68 エクセラにとっての脅威
先に寝てしまったサイラスのその背中に、そっとしがみついて、エクセラも瞳を閉じる。
エクセラはアレックス。本当は男の子だが、女の子となった自分を受け入れている。サイラスの魔法で少女の姿に変えられた。最初は戸惑いもしたが、女性となった自分をなんとか受け入れて、そして開き直った。
サイラスの肌に頬を摺り寄せる。こちらを見てくれない、サイラスの体温だけでも感じたい。
女性であることを受け入れられたのは、アレックスが子どもの頃から、サイラスを愛していたからだ。
幼馴染だった。親友だった。だけど、子どもの頃から好きだった。サイラスがずっとメリッサを見つめているのを、アレックスはずっと見つめていた。それでも、傍にいられたら良かった。
アレックスがヴァンパイアハンターになって、誤ってサイラスの父親を殺害してしまった時、この世の終わりだと思った。アレックスは吸血鬼である自分の両親は嫌いだったが、人間であるサイラスの両親の事は、自分の両親以上に親だと思っていた。
だから彼が死んだとき辛かったし、それでサイラスに恨まれた事は、本当に辛かった。
それでも、サイラスは自分を迎えに来てくれた。
一年前のあの日。刑務所に収容されて、独房で一人蹲っていたあの夜。いつもは騒々しい他の囚人たちが静かだった。それに気付いてアレックスが立ち上がった時、独房の鉄の扉が開いた。そこに立っていたサイラスは、アレックスに手を差し伸べた。
「俺と一緒に来い」
アレックスは差しのべられた手を取って、エクセラになった。
インドから逃げて、アメリカに行ってレミの研究所を襲撃した。テロを起こしてレオナルドを攻撃した。その後中東に渡って、テロリスト達を武力制圧して支配下に置いた。
エクセラは強かった。人間だった頃から、並の人間よりも強かった。ヴァンパイアハンターとして覚醒してからは、より力に目覚めた。そして神の化け物となった今となっては、最早エクセラを傷付けることすらも困難だろう。
サイラスはエクセラの能力を効果的に使った。そして魔術も。そうして二人は、ついにシュティレードを率いるまでになった。
エクセラはヴァンパイアハンターだ。いずれは化物国家となったギリシャを潰し、世界中から吸血鬼を絶滅させることが目標だ。その為に、他の関係ない人間たちが殺されるのは胸が痛いけれど、サイラスは全てを滅ぼしたいのだから、目的はそう変わらない。エクセラはサイラスの目的も受け入れている。
だけど、時々エクセラは考える。
自分は、サイラスにとって必要な人間なのだろうか。
そう考えると、胸が締め付けられる。サイラスはエクセラの力を必要としている。女性としてのエクセラも必要とされている。
だがサイラスの態度は、エクセラにも冷たい。本当はエクセラすらも必要とされていない、そう思ってしまう。役に立つなら、本当は自分じゃなくても良かったんじゃないか、そう思ってしまう。
サイラスがアレックスをエクセラに変えたのは、多分逃亡の為に思いついただけだ。女であることを利用し始めたのはエクセラの方だ。
女になったことを戸惑った。だけど女なら、男を愛するのは自然だと開き直った。サイラスはアレックスの気持ちを知っていたから、エクセラの気持ちを受け入れた。
だけどきっと本当は、エクセラを受け入れたわけじゃない。男としての欲求に逆らっていないだけだ。
普通なら、父を殺した仇を傍に置くなんて、あり得ない話だ。しかも女になった幼馴染を受け入れるなんて、マトモじゃない。
そう、サイラスは、マトモじゃない。
絶望し、感情の消失したサイラス。彼の欲求は常に破滅に向かう。何も必要としない、全てを消し去る、誰も受け入れない、誰も踏み込めない。
昔は孤独を恐れていたのに、今は孤独になる為に世界を滅ぼそうとしている。
サイラスのしていることは、本当に酷いことだと思う。エクセラだって、無関係の人間たちが蹂躙されるのを見て、胸が締め付けられて罪悪を感じるほどに。
それでも、サイラスについていく。ただの武力でいい。娼婦のような扱いだっていい。サイラスの役に立ちたい。サイラスに必要とされたい。自分以上にサイラスの役に立つ人間なんて、きっとどこにもいない。だから自分はサイラスの傍にいて、自分だけはサイラスを孤独にさせない。
エクセラの愛は、純粋で崇高で、ひたむきだった。
エクセラはサイラスの傍にいられれば、なんでもよかった。サイラスが本当の意味で自分を必要としていなくても、それでも良かった。
だが今、エクセラの胸を締め付ける、焦燥感と恐怖と嫉妬。
エリカ。
ヴィンセントに聞いて初めて知った。サイラスとメリッサが結ばれたことは薄々気づいたけれど、まさか自分が刑務所に入っている間に、サイラスに子どもが出来ていたなんて知らなかった。
サイラスは何も教えてくれなかった。確かにエクセラには関係ないし、捨ててきたなら言う必要もないのかもしれない。
だけどエリカの名前を聞いた時、サイラスは鼻で笑って、「あれ」等と揶揄してヴィンセントを怒らせた。
変わってしまった、感情の消失したサイラス。今まで何にも心を動かされることのなかったサイラスにしては、その反応は過剰と言えた。メリッサとヴィンセントに対しては、ただ淡々と裏切りという事実だけを述べたのに、エリカに対してはわざわざ侮辱した。
エリカ、サイラスの実の娘。
彼女は危険だ。サイラスの琴線に触れる、サイラスが人間である為の、最後の砦かもしれない。
もしエリカがサイラスを求めたら、エリカがサイラスを許して、父として求めたら、サイラスはもう世界を呪う必要はなくなって、今までと同じただの大学生に戻って、そして、エクセラを必要としなくなってしまうのではないか。
そう考えると、絶望的な気分になる。
エリカは恐らくまだ赤ん坊だ。まだ脅威とはならない。まだ時間があるから、その間に対策する必要がある。それはサイラスに知られないようにしよう。
だが、サイラスはエリカが自分の娘ではないのでは、と疑っていた。サイラスの様子から察するに、サイラスはメリッサとヴィンセントの間柄に疑惑を持っていたようだ。
もし、エリカがメリッサとヴィンセントの子どもなら、いずれは自分のようなヴァンパイアハンターになるだろう。そうなればいずれエリカは、自分にもどうしようもない殺意に支配されて、両親を殺害する。その時は自分達の同族になるから、まだマシだ。
だけどエリカがサイラスとメリッサの子どもだった場合、彼女はハーフで、吸血鬼か人間か、どちらかに近い生物になる。その場合は、育てられたように育つだろう。
本当はサイラスの考えは完全に誤解で、メリッサは今でもサイラスを愛していて、夫として、父としてのサイラスを求めているなら。
エリカもきっとサイラスを求めるように育つ。そしていつか、サイラスがメリッサとエリカの元に戻ってしまう。
そんなのは嫌だ。今はエクセラだけのサイラスだ。やっと自分だけのサイラスになったのに、今更渡したくない。
メリッサが憎い。サイラスから愛された女。
エリカが憎い。サイラスが心から愛した娘。
自分には向けられることのない愛情を、注がれた女たちが憎い。
もっと、エリカについて調べなければならない。ヴィンセントの元にいるなら、近づくのは容易ではない。シャンティに聞こうか。いや、シャンティの夫を殺しておいて、今更合わせる顔などない。情報を集めるだけならば、他にも方法はあるだろう。
そしてエリカの父親が誰なのかはっきりさせて、もしエリカの父親がサイラスだったなら。
メリッサとエリカ。サイラスの妻と娘。
サイラスの感情を揺り動かすファクター。パンドラの箱に残った希望。
この二人は、殺そう。




