7 子どもは子どもらしい生活を
ルキアの部屋を出て廊下を歩きながら考える。
ルキアは納得してくれたが、それでもやはりルキアを学校に行かせてやりたいとは思う。少年期の環境はその後の人生にも重大な影響を及ぼすし、セルヴィ自身が途中で学校を辞めてしまったのでより強く思う。
学生時代の1日は、大人の1か月分の価値がある。セルヴィすら未だに、学校に行きたいとは思うのだ。
もう一度頼んでみようと思い、マルクスの部屋に向かった。
ドアをノックすると返事が返って来たのでドアを開けた。
セルヴィにも掃除で入る見慣れた部屋。窓辺の小さなサボテン、ギチギチの本棚から溢れた本が机の周りにも積み上げられている。本たちは色々な年代の物がかき集められ、セルヴィでも知っているような超有名な古典の初版本を見つけたりして、最初の頃は驚いたものだ。
なかでもマルクスは政治と正義に興味があるらしく、政権闘争を描いた小説や刑事ものなんかもあったりする。マルクスには普段泥棒をさせられているが、確信していることもある。
(そう、旦那様ってば意外と正義の男なのよ。だからきっと、説得したら何かしら策を講じてくれるはずよ―――――! )
脳内で決意の中に期待を綯交ぜにしつつ、促されるままソファに腰かけた。
「どうした?」
「ルキアの学校の事です。旦那様、難しいのはわかるんです。戸籍の事もありますし、住所地や保護者なんかの関係もあるから。でもどうしてもルキアに学生生活をさせてあげたいと思うんです。こっち来てから友達もいなくて、そう言うの現代の子供には辛いんです」
マルクスは難しい顔をしてこめかみを抑える。
「そうか? ルキアくらいの歳になると大人と同じ扱いをしてもおかしくはないだろう?」
「おかしいんです現代は! 大体自分が大人だと自覚してる人間は、大人になりたいなんて言いません。あの子はまだ子供なんです」
それから学校の重要性有用性、学校内の学友と言うコミュニティの必要性、そう言った物を訴えかけてみる。
「ルキアは今私達と暮らしてるから大人びて見えるかもしれないけど、まだ13歳の子供です。何とかできるなら、何とかして子供らしい生活をして欲しいんです。どうにかできませんか?」
マルクスは唸りながら瞑目して、こめかみを抑えている。
YESかNOか、それとも何かしらの折衷案を提供してもらえるのか、心の内でにわかに緊張しながらその反応を待機していると、マルクスが目を開けた。
「できないこともないな」
「本当ですか!?」
表情を明るくして詰め寄ると、少しだけ苦笑された。
「少し考えたい。どういった学校に行きたいか、私の考えがまとまるまでの間に決めておけ」
「わかりました! ありがとうございます!」
ソファの上で土下座に近い礼を取って、ウキウキと部屋を出た。
廊下を歩きながら今にもスキップになりそうな足取りでルキアの部屋に向かう。
(ルキア喜ぶだろうなぁ。この近隣の学校のパンフレット集めてこなきゃ! )
そう思いながらドアをノックしようと手を伸ばした。
「っおね……ちゃん」
ドアの中から呻くような声で小さく聞こえた。声が上ずっていたものだから、何かあったのかと心配になる。
「ルキアー? どしたの? 開けるよ?」
声をかけてドアノブに手をかけた。瞬間。
「わー! ダメダメダメダメダメ! 開けないで開けないで絶対開けないで!」
非常に切迫した声音かつ大音量でそう聞こえてきたので、ドアノブから手を離してドア前で待機する。
部屋の中からは何やらバタバタと聞こえて、ドタッと音がしたと思うと「イテッ」と聞こえた。どうやら転んだようだ。少しするとライターの着火石がぶつかる音と窓を開ける音が聞こえる。
(なにしてんだろ)
ルキアの不可解な行動に疑問を感じたところでドアが開かれた。少し上の目線で咥え煙草をしたルキア。
「なにしてんの?」
「なんでもない。ていうかなに?」
何でもなくてあの騒ぎは何だと思ったが、尋ねても答えない気がしたので疑問は忘れることにした。
「あのね、旦那様にもう一回話したら、もしかしたら学校行けるかもって」
そう告げると驚いたはずみに煙を吸い過ぎたのか、ルキアはゴホゴホとむせた。少し落ち着くと涙目になりながらも嬉しそうな顔を向けてきた。
「本当に?」
「うん、本当に。ていうか中入っていい?」
「え? うん」
なぜか少し渋ったようだが中に入れてもらい、またソファに腰かけた。隣に座ると、どう言う訳か睨まれる。
「ちょ、なんで隣に座るの」
「え? なんでって言われても」
「ウザい。あっち座ってシッシッ!」
対面に追い払われる。
(もしかして反抗期かな。まぁ、そう言うお年頃よね)
そう考えると納得できて、いっそ微笑ましく思ったので会話を再開することにした。
「あのね、どうやって学校に入れるか考えるから、その間にどこに行きたいか考えとけって」
「ふーん。よかった。ていうか出来るなら最初からしろよって話なんだけど」
「やー、そこはジェネレーションギャップだよ。旦那様の時代はルキアくらいの年頃は大人と同じ扱いをしてたみたいだから、ルキアの事も子供扱いはしてなかったみたいだし。そもそも学校って言う物をよくわかってなかったのかもしんないし」
「あーなるほどね。そりゃそーか」
ルキアは納得したようでソファにゴロゴロしながら手を伸ばして灰を落とした。
「色々都合考えると私立の方がいいかなって。多分転入にしても途中入学にしても受験あるから、お勉強しなきゃね」
「あーだね。わかんないとことか教えてよ」
「うん、覚えてたらだけど」
「行けるかもって話なのに、オレもう行く気になってるよ。途中でこの話ナシにしないでよ」
「あはは。そうだね、ルキアもお勉強がんばりなね」
「うん!」
ルキアはすっかりご機嫌を回復してしまって、どんな学校に行こうか、どんなスクールライフが待ち受けているのかとウキウキとし出す。
その様子を見ているとやっぱり子供らしいと思ったし、ルキアにはまだ学生をやって遊んでいるくらいが似合うと思い、マルクスの説得に成功して良かったと心底思えた。
あらかた話が落ち着いてセルヴィが部屋から出た後も、ルキアの興奮は内心で冷めやらなかった。
(あー学校行けるんだ。楽しみだな。旦那様にもお礼言っといた方がいいか。学校、そーだよな。学校行けば…… )
ぽてっとソファに寝転がる。セルヴィが部屋に来る直前の事を思い出してしまって、軽く自己嫌悪に駆られた。
(危険なのはねーちゃんじゃなくてオレの方だ。このままこの環境に浸かってたら、オレは危険な道をフルスロットルで走り抜ける気がする。けど学校行けば環境変わるし、これで全部解決だ。あーよかった学校万歳。
勉強頑張らないとなー。クラスで1位とかになったら、ねーちゃん喜んでくれるかなー。喜ぶだろうなー。よし、頑張ろう)
結局ルキアの頭の中は、セルヴィでイッパイなのだった。