59 平和の終わり、2057年8月
ニューヨーク壊滅の情報を受けて、アルヴィンは机をたたき割った。それにセルヴィは心底驚いて立ち尽くしていたが、アルヴィンは震える拳を抑えられなかった。
あの二人は、ギリシャの最高戦力だったはずだ。だから勝てると見越していかせたのに、その二人がニューヨークを守れなかった。という事は、あの二人の生存は絶望的と言える。
ミナとアンジェロを失った代償はあまりにも大きい。あの二人はギリシャ軍の旗印だ。特殊部隊だけでなく、特殊部隊を率いる二人の武勇は既に全軍に知れ渡っていて、集める尊敬は偉大なものだ。その二人が敗退したことは、大きく軍の戦意を喪失させるだろう。
あの二人がアメリカに渡ったことを知っているのは与党だけだ。二人が死亡した可能性があることは、どのような手段を取ってでも隠し通さねばならない。
だが、隠し通すべきではない相手がいることを、アルヴィンは知っていた。だからセルヴィがすぐに連絡を取って、ある人物とネットを繋いだ。
画面の向こう側に映ったのは、60代くらいの女性だった。艶やかな黒髪に大きな瞳、高価なスーツに包まれたシナモン色の肌。彫刻の様に美しく、熟成された女性が、威厳のある声でアルヴィンを見つめた。
「お初にお目にかかります。私はヴィンセント様の墓守の一族が当主、シャンティ・アヴァリと申します」
聞き覚えのある名前に、アルヴィンは尋ね返した。
「アヴァリ?」
「はい。私はアヴァリ家の当主であり、サイラスの母でございます」
「……そうか、あの魔術師の母親か」
確かサイラスは養子だったはずだ。このシャンティというインド人の女性も、恐らくただの人間なのだろう。だが、ヴィンセントの墓守ということは、ヴィンセント達の一族とは、浅からぬ関係だという事はわかった。なにしろ、あのサイラスの母親だ。
「なぜあなたが名代を?」
「今現在この家で、ヴィンセント様の代理を務められるのが、私しかいない。それだけにございます、ディシアス大統領」
確かヴァンパイア一族は、鏡にも映像にも写らず、電信通信の一切を受け付けないらしかった。それを考えると理解も及んだ。
一応納得できたアルヴィンは、話を切り出した。
「アメリカの話は聞いたかな?」
「聞き及んでおります。我が愚息による蛮行と、大統領はお考えの御様子」
「その通りだよ。正直それだけなら、まだよかったんだけどね」
アルヴィンの言葉に、シャンティはやや訝しげに眉を寄せた。
「どういう事でしょうか」
「今回のアメリカ戦に、実はミナとアンジェロが出撃していたんだ」
シャンティはただでさえ大きな瞳を、より一層大きく開いて驚愕していた。そして勢い込んでアルヴィンに尋ねた。
「ミナ様とアンジェロは、ご無事なのですか!?」
「消息不明だ」
「そんな……」
悲壮に顔を歪めたシャンティが口元を抑え、そしてすぐに左側に顔を向けた。恐らくすぐそばにヴィンセントがいるのだろう。
シャンティはヴィンセントと何事か話したようで、落ち着きを取り戻すと、再びアルヴィンに向いた。その顔は、最初のような威厳のある表情を取り戻していた。
「ヴィンセント様のお言葉です。最早傍観は出来ない。私もすぐに参戦する、とのことです」
「そうかい。ギリシャに来てくれるという事かな」
「はい」
勿論その為にアルヴィンは連絡したのだ。拒否する理由はない。ただ、その前に聞いておきたいことがあった。
「魔術師マーリンやアンジェロからも話は聞いたよ。サイラスとヴィンセントは随分仲が良かったという話じゃないか。君たちは戦えるのかい?」
シャンティが左側に視線を移して、少しの間があって、再びシャンティがこちらに向いた。
「自分のまいた種は、自分で刈り取ると」
思わずアルヴィンは小さく口角の端が上がった。ヴィンセントと言う男、流石は王の二つ名を持つだけある。中々見上げた根性だ。
「歓迎するよ。そうだね、ヴィンセントには将軍の地位を与えよう」
「ヴィンセント様は地位など不要だと仰っておりますが……」
「現代の政治体制は複雑なんだ。中世の様にはいかないよ。正しいことをするためには、地位は必要なんだ」
現代人のシャンティにはわかっていたのか、シャンティもヴィンセントを諭すように言って、それで納得したようだった。
アルヴィンはマルクスが「ヴィンセントは戦争狂ですので」と言っていたのを思い出し、聊か呆れもしたが、やはりいつも通りに笑った。
「近いうちに来てくれると嬉しいな。ミナとアンジェロの不在を埋めるのは苦労するんだ。不死王がトップに立つなら、軍の者は誰も文句を言わないさ」
「はい。今夜中に出立するそうです」
「そうかい、待っているよ」
通信を切ってアルヴィンは一つ嘆息する。アンジェロとミナの穴埋めは本当に大変だ。人間代表と人外代表の、大きな権威を持つ二人を同時に失ったのだ。軍は混乱を免れない。
その混乱を収めるためには、より強い影響力を持つ者が必要だ。その為には、ヴィンセント・ドラクレスティ、最強の吸血鬼、不死の王と呼ばれた男は最適解。
彼がトップに立つというのなら、軍人は誰も文句は言わないはずだ。
それに彼はマルクスが戦争狂と評したほどの戦争屋だ。いざ戦争となった時、彼の本領が発揮されるだろう。
今までなら必要なかったが、今こそヴィンセントが必要だ。
世界のリーダーであるアメリカが、陥落しつつある。
世界の体制が崩壊しつつある、第3次世界大戦を目前に控えた、2057年8月の事である。




