51 議事堂占拠事件
そろそろ日本からお邪魔しようとしていた矢先の事だった。セルヴィの電話が鳴って、相手を見るとマルクスからだった。
マルクスの用件は、視察を中断して帰国して欲しいという事だった。
「何があったんですか?」
「国内での暫定政府への批判がすさまじくて、他国からも現在の暫定政府は許容できないと強く言われている。与党が管轄すること自体に不満が強く、国内外問わず、自由への賛歌の新政権発足が望まれている」
セルヴィは思わずアチャーと額に手をやった。
「ディーヴァ効果がここまでとは……」
「私もここまでとは想像していなかったが、事態は急を要する。小規模だが各地でデモが起き始めている。国内の治安は乱れる一方だし、このまま与党が手を引かなければ、他国も強硬手段を取りかねないのだ」
「わかりました。大至急帰国します」
これはとんでもないことになった。アルヴィンとセルヴィは誘夜達に丁寧にお礼と別れを告げて、大慌てでギリシャに帰国した。
空港から首都を抜ける間にも、デモを行っている集団を見つけることが出来たが、元老院議事堂を取り囲むデモ隊にはめまいがした。
衝突する警官隊とデモ隊。この状況を潜り抜けて、どうにか議事堂に入らなければならない。しかしここで人狼としての力を発揮するわけにもいかない。
車を降りたアルヴィンとセルヴィが頭を悩ませていると、デモをしている最後尾の何人かが、2人に気付いた。
そして周囲の人々に声をかけていくと、人々はすぐさま振り向いてアルヴィンの姿を確認する。
数百人に及ぶ市民が凝視する中、アルヴィンは前に進み出て、ざわつく群衆に微笑みかけた。
「議事堂に入りたいのですが、道を空けて頂けますか?」
すると、海が割れるように人並みが分かれていく。急に大人しく静かになったデモ隊に警官隊は戸惑っていたが、人波が割れた向こう側にアルヴィンがいたことで、事態を察した。
アルヴィンとセルヴィはその人波を抜けて、警官隊に「ご苦労様です」と挨拶をする。敬礼で挨拶を返した警官隊も道を空けて、2人は議事堂へと入っていった。
他国の介入及び今後の方向性、暫定政府として参入する場合どうするか。そう言う事を議論していたら、突然爆音が轟いて建物が揺れた。
セルヴィや他の議員は驚いて壁際に下がったが、アルヴィンとマルクス、ルキアは窓際によって外を覗き込んでいた。
「先生、何が!?」
「爆破テロみたいだね」
「まさか、外のデモの人たちがやったんですか!?」
「いや」
明らかに外のデモ隊は、ただの市民のありがちなデモ隊だった。彼らが爆破テロを起こすなどとは考えられない。
窓の外を見ていたルキアが、固く拳を握っていた。
「ねーちゃん、デモ隊じゃねぇよ。別の組織だ」
セルヴィもそろりと窓際によって覗き込む。窓の外から見える正面玄関は、騒然とした人々が悲鳴を上げて逃げ惑い、逃げ遅れたデモ隊と警官隊の数十名が、議事堂の前に血まみれで倒れている。
セルヴィは思わず口元を塞いで、小さく悲鳴を零した。
「ひどい……」
「彼らだって国家の発展を願う勇者だったのに、こればかりは許せない」
そう言ったアルヴィンから窓際から離れるように促されて、セルヴィも素直にそれに従った。
凄惨な攻撃と恐怖による戦慄でガタガタと震える肩を、アルヴィンがきつく抱きしめて、党員たちに告げた。
「テロ組織の目的は政権の簒奪かもしれない。すでに議事堂に乗り込んでいるかもしれない。非戦闘員はすぐに退避、戦闘員は議員職員を守りながら退避するんだ。解ったね」
「はいっ!」
すぐに党員たちは部屋を出て散開し、戦闘種族は他の議員や職員の詰める部署に向かって、避難誘導を始めた。
非戦闘員を引き連れたマルクスは、慎重に廊下の様子を見ながら進んでいた。退避するには無用な戦闘は避けなければならない。近くで銃声が聞こえて、近辺の会議室が襲われたのだとわかる。
「イヴァン! 第5会議室だ!」
「分かったッス!」
すぐに戦闘種族であるゴブリンのイヴァンが、仲間をひきつれて第5会議室へと飛び込む。既に死体の体を持つ「腐敗のイヴァン」は、大した力は持たないが、その代わりに死ぬ事はない。しんがりには最適だった。
セイレーンの歌声でテロリストを眠らせ、ハルピュイアの空中奇襲で敵を退け、議員や職員たちを誘導しながらとうとう正面玄関へ到達する。
そこには多くの中東系の男達がたむろしている。ここを切り抜けなければ、職員も議員も皆殺しだ。
マルクスはスーツのジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイをゆるめる。
「ここは私に任せて、君たちは隠れていなさい」
マルクスの赤い髪と赤い瞳が、徐々に退色して銀色の魔力を帯びる。筋肉が隆盛し、ふくらはぎのスラックスがビリビリと音を立てて破れる。
一人のテロリストが瞬きをした瞬間には、マルクスが肉薄していた。その剛腕から放たれる拳は内臓をえぐり潰し、男に未知の衝撃を与えた。血をまき散らしながら弾け飛んだ男が着地する間に、既に複数が宙を舞う。
「道を空けろ、下郎どもが」
グルルと低いうなりを上げて、牙を尖らせて銀色の瞳で睨みつける。その様相からテロリストたちは戦慄し、死がやって来た事を悟った。
白銀の髪、白銀の瞳、白銀の体毛に覆われた逞しい肉体、犬のような耳と尻尾が興奮で毛を逆立てている。テロリスト達は思い出す。遥か昔から伝承に残されてきた、その死の名前を。
忌避すべき狼
その名を思い出した頃には、既に忌避することなど出来ない。
その頃、ルキア、セルヴィを背後に隠したアルヴィンは部屋を出て閣議室に向かう。この政府の現在の首脳が集合していている部屋だ。
部屋の前には警備員の遺体が、無残にも射殺されて転がされている。泣き崩れそうになるセルヴィを抱きかかえたアルヴィンが扉を開けると、暫定大統領となっている男が銃を突きつけられて、国営放送のカメラマンが、ガタガタと震え涙を流しながら、カメラを回していた。
呻き声を上げる負傷した議員、怯えて隅に縮こまる議員、銃を構えた幾人もの武装勢力。
それを見てアルヴィンは、セルヴィをルキアに託した。セルヴィがアルヴィンを見上げると、彼らしくもなく、その瞳は赤く煮えたぎっていた。それに息をのむセルヴィに気付いてか気付かずか、アルヴィンは短く言った。
「片付ける」
そう言った瞬間、アルヴィンの姿がセルヴィの視界から消えた。閃光が走る、白銀の軌跡。白銀の軌跡は、縦横無尽に部屋の中を駆け巡り、その軌跡に接触したテロリストの多くを打倒する。
人狼であるはずのセルヴィにも捉えられない程のスピード。ほんの数秒の間で部屋の中のテロリストは一網打尽にされ、アルヴィンは主犯と思われる、大統領を捕えてスピーチをする男の前に立つ。
カメラマンが慌てたように、アルヴィンの後姿と、外国人風のテロリスト、暫定大統領にカメラを向けた。
「何が目的ですか」
「この国の首脳は役立たずだ。俺達が国を改変してやる」
「その必要はありません。この国の改変は私達が担います」
「腐った政治家に何が出来る」
「腐っていない政治家もいますよ」
「嘘をつけ、お前らはクズばかりだ。この国の政治体制はおかしい」
「それには私も同感ですが、外政干渉は必要ありません」
恐らく中東のテロ新国家からやって来たであろう、テロリストは無表情でアルヴィンに銃を向ける。
許してなるものか。いかに腐った国家とはいえ、国民を虐殺した罪は許さない。この国を乗っ取るなどと断じて許さない。
「この国は私の国です。あなた達のものじゃない」
発射された弾丸を、するりと流れるように紙一重で避ける。走りだし椅子を踏み越えて跳躍し、あられの様に降り注ぐ弾丸を空中で体を捻って回避する。着地と同時に銃を弾き飛ばし、男の腕を取って捻りあげ、地面に伏せる。
「チェックメイトです。私を敵に回すには、少々力不足でしたね」
一応カメラがあることも意識していたアルヴィンは、男の首に手刀を落として気絶させた。




