29 大きすぎる父の背中
ルキアがポツリと言った。
「セザリオがさ、言ってたんだ」
「なにを?」
尋ねたアルヴィンに、ルキアは少しだけ悲しげに瞳を曇らせた。
「父ちゃんは、金遣いも人遣いも荒くて、女癖も悪いどうしようもない父ちゃんだけど、大好きなんだって」
アルヴィンは思うところがあったのか微笑んで、瞳を揺らして視線を床に落とした。
「そーか。セザリオは優しいな」
独り言のように呟いたが、それにルキアは「遺伝じゃないの」と素っ気なく返した。
「事あるごとに言うんだよ。こうしろって父ちゃんが言った。ああすればいいって父ちゃんが言った。セザリオはちゃんと聞いてるし見てるよ、父ちゃんの背中って奴。だけど、だからかな。アイツは卑屈になってるのかもしれない。伝説に名を残すような偉大な男を父親に持ってしまった。自分は越えられないと思って、だから法学部なんか行って、政治家目指してんのかも」
ルキアの言う事は、正しいような気がした。脅迫されて以降、セザリオから感じるのはアルヴィンに対する敵意に似た物。それは敵意と呼ぶには語弊があって、正確には羨望や嫉妬の方が近い。
政治家などになってどうするのだろう、化け物になった今ではより疑念を感じるが、アルヴィンに対する憧れと葛藤を持ってその道を選んだ可能性は高い。越えられない、父親の大きすぎる背中。
ふと、考えた。
「セザリオさ、政治家になって首相になって、私をファーストレディにするとか言ったんだよ」
「……アイツそんな事言ったんだ」
「うん言った。政治家になったら化け物を管理下に置くから安心だとも言ったの。だからアルヴィンもなればいいじゃない」
「だからっていうのがよくわかんないんだけど」
「実は私、政争とか権力闘争とか、オッサン達のドロッドロした骨肉の争いって、大好物なの」
「何その偏った嗜好」
半ば呆れた視線を投げかけるアルヴィンに向いて手を取った。
「一度でいいからマクベス夫人の立場になってみたかったの! アルヴィンならきっとマクベスになれるから!」
「……マクベスって確か、最終的にマクベスも夫人も死ぬけど、いいわけ?」
「マルコムがセザリオなら本望じゃない?」
問うとアルヴィンは豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしたが、「そうだね」と言って笑った。
「アイツにはマルクスが俺の息子とは言ってないんだけど、セルヴィが人狼だって知った時点で、恐らくマルクスがそうなんだってわかったんだと思う。まぁアイツも2000年以上生きてきて今更異母兄弟に嫉妬もないだろうけど、俺を見返したいと思うならセルヴィを手に入れてマルクスに取り入って、俺を孤立させたい、とかそんなとこかなぁ」
そこにアナスタシアが口を挟んできた。
「私なら更にルキアを手中に収めて、マルクス様にも造反するように仕向けますわ。セルヴィもルキアも、マルクス様とアルヴィン様にとって大事なものは全部手に入れて奪う。その方が劇的に愉快ですもの」
「あぁ、それはいいね。俺好み。ところで君随分態度違うね」
アナスタシアが急にアルヴィンに対する態度を改めたのは、全員不思議に思ったのだが。その言い分にアナスタシアは
「強者になびくのも世渡りのコツですわ」
とさらっと言ってのけたものだから、それを正直に言っては本末転倒だ、と周りは苦笑した。
話を本筋に戻したルキアは、頬杖をついて溜息を吐く。
「ぶっちゃけて言うとさ、スッゲェ面倒くさいそう言うの。今までどおり和気藹藹ダベってケンカして過ごしたい。なんかそんなドロドロに巻き込まれるとか願い下げ」
基本的にルキアは精神活動においてはエコロジストで、殊の外面倒事が嫌いだ。ルキアの第一希望は適当に人付き合いをして、適当に日々を過ごし、適当に生きる。ある意味では平和主義と言っていい。
が、現状はそうも言っていられない。
「どうせやるなら徹底、が俺の主義なの。当然ルキアも巻き込むからそのつもりで」
「チッめんどくせ」
最初はセザリオに軽く悪戯でもしてやろう、という気分にもなったが、余りにも話が複雑だった為に面倒くささの方が上回ったらしく、ヤル気は皆無だ。
そんなルキアにはお構いなしに、いい事思いついた、とアルヴィンは提案を始めた。
「まーとりあえず、ルキア経済学部だろ?」
「そーだけど?」
「じゃ、大学卒業したらマルクスと会社興して。勿論ベンチャー企業で、傘下には学校や病院、福祉施設をメインに。あぁ農場経営なんかもいいね、とにかく福祉と第1次産業を重点的に。この辺りは第2次発達してないから」
「え、ちょちょ、何言ってんの」
急に壮大な指示を出すアルヴィンに慌ててルキアが制止したが、アルヴィンは止まらない。
「バカだねー。政治家になるにはまず金、次知名度信頼度。俺の方は勝手にやるからそっちはそれで頑張れ」
「イヤイヤ頑張らないし何それ! オレ政治家なんかならないし!」
「そんでぇ、巧い事ルキア、セザリオ、俺も政治家になれたらまずは政党を結成しよう。そんで、その政党の本拠としてどっか島を買い上げて、化け物島に作り替えて俺らの管理下に置く。カンペキ!」
アルヴィンの提案にルキアは立ち上がって叫んだ。
「なんじゃそりゃぁぁ! ふざけんなそんなことに巻き込むな!」
激昂するルキアに相変わらずアルヴィンは笑って、チッチと指を振る。
「イヤイヤルキア、そこまでは序の口。そっからが本番。俺らが作り出した化け物島の中に集められた数々の化け物たち、その中で真祖や始祖たちによって、その島の覇権をめぐる骨肉の争いが――オラなんかワクワクしてきたぞ!」
「急にキャラ変わった! それが本性か! やめろよ巻き込むなって! 冗談じゃない!」
やはり激昂するルキアだったが、隣に座っていたアナスタシアがにっこり笑ってルキアの手を取った。
「あらいいじゃない。頑張ってルキア、ルキアが勝てばロマノフ王朝復興も夢じゃないわ」
「えぇー……」
愛しい女狐にそう言われては仕方がなかったのか、ルキアはしょぼくれながらも承諾した。
とりあえず、セザリオ対策には城の一族とアルヴィンが結託していれば問題ないという事になった。
そして、セルヴィはセザリオを呼び出した。その場にはアルヴィンもいた。
「アルから話は聞いたよ。セザリオは、本当は何がしたいの?」
その問いかけだけで、セザリオは観念したように笑った。
「あーあ、バレちゃったか。でもセルヴィさんに惚れてたのは嘘じゃないよ」
その言葉に胸がチクリと痛んだが、続けて問いかけた。
「じゃぁ、どうして私を脅したり、騙すような事をしたの?」
「セルヴィに対する思いやりよりも、父ちゃんに対する復讐心が上回ってた証拠だね。確かにこんなんじゃ、父ちゃんには勝てないか……降参」
セザリオは両手をヒラヒラとさせて、力なく笑った。自分でも不毛な事をしてしまったと、自覚している表情だった。
アルヴィンが進み出て、セザリオに言った。
「お前が俺を恨んでも、裏切っても、お前は俺の息子だし、俺は愛してるよ」
「父ちゃん……」
セザリオは罪悪感の籠った眼でアルヴィンを見つめていた。
「俺は出て行く。家も店も財産も、全部お前にやるよ。でも、セルヴィはやらない。悔しかったら俺を超えろ。政治家としてね」
その言葉にセザリオは目玉をひん剥いた。
「議事堂で待ってるよ」
元老院議事堂での再会、政治家としての対立。狙うのは、化け物の化け物による化け物の為の島、その国家元首の椅子。早く議員になって、速く結党して党首になった者勝ちのタイムレース。
セザリオは呆れたようだが溜息を吐いて笑った。
「まぁいいや、とりあえず」
そして向けた視線の先、越えられない壁に強い視線を向けた。
「俺も一度くらい、親孝行してやるよ」
「あぁ、楽しみにしてる。くれぐれも俺以外の奴に負けるなよ」
そう返したアルヴィンは、セザリオに背を向けて立ち去った。
岬の森の崖の上、白亜の石灰質の古城。かつて総督として治めていたマルクスが、2000年以上住んでいる住居。なんだかんだでマルクスとアルヴィンは和解して、アルヴィンはしれっとこの城に居付くことになった。
先程の会話で気になったことがあって、尋ねてみた。
「親孝行って?」
ジャケットをソファに放ったアルヴィンが、腰かけながら笑って言った。
「子どもが親を超えるのは、親孝行だよ」
「そっか」
心行くまで戦えばいい。それがこの親子の、運命だというのなら。




