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樹花草綴り 短編集 弐期  作者: 藍蜜 紗成
片割れの銀杏
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片割れの銀杏

 ほんの好奇心であった。魂の離れてしまった半身に向かって少しの戯れであった。


 神社の境内に立つ我等を人は《いちょう様》《銀杏(ぎんなん)様》と呼んでいた。


 変わりなく退屈で穏やかな日々は、今思えば何と幸せであった事か。それも銀杏が居てくれたからに過ぎない。 私はそれを失念していたのだ。


 ある日、境内で人間が頭を打って倒れてしまった。私達は魂の離れた体に興味を持った。《動く》とはどういう感覚なのだろうと……。


 銀杏はちょこちょこ木から魂を離して遊んでいたから私は《そこな人間に入ってみてはどうか》と言ったのだ。


 銀杏(ぎんなん)は面白がって入り、私も喜ぶ銀杏を見れて楽しかった。


「イチョウよ聞いてくれ。今日は親というものと話したぞ」

《そうか》

「イチョウよ聞いてくれ。今日は飯を食ったのだ」

《……そうか》

「いちょうよ。いちょうよ。お前にも見せたい。人間は楽しい」

《…………。》


 人間は楽しいと銀杏は口にした。人と話すのも、物を食べるのも、見る者、動く者、その全てが銀杏を魅了した。

 私は恐ろしくなった。銀杏が余りにも楽しそうに笑うから。このまま銀杏は戻って来ないのではないかと。


 私は銀杏に己の心を伝える事にした。


《銀杏よそろそろ私の元に戻って来てはくれまいか》


「イチョウよ。お前は何故何も答えてくれぬのだ?」


 そうして私達はようやく気が付いたのだ。


「イチョウよ。お前は怒っているのか?」

《怒ってなどおらぬ。ただ悔いておるのだ》

「イチョウよ。お前の心がわからない」

《私は伝えている。だが伝わらぬのだ》


 私は木だ。銀杏は人だ。私は動けない。私は話せない。私の心はもう銀杏に届かない。何故、何故、もっと早く気が付かなかったのか。私は戦慄した。


「イチョウよ。お前と過ごした記憶がおぼろげだ」

《銀杏よ。お前は人になるのか?》

「イチョウよ。私は銀杏と呼ばれていたか?」

《あぁ。お前は私の半身、銀杏だ》

「イチョウよ。私は……本当に、銀杏であったのか?」

《そうだ。私の隣にいつも在ったのはお前だ》

「答えてくれ、私は、私は誰なのだ?」

《銀杏よ…泣くな。銀杏よ。私も悲しい》


 銀杏の手が私に触れる。銀杏は泣いていた。銀杏は木であった記憶を忘れてしまっていた。


「イチョウよ。もうここには来ない」


 去っていく後姿。

 待ってくれ銀杏よ。

 行かないでくれ銀杏よ。

 お前が歩いてくれないと私はお前に会えないんだ。

 お前が触れてくれないと私はお前に触れられない。

 お前が話してくれないと

 お前が笑ってくれないと

 お前が、お前が……


 あぁ、どうか、どうか忘れないでくれ。私を忘れないでくれ。


 お前の目にもう一度私を映してくれ。

 私は木だ。木なのだ。

 去っていくお前を追いかける事も、その腕を掴む事も《行かないでくれ》と告げることも何一つ、何一つ出来はしないのだ。


 何故あの日あのような事を言ってしまったのか。お前を失うとわかっていたら言わなかったのに。こんな事になるとは露ほども思わなかったのだ。


 行かないでくれ

 独りにしないでくれ

 そばに居てくれ

 もう一度、もう一度

 私の隣に居ておくれ


 銀杏よ。銀杏よ。

 私の半身よ。

 お願いだ。

 どうか私の心を聞いてくれ

 お前が居ないと寂しい

 お前が居ないと悲しい

 銀杏よ。どうか。

 置いて行かないでくれ

 私はお前が、お前の事が……


 もう届かないのか?

 もう触れられぬのか?

 もう笑いかけてはくれぬのか?


 お願いだ、銀杏の中の私よ。

 どうか消えないでおくれ。

 お願いだ、お前の中の私を消さないでくれ。


 ずっと共に在ったのだ。

 銀杏は私の半身なのだ。

 共に緑の葉を付け、空を誇らしげに見上げたろう。

 共に交わり、月の無い夜は寄り添い眠った。

 共に色づき、肌寒い風に葉を舞わせたな。

 幾度も実をつけ、凍える冬を共に耐えたではないか。


 何故。何故。何故。

 あぁ、どうか行かないでくれ。

 お前が居ないと私は独りだ。

 長い時間たった独りだ。

 お前が恋しい。恋しくて、恋しくて。

 枯れてしまいそうだ。


 お前が私を忘れるのなら、私も消えてしまいたい。

 痛いのだ心が枯れてしまう。

 戻って来てくれ

 どうか、もう一度私の隣に……銀杏よ。

 銀杏の心よ。

 どうか……逝かないでくれ。


 どんなに願っても私は木だった。


 やがて銀杏はどこにも居なくなり、私を知らない《人間》が無邪気に笑って通り過ぎていった。



ご愛読頂きありがとうございました。


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