60 体制の立て直し
ヴィンセントが到着して、しばらくすると、驚いた事にミナとアンジェロが戻ってきた。
二人が戻ってきて、内閣首脳は一斉に胸を撫で下ろした。ヴィンセントがいることに二人は驚いていたが、ヴィンセントが両手を広げると、ミナが泣きながらその胸に飛び込んでいた。ヴィンセントは戦争狂で、ちょっと話しただけでもとっつきにくい朴念仁だが、身内には優しいらしいので、どうやらミナには甘いらしい。よしよしと頭を撫でてあやしていた。
帰ってきた二人に、あのニューヨーク防衛線での話を聞いた。アルヴィンの質問に、アンジェロが答えた。
ミナが前衛で攻撃を担い、アンジェロが後衛で防御を担っていた。アンジェロの防御は銃撃や砲撃には耐えられる強度だったはずだ。だが、その防御が持ちこたえられなかった。
魔法に詳しくないアンジェロとミナには、サイラスが何の魔法を使ったのかはわからなかった。だが、その攻撃は確実に核に匹敵するレベルだった。その攻撃の直撃を受けたミナは全身をひどく損傷して焼かれ、防御壁の内側にいたアンジェロですらも、酷い重傷を負った。
それでも、ミナはヴィンセントの眷愛隷属。数分のうちにその肉体は再生されるはずだった。再生力を持つアンジェロは、なんとか起き上がりながらその再生を待っていたが、ミナはいっこうに再生が進まなかった。徐々に再生しているが、そのスピードはいつもの数百倍は遅い。
アンジェロも再生力持ちで再生はしているが、体が常にけだるく、咳嗽を伴っていた。それで気付いた。
これは化学兵器だ。何らかの薬剤散布を伴う爆発を引き起こしたのだ。アンジェロは再生力持ちの人間だったから、その影響が少なくて済んだ。だがミナはヴァンパイアだ。ヴァンパイアは非常に強力な一族だが、唯一の弱点が毒薬などの化学薬品だ。
サイラスがそれを知らないはずがなかった。サイラスに吸血鬼の研究をさせたのは、ほかならぬアンジェロだったから。
恐らくミナは、自分がどんな目に遭ってもアメリカを守ってほしいと嘆願しただろう。きっとミナが息災だったならば、どんな怪我を負っても、どれほど追い込まれても、全身全霊をかけてアメリカを守ろうとしただろう。
ミナはそう言う女だ。天性の偽善者と呼ばれるバカだ。彼女ならきっとそうした。
だがアンジェロは逃げた。ミナを連れて空間転移で妹の元へ逃げた。
ミナは50年ほど前に、一度死んだ事がある。ミナを復活させたのはアンジェロで、その復活には10年の歳月を要した。ミナが死んだ事で、その当時アンジェロは深く絶望して、酷く傷ついた。
ミナは死んだ。復活するかどうかも賭けだった。その賭けにアンジェロは10年も絶えずベットし続けた。引き裂かれそうな心を抱えながら、それでも希望に縋り続けた。
ミナは復活できたが、その事が確実にアンジェロにとってはトラウマになっていて、どうしてもミナを失う事が出来なかった。
だから、アンジェロはミナを連れて逃げた。
その結果として、アンジェロとミナは生き延び、ニューヨークが崩壊した。
ミナが回復した頃には、ニューヨークは壊滅していた。目覚めたミナはアンジェロを責めた。
どうして守ってくれなかった。自分はどうなってもよかった。そのためにアメリカに来たのに、どうしてアメリカを守ってくれなかった。
ミナの訴えを、ただただアンジェロは受け止めることしかできなかった。
怒りはしたが、一応ミナもアンジェロの想いはわかっていたつもりだったから、心身共に回復した頃、アンジェロに謝罪して仲直りして、義妹のアンジェラに礼を言って、ようやくギリシャに戻ってきた。
この頃には既に、テロの魔手はワシントンにまで伸びていた。だから、アンジェロとミナにとっては、ギリシャにヴィンセントが来ていた事は暁光と言うほかなかった。
「大統領」
ミナが進み出て、黒い大きな瞳で真っ直ぐにアルヴィンを見つめた。
「どうか、ご命令ください。私達に、もう一度アメリカを助ける命令を」
ミナとアンジェロの気持ちはわかっている。アルヴィンは瞑目した後、目を開けてミナを見つめ返して、言った。
「悪いけど、それはできないよ」
ミナは悲壮に顔を歪めて、アルヴィンに掴み掛ろうとした。それをアンジェロが引き留めた。それでもミナはアルヴィンに食って掛かった。
「何故ですか! このままではアメリカが、敵の手に落ちてしまいます!」
「勿論、アメリカが奴らの手に渡るのは看過できることじゃない。だけど、ギリシャだって一触即発なんだよ。君たちがいない間に、この国が攻められたとき、君たち無しであの二人に勝てる勢力が、この国にあるのと思うの?」
勿論、人外が多く住む国だ。ヴァンパイア一族程ではないにしても、強大な力を持つ勢力は他にもいる。
だが、人外だからと言って、全ての種族が強力なわけでもなく、人間よりも弱い種族だっているのだ。
この国は元々、人外が暮らしやすい環境を整えるために手に入れた土地だ。ここが攻め滅ぼされては、吸血鬼も他の妖怪も化け物も、超能力者も、安寧の土地はこの世界のどこにもないのだ。
その事にミナもようやく思い至った様子で、謝罪しながら引き下がった。だが、その表情は断腸の思いがにじみ出ていて、強く握りしめられた拳からは、血が滴っていた。
その様子を見ながら、アルヴィンも瞳に意志を宿した。無論、このまま見過ごすつもりはない。
サイラスとアレックス。あの二人を野放しにはしない。そしてギリシャを守り抜き、同時に国力を高める。
その為には、この戦争を有利に運ぶ必要がある。
アルヴィンがそう考えていた時、ナハトコボルトのショーペン氏が、息せき切って会議室に入ってきた。
「大統領、大変じゃ! アメリカに続き、イギリスが攻撃を受けたとの事ですぞ!」
とうとう、あの二人がアメリカを攻め落とした。そしてその勢力が、EU圏にまで及び始めた。
イギリスはEU加盟国ではない。だが、EUに侵攻してくるのは時間の問題だろう。
アルヴィンが立ち上がり、ヴィンセントとアンジェロとミナに言った。
「すぐに軍装を整えるんだ。いつでも出撃できるように準備をしていて。戒厳令を敷く」
敵はアメリカを拠点にして、イギリスから侵攻してくるかもしれない。だが現在の時点での本拠地は中東だ。中東から挟撃される可能性も高い。ならば、この国が戦火に巻き込まれるのは時間の問題だ。
新国家「シュティレード」。あの国はおかしい。様々な地域を広範囲にわたって侵略している。経済的・軍事的な利益には目がないくせに、政治体制は実にお粗末なあの国。
奪われた国の国民は、戦争に巻き込まれ、何の補償も受けず、ただ軍に略奪や搾取を受ける日々、虐殺と弾圧の日々。
まるで、奪うだけ奪って、治める気がないと言っているかのような。支配者階級以外何の恩恵も受けない、絶望的な支配体制。
あんな国家に、この国を絶望に支配されてはたまらない。
「自分が絶望したからって、他人まで絶望に陥れようなんて、サイラスって奴は狂ってるよ」
思わず一人ごちたアルヴィンの呟きに、内閣首脳たちは同意するように嘆息する。その隅で人知れずヴィンセントだけが、悲しみに小さく顔を歪めた。




