61 父親
ヴィンセントは考えていた。知られてはいけない、エリカの存在を。もしかしたら知っているかもしれない。だが、ヴィンセントの掌中にエリカがいることを、アルヴィンと言う男を知って、知られてはいけないと考えた。
エリカ。まだ1歳半になったばかりの赤子。この娘は重要なキーパーソンになる。
エリカの母は、ヴィンセントの親友であり、眷愛隷属の一人である、美しき女吸血鬼メリッサ。
そしてエリカの父親は、シュティレードの国家元首を名乗るサイラス・アヴァリ。
サイラスの実の娘。まだ優しかったサイラスが、溺愛していた愛娘。彼女は今現在ヴィンセント共にやってきたメリッサが育てていて、元々孤児院経営をしていたアンジェロとミナも色々と協力してくれている。
なにもなければ、それでエリカは健やかに育っただろう。だが、今のこの情勢では、そうはいかない。
ヴィンセントは確かに戦争屋だ。戦いに明け暮れる日々を過ごして、数百年生きてきた吸血鬼だ。
だが人間だった頃、ある国の国王だった。王族として、政治や貴族にも深く関わっていた。だから政治のイロハだって無知なわけではない。
なにより、アルヴィン・ディシアス。ギリシャの大統領。そしてかつてはローマ帝国の基礎を築いたと言われる、伝説の帝王。
アルヴィンは確かに優れた政治家だ。人民が彼を慕うのも理解できる。彼は鷹揚で寛大で、非常に頭の回転が速く、全く天才的だ。
だが、アルヴィンがエリカに目をつけたら、確実に政治利用されるだろう。彼がかつて借金王と呼ばれていたのも、数百人に上る女性と浮名を流していたのも、そのすべてが政治利用の為だったのだから。
2000年も昔は、贈収賄なんて大した罪ではなかった。誰でもしていたし、そういうパワーゲームはあって当たり前だった。
数多くの女性と関係を持つことも、男として、政治家としての権威や魅力を示すために必要だったし、貴族の女性たちの実家と言う後ろ盾も得られるのだから、快楽と共に資金も権威も得られる一石三鳥だった。なにしろアルヴィンが関係していた女性は、貴族だけだったのだから。
でも今はそういうことはしない。今彼が不正を働かないのも、女性とスキャンダルを起こさないのも、現代ではそれらが失脚の材料になるから、それをしないというだけだ。
政治の為ならば周囲の全てを、自分の才能の全てを利用する。そう言う男がエリカを利用しないはずがない。そう考えると、ヴィンセントはエリカという存在をアルヴィンに見せつけたくはなかった。
エリカという娘の存在は知っているだろうが、こちらに連れてきていると知られないようにしなければ。
メリッサが抱っこする腕の中で、スヤスヤと寝息を立てるエリカを見つめながら、彼女の幸せを願う。
ヴィンセントは、戦争や殺しが好きだった。人間だった頃から、それはもう色々やった。処刑も粛清も戦争もやった。人間をやめても、戦いはやめなかった。
冷徹で残酷で、卑怯で狡猾な男だ。そのはずだった。そんな男が、こんな小さな赤ん坊を、守ろうとしている。全く似合わない。
自分の有様に、ヴィンセントは自嘲する。どうしてこうなったのか。決まっている。ミナに出会ったからだ。ミナと出会って、彼女が弟子になって、バカで手のかかる弟子の面倒を見ていたら、思いがけず父性に目覚めてしまった。
それで今度はエリカという赤ん坊を可愛がるオッサンの出来上がりだ。
今の自分の有様も、いよいよ戦争が起きようとする世界情勢も、敵となってしまったサイラスも。本当に何故こうなってしまったのか。
エリカの寝顔を見つめて、弾けそうなほど柔らかいエリカの頬に、親愛の口付けを落とす。
エリカは必ず守る。戦争にだって勝つ。将軍としてこの国を守ってやる。そして愛する娘と妻を捨てて、テロリストなどになったバカなサイラスをブン殴って、連れ戻してやる。
「お前の父親は、必ず取り戻してやるからな」
エリカの寝顔を見ながら、ヴィンセントは自分に言い聞かせるようにそう呟く。その呟きにメリッサが、悲しそうにしながらも、小さく微笑んだ。




