。次に私が道を踏み外したら容赦なく止めて下さい。それこそ一発くらわせてでも」


「しねぇよ何モンだオレは!?それに大丈夫だって、ちゃんと歩んでるぞ?珍獣道」

「…………珍獣でも。皆さんに同類とみなされていない間は社会復帰できるはずです」


「あのなぁ、本当にまともな奴は一月もたずに逃げる、年単位で務まってるから珍獣扱いなんだ」

「ベルさん?止めて下さいとは言いましたが、とどめを刺して下さいとは言っていません」


「いやまあ、今更逃げられないから職だけは安泰だぞ?人生諦めも肝心って言うしな」



――ぽん、ぽん、ぽん。



味方を偽装する敵ほど始末の悪いものはない。

一押しごとに沈んでいく小さな頭は、しばらく上がることはなかった。









今夜もまた、幾通もの退職願いがしたためられるに違いない。

わずかな救いは明日にも噴射距離はメートル級、全部屋配備分の殺虫剤が経費で届くことだろうか。


ますます虫嫌いになるノルだった。

本作はゲストa氏より頂いたお話です。許可をもらいrikiが投稿しております。

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