閑話 コードネーム:Ⅰ 後篇
なんで、どうして兄貴が俺に? 俺何かしたかな?
あれ、兄貴今イッチって言ったよな。ってことは、兄貴は俺がイッチって知ってて、そんで、俺が掲示板で書いてることも知ってるって事だよな? 兄貴って呼んでるのも知ってるって事だよな?
えっ、どうしよう、ヤバい、超恥ずかしい。
でも俺こないだ兄貴が人狼って事、怖いって書いちゃったよ。大丈夫か!? もしかしてそれで来たのか?
いや待て、文句言った奴の所に一々来るわけない。てことはもっと重大な事で来てる。
やばいやばい、ハッキングしたのばれてる。それで来たんだ、絶対そうだ。俺逮捕されちゃうんだ、どうしようどうしよう! 母ちゃん! 俺どうしよう!
頭の中でぐるぐると、一瞬にしていろんな想像が駆け巡った。仕舞には走馬灯まで見え始めたよ。もう俺、詰んだな……とか思ってたら、兄貴がクスクスと笑った。
「そんなところに立っていないで、こちらに座りなさい」
兄貴の言葉で金縛りが解けたけど、兄貴の対面に座るなんて、畏れ多くて震えだしそうだ。正直言うとちょっと震えながら、「陸軍普通科第75師団、コクトー・ラカハリス二等兵であります!」と挨拶をして、なんとか兄貴の対面に腰かけた。
心の中ではガクブルが止まらなかったけど、なんとか背筋を伸ばして兄貴を真っ直ぐに見た。真っ直ぐに失礼なく見れた。この時になって初めて、軍の教育受けてて本当に良かったと思った。
「いきなり押しかけて申し訳ない。私はアルヴィン・ディシアス。ギリシャ大統領だ」
うん、知ってる。
「お目にかかれて光栄であります!」
「そう言ってくれると嬉しいよ。そう恐縮しないで。食べたりなんかしないよ」
冗談のつもりなんだろうけど、笑えない、笑えないよ。軍曹まで冷や汗流しちゃってるよ。既に空気は飲み込まれてるよ。
それに兄貴も気付いたようで、少し眉を下げて笑った。その人のよさそうな笑い方を見ると、なんだかやっぱイイなぁ、この人好きだなぁと思う。
「あぁ、すまないね。冗談に聞こえなかったか。でも今日はその話をしに来たんじゃないんだ。今日は君に、仕事の話を持ってきたんだよ、イッチ」
「仕事でありますか」
「うん」
すかさず秘書が兄貴に書類を差し出す。兄貴はそれを受け取って、俺の方に差し出した。それを受け取って見てみる。
その書類に書かれているのは、俺の経歴の全てと、俺のパソコンのIPが潜り込んだ回線、全部。つまり俺がイッチであることも、俺がやらかしたことも、ぜーんぶバレバレってことです。4年前の奴まで遡られてる。
ハイ詰んだ。ハイ終わった。母ちゃんごめん。俺ちょっと臭い飯食ってくる。
早くも人生を諦めた俺だったけど、兄貴がやっぱり微笑みながら言った。
「最初は興味本位だったんだ。イッチってどんな人なんだろうって。いつも俺を応援してくれていたよね。ありがとう」
「き、恐縮であります」
兄貴の銀色の瞳が、キラリと光ったのを俺は見た。
「それで君について調べてみたら、出るわ出るわ」
「……っ」
「まさか君が、4年前のサイバーテロの主犯だとは思わなかったよ」
20歳の頃、大学のダチとやったイタズラだったんだ。あれは完全に若気の至りだった。
その時の政府の政策が何もかも気に入らなくて、政府の回線に侵入して、プログラムを多少書き換えてやって、ウイルスをばらまいてやった。
政府は対応でしばらく四苦八苦してたけど、1か月くらいで落ち着いた。俺のやったことは、当時はただのイタズラだったけど、れっきとした犯罪で、サイバーテロだ。
バレたら、国家反逆罪とか、サイバーテロリストとして逮捕されたって、文句は言えないんだ。
俺は絶望的な気分になって、過去の自分を呪って項垂れた。
「だけど、今日はその事で来たんじゃないんだよ」
兄貴の意外な言葉に、思わず顔を上げた。兄貴はやっぱり微笑んでいる。
「君のした事は確かに犯罪だけど、いつも私を応援してくれるお礼に、その罪を償う機会を与えようと思ってね」
「どういう、ことでありますか?」
すると、再び秘書が兄貴に書類を渡し、俺に回ってくる。その書類に書かれていたのは、軍の組織として新設される新たな組織の構造だった。
その組織はすごく興味深かった。つい熱中してその資料を読んでいると、兄貴が言った。
「この前の、サイラス……いや、シュティレード帝国皇帝による宣戦布告。あれは彼が世界中のネットをハッキングして行っていたね。彼は情報伝達の手段としてだけ、それを利用したけれど、今の情報社会でネットを網羅されるという事は、非常に恐ろしいことだ」
俺もそう思う。兄貴の言葉に素直に頷くと、兄貴は話を続けた。
「実は党内にもハッカーはいるんだ。ニコラス・グレイ政調会長がそうだ。彼がこの状況に警鐘を鳴らしていてね。彼と他にもハッカーはいるんだけど、彼らは忙しいから、ずっと彼らに調査についてもらうわけにもいかない。だから、ニコラス主導の組織を作ることにした。勿論情報機関は他にもあるけれど、新しい組織は、対シュティレード機関としての特設になる」
一旦兄貴は言葉を切って、俺を真っ直ぐに見た。
「若くして天才ハッカーである君に、その組織に参加してほしい。君を情報分析官として、組織に迎えたくて、今日はここに来たんだ」
俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。政調会長が指揮する、情報機関のエージェントに、俺はヘッドハンティングされているようだ。軍の管轄下におくって事だから、俺は軍をやめる必要はないし、特設組織だから普通に街にも出られると思う。そして給料も良さそう。
俺はそんな俗っぽい事を考えて、すぐに話を受けようと思ったら、兄貴の笑い方が何か、なんか怖い。
「でもね、コクトー・ラカハリス二等兵。君はサイバーテロの時の償いをしなきゃいけないからね。仕事とは別に、私から個人的に仕事を押し付けることもあると思うけど、頑張ってね」
「個人的な仕事、でありますか」
「うん。今まではニコラスにやってもらってたけどね、彼も忙しいから。今度からは君に頼むよ、よろしく」
「お言葉ですが、大統領の個人的な業務を、自分などに任せてもよろしいのでしょうか」
「大丈夫だよ、私の所に回ってくる前に、一回セルヴィのチェックが入るしね。それに君は、私を陥れるような事はしない。そうだろう?」
笑顔だけど、圧倒される様な雰囲気。そう言うのを感じると、改めてこの人人間じゃないんだって思う。感じる威圧は、背筋から脊髄液を全部抜き取られたみたいな気分がした。
「自分は、大統領に忠実であります!」
「うん、ありがとう」
満足そうに頷いた兄貴は、ふと宙を仰いだ。
「そうだな、エージェントはコードネームを考えなきゃね。君はイッチと呼ばれているし、Ⅰで行こう。それ以降のエージェントも皆数字つければいいね」
エージェントⅠ。あれ、なんかカッコよくないか。エージェントって、情報分析官って、あれじゃん、CIAとか、MI-6とかみたいな、いわゆるスパイじゃん!
あれ、ヤバい、ちょっと俺急にカッコいい感じに!
俺は1週間後に転属する事になって、首都の軍務局に行った。新設組織の初期メンバーの一人だからって、兄貴は勿論、クウィンタス首相、セザリオ官房長官、ルキウス幹事長、グレイ政調会長とまで面会。
さらに、軍の中ではほとんどヒーロー的存在である、ドラクレスティ将軍、アンジェロ大佐とミナ大尉の夫婦にまで面会できた! もう俺はテンションあがりまくって、小躍りしそうでヤバかった。
指令室から少し離れた部屋に作られた、「情報捜査局」。そこが俺の新しい仕事場。
今はまだ、Ⅰ~Ⅵまでとエージェントは少ない。だけど、与党の人員は大半が帰化人であることを利用して、フランス人ならフランスに、東洋人なら東洋に派遣して、スパイ活動をして俺達に情報を上げてくる。
俺達の仕事は、その情報を分析して、精査して、政調会長に報告する。時にはハッキングして回線に侵入し、情報を盗んでくることもある。
後は、政府のシステムのセキュリティ強化を頼まれた。勿論管理者はちゃんといるんだけど、その管理者は4年前の、ただの大学生だった俺に負けちゃってるわけで。サイバー犯罪者なら、どう言う手口で攻撃してくるかもわかるだろうってことで、俺が任された。いわゆる蛇の道は蛇ってこと。この仕事がまた、果てしなく大変なんだけどね。これも4年前の尻拭い。逮捕されないだけマシだ、頑張れ俺。
今日もまた、ネットに現れてスレを立てる。兄貴を上げまくり、反論して来たやつのIPを特定してリストアップする。ギリシャ人ならスルーしてもいいが、最近外国から流れてきた奴なら要注意。
ブラックリスト作りは指示にはないけど、政調会長が褒めてくれたから続けてる。
訓練だって毎日やってる。軍にいた時みたいに、一日中訓練してるってわけじゃないけど、朝4時から7時まで、夕方6時から8時まではトレーニングの時間。お陰で俺は、すっかりもやしっ子じゃなくなった。
トレーニングって最初はきついけど、慣れてくると、トレーニングしない方が気持ち悪くなるんだよな。習慣化ってすごい。
ちゃんと鍛えておかないと、俺もその内実戦に駆り出されるかもしれないしな。ミッション・イン○ッシブルみたいな活躍したいしな。
俺の名前はコクトー・ラカハリス。ネット上ではイッチ。
仕事では特別捜査官コードネーム:Ⅰ。
元サイバーテロリストの天才ハッカーであり、兄貴肝いりのスパイ。情報捜査局の情報分析官。
今の俺の正体は、母ちゃんでさえ知らない。




