26 月だけが見ている
金曜日、折りしも今日は満月。
家の前にやって来た。相変わらずディシアス家のインターホンは「プィー」と間抜けな音を響かせる。心なしか以前より元気がないようだ。
それに気を抜かれそうになったが、ぐっと拳を握って気を奮った。今日までの間に、色々と考えてきた。
アルヴィンと恋人になりたいと言ったら、きっとルキアは怒るだろうし許さないだろう。アルヴィンがどういった人物か話した為に、マルクスとポーラもいい顔はしないかもしれない。だけど本当の彼は優しい。バカだと言われてもいいから、セルヴィだけは特別だと言ったアルヴィンの言葉を信じたくなった。
アルヴィンには勿論セザリオにもきちんと話す。化け物だという事を言い触らされても構わない。それを証明する術などないのだから。そのせいでアルヴィンとセザリオの間で軋轢が生じるかもしれない。でもそれは既に手遅れだ。既に生じてしまっているし、弱みに付け込まれた分はイーブンだと思う。
身勝手なのは分かっている。それでもセルヴィの背中を押してくれたのは、アルヴィンへの想いとアナスタシア。
アナスタシアにだけ相談した。事の顛末と、本当の自分の気持ちを話した。すると彼女は言った。
「だから言ったじゃない。セルヴィは誰にでもいい人ぶるから、そう言う事になるのよ。こんな格言を知っているかしら?」
“誰にでも善い人は、誰の友達でもない”
ユダヤ人に伝わる諺、だそうだ。
「自分にとって大事な物の為に、他の物を犠牲にすることを決して悪とは思わないわ。それでセザリオやルキアが傷つくこともあるでしょうけど、少なくともルキアはセルヴィと彼が本気だという事を理解したら、許すかもしれないわ。セザリオは、まぁわからないけれど。セザリオにも中途半端、アルヴィンも宙ぶらりん、ルキアにウソを吐き続ける。私はその現状で満足するよりも、誰かに軽蔑されても決着をつけるべきだと思うわ。それが本当の、誠意と言う物よ」
そう諭されて、決心できた。
それに、セザリオの本心が全く分からないのに、セザリオの手の内に収まっていて良いのかが不安だった。もし、城の人たちが迷惑するようなことになってしまったら、そう考えたら恐ろしくて仕方がなかった。
だから、セザリオとアルヴィンの親子の確執も、出来る事なら解決したい。アルヴィンを裏切りたいとも思わないし、それ以上に自分の想いを裏切りたくない。
決着をつけるのだ。この状況に我慢は出来ても、満足は出来ないから。
(当たって砕け散ったっていいもん。好きな人に好きって言う、そんなの普通の事なんだから!)
気合を入れ直すドアの前、金属音がして灯りが漏れて、ドアが開かれた。その先に立つ、セルヴィの好きな笑顔を湛えた、アルヴィン。
「こんばんは」
「こんばんは。待ってたよ。さ、入って」
「ありがとう」
緊張する。セザリオがいる時はテレビがついていて、笑い声なんかも聞こえて来るのに、今日は不在の為かしんとしている。その静寂が余計に緊張を煽る。
リビングに通されて、コーヒーを差し出された。いつも通り砂糖無しのミルク入り。礼を言うと微笑んだアルヴィンも隣に腰かけた。いつしか二人の時はそうして過ごすのが当たり前のようになっていた。だけどあれ以来そうして二人並んで座るのは初めてで、更に緊張した。
「どうしたの? 急に来たいって、何かあったの?」
「うん」
突然話を切り出されて、余計に緊張が高まる。言いだすのが恐ろしい。今から話すこと、まずそれを受け入れてくれるのかどうか、そこが一番のハードルだ。
決意はしている。だけど恐怖と緊張が、中々声帯を震わせてくれない。時計の針が階段を下りるように、規則的に稼働する音だけが響き、それにより緊張を煽られる。
アルヴィンは待っていてくれる。だけど黙ってばかりはいられない。
意を決して、アルヴィンの方に向いた。
「あのね、聞いてほしい事があるの」
「うん、なに?」
返事をするアルヴィンはいつも通り、優しく微笑んでいる。その微笑みが消える瞬間をこれから目にするのだと思うと、どうしても萎縮してしまう。でも、言わなければ。
月の光が明るい部屋にも照射している。その光を一身に受けて、セルヴィは真実を浮かべる。
手の甲を差し出すとその爪は鋭く尖り、髪のかかった耳は獣の様に長く伸び先端が尖る。黒髪は根元から退色し、見事に色素の抜けたその髪は、月の光に鈍色に輝く銀髪。
「私、人間じゃないの。本当は人狼、ルー・ガルーなの。それでもアルが好き。それでも、アルは私を好きだって思える……?」
アルヴィンを見つめる瞳は狼の瞳、月のような琥珀色。その瞳で捉えたアルヴィンは、驚愕の表情を浮かべていた。
満月だけが窓から見ている。月の魔力を一身に受ける、若い人狼の恋の行方を。
月が見守る部屋の中、見る目る先でアルヴィンは突然、予想外の行動に出た。
少しの間驚いていたのだが、ふっと笑ったかと思うと掌でセルヴィの目を隠した。突然の行動に動揺したものの、どうしたらいいかわからず、そのまま動かずにいた。目の前にある掌が離れて、その向こう側に座るアルヴィンに、今度はセルヴィの方が驚かされた。
元々銀髪に銀色の瞳だった。だけどセルヴィと同じように耳が尖って、セルヴィも出さなかった尻尾まで生えている。
逆に驚かされて言葉を失ったセルヴィに、アルヴィンは笑う。
「実は俺、本物の人狼なんだけど、こんな俺でも好きだって言ってくれる?」
驚きが引くと同時に、瞼が熱くなってきた。ぽろりと零れた涙を、爪で傷付けないように優しく拭ってくれた。
「本当は俺知ってたよ、セルヴィが人狼だって。だから、運命だと思ったんだ」
「そ……なの、早く言ってよぉっ……」
「ゴメンね。セルヴィは隠してたし、俺の事も人間だって思い込んでたみたいだから。人間としての俺に価値を見出してくれたのだとしても、人狼としての俺は嫌いになるかもって思ったから」
「なんで? そんなこと……」
意外な言葉に顔を上げると、いつの間にかアルヴィンは普通の人間の姿に戻っていた。
そしていつになく硬い表情を向けて、言った。
「セルヴィは人間のふりをして生きてるだろ。でも俺はそうじゃないから」
「どういうこと?」
「ちゃんと人狼らしく、人を殺して喰ってる」
その言葉に、息を呑んだ。
「俺は人であることはもう棄てて、力を失わないように、力を得るために人を喰らう。俺くらいになると相手の力量くらいはわかるから、セルヴィがまともに人を喰ってないことなんかすぐにわかる。だから言えなかった、だから今聞いたんだ。“本物の人狼”である俺を、好きになれるのかって」
同じ化け物でも、自分とは違う。セルヴィが口にしているのは輸血用の血液。今まで人を殺したことなど一度もないし、今後も恐ろしくてそんな事は出来ないだろう。
でもアルヴィンは、本物の人狼。人を殺し、人を喰らう。それは化け物の世界においては普通の事で、むしろおかしいのはセルヴィの方で。
わかってはいるが、一度に色々なことが起きて余計に動揺が大きくなる。それを悟ったのか、アルヴィンは優しく髪を撫でた。
「やっぱり無理か。こればっかりはしょうがないね。昔の人間と現代っ子のジェネレーションギャップだな」
今は輸血用血液なんて物が手に入るから、セルヴィも窃盗という罪悪だけで済んでいるのだ。時代が違ったなら、生きる為に食料を得ることは避けられない。いくら化物でも、飢え死になんてしたくはない。
いつか城に来たばかりの頃、ルキアが言っていたことを思いだした。
「人間だって牛や豚を食べるだろ。食料にするために殺すことを、悪いことだと思ってる人間なんていないよ。家畜に対して感謝する奴はいるだろうけどね。僕らも同じように考えればいい。人間が餌になってくれるお陰で生きていけるってね」
そしてそれを聞いて思った。肉屋に並ぶ肉を見て、可哀想だなんて思ったことはない。家畜の牛や豚を見て、殺されることを憐れに感じる事はあっても、その事を悪だと感じたことなど一度もない。
対象が絶滅危惧種でもない限り、捕食対象として殺して文句を言われる生物などいないのだ。その点人間の繁殖力と言ったら動物以上で、人口増加が問題になっているくらいだ。
人狼や吸血鬼、化け物にとって人間は、家畜と同等の生物。捕食対象の順番が人間に回ってきた、ただそれだけのこと。
人が恐れるのは悪事を働く事ではなく、その為に罪悪を抱えることが恐ろしい。その行為を罪だと呼ばれなければ、化け物だろうが人間だろうが、きっと何だってするのだ。
セルヴィは人間の皮を被った、ただの偽善的な化け物。アルヴィンは人であることは棄てている。アルヴィンは自分とは違う、マルクスやポリシアと同じような、“本物”。
「“本物の人狼”じゃない私を、軽蔑する?」
化物の癖に、化け物になりきれない中途半端なセルヴィ。本物はそれを見て軽蔑する人もいるだろう。
アルヴィンはその質問に意表を突かれたのか、笑い出した。
「あはは、まさか。そういうセルヴィこそ、俺を軽蔑する?」
首を横に振った。それはマルクスとポリシアに対しても冒涜に当たると思ったから。
「私は本物になる勇気はないから……きっと文明的な場所じゃなきゃ生きていけないし、ただ甘えてるだけ。元々人間だったんだから、殺人の罪悪に耐えられるようになるまで、辛かっただろうなって思うし。誰だって死にたくはないから、それを人間に否定する権利もあるとは思えないし」
食料として、家畜として動物を殺しているのだから。生物学上の分類が違うだけで、捕食の為に他の生物を殺す、全く同じ事だ。ヒエラルキーの上にある生物が下の生物を淘汰する。それは自然界の摂理だ。
と、心の中で言い聞かせてみる。
アルヴィンは笑って、未だに銀色をしたセルヴィの長い髪を梳く。
「綺麗だね、セルヴィ。俺と同じ銀色の髪。同じ化け物なのに、セルヴィはまだ若いから、俺みたいなのを怖がるかもって思って。俺も人間のふりをしてないと、嫌われるかなって思ったんだけどさ」
「嫌いになんてなれないよ。私も、同じだから」
「そっか。ありがとう」
礼を言ったアルヴィンは嬉しそうに笑う。その表情を見ていると、もうひと押し頑張ってみようという気になった。
「それに、す、す、好きだし……」
思わず言葉がどもってしまった。ただでさえ恥ずかしかったのに、そのせいで余計に恥ずかしくなる。顔が熱くなったのできっと赤くなってしまった。それで更に恥ずかしくなって俯くと、くい、と顎を持ちあげられた。
唇が重なり、目の前にアルヴィンの顔がある。頭がぼぅっとしてきた頃にようやく解放された。少し酩酊したような気分で見つめる先、アルヴィンはいつも通り笑っている。
「セルヴィは信じる? 運命を」
その問いに、やはりまだぼうっとした頭で頷く。するとアルヴィンは手を伸ばしてセルヴィを抱きしめて、髪を撫でた。
「本当にね、セルヴィは他の女の子とは違うんだ。人狼の女の子に出会うのは初めてだし、死ぬ事もなくずっと傍にいられる人にも、それが苦痛に感じないような人にも、中々出会えるものじゃないから」
人間と化物の間に立ちはだかる障壁、恐らくそれを長く感じていたのはアルヴィンの方。もし知られたら嫌われる。仮に受け入れられたとしても、相手の女性が人間である以上は必ず先に死んでしまう。きっとそう言った悲しさを何度も抱えてきたのだ。
だから何人も恋人を作った。一体誰なら受け入れてくれて、一体誰なら死なずに永遠を生きてくれるのか。その相手を探す為に。
「アルを傷つける様な事言って、ゴメンね。私知らなくって、自分だけが傷つきたくなくて」
「いいよ。俺もその気持ちはわかるから。でもこれからは、俺と付き合ってくれるんだよね?」
「うん」
「よかった」
少し上から降り注ぐ、アルヴィンの低い声が、腕の中が心地いい。ずっとこの時を夢見ていたから――。
ふと、アルヴィンが腕を解いた。少し淋しい心持がしたが、アルヴィンは何かを思いついたようで、愉快そうに笑う。
「どうしたの?」
「いや、セザリオは俺がフラれたと思ってるし、聞いたらどんな顔するかなとか思って」
それを聞いて、重大なことを思いだした。つい立ち上がって叫んだ。
「そーだった! セザリオ!」
「えっ、なに」
驚かせてしまったようで、少し身を引いたアルヴィンに気付いて気を取り直してソファに腰かけた。
そしてアルヴィンに、脅迫の全容を語った。話を聞いてアルヴィンは当然、怒りだした。
「あンのクソガキぃぃぃ! 自分だって化け物の癖に!」
「あ、やっぱそうなんだ」
アルヴィンが人狼だと聞いた時点で、そうなのではないかという疑惑は抱いたが、やはりそうだったようだ。どこまでも腹黒いセザリオには、いっそ尊敬すら覚える。
アルヴィンはイライラしたように腕を組んで、ブツブツと文句を言っていた。
「あの、セザリオにもね、ちゃんと話そうかなって」
「今は言わない!」
口元に指を突きつけられて差し止められた。
アルヴィンは何か思いついた様子で、すっと立ち上がった。それを目で追うと、セルヴィに手が差し出された。どうも立てと言う事のようだ。その手を取って立ち上がると、アルヴィンは珍しくしかめっ面をしている。
「え、あの、どうするの?」
「あのクソガキに目に物見せてやる。偉大なパパを敵に回したことを、タップリ後悔させてやんなきゃ気が済まない」
「え、いや、本当に何するの!?」
不安になって腕にすがると、アルヴィンはにっこりと笑う。
「だーいじょうぶ、ぜーんぶ俺に任せてくれたらいいからね」
それで余計に不安になったことは、言うまでもない。
アルヴィンは部屋の明かりを消して、戸締りを確認した。そのままセルヴィも連れ出して家を出る。セルヴィの車、アウディのカギを貸せと言うので渡すと、そのまま運転席に乗り込み車を走らせた。
まさかセザリオのバイト先に乗り込んでいくのでは、と恐々としていたが、行く先はどんどん寂れて山奥に入っていく。その道程にようやく気が付いて、セルヴィは驚きの声を上げた。
「なっ、なんで知ってるの!?」
運転するアルヴィンは前方を見たまま答える。
「さっきも言ったけど、俺くらいになるとわかるんだって。まぁ敢えて近づかないようにしてたんだけどさ。本当はセザリオとルキアが友達にならなきゃ、同じ国にいても絶対会わないようにしてたんだけどねぇ」
「え?」
セルヴィの小さな疑問は聞こえていたのかいなかったのか、スルーされてしまい、とうとう辿り着いてしまった。
車はいつも止める場所、木立の中の少し広くなったところに止めてシートを被せる。セルヴィが案内しなくてもアルヴィンはサクサクと獣道を通っていく。
到着した先、クウィンタス城の前でアルヴィンが足を止めた。
「ハァ、ったくこんな形でご対面とはね。まぁいいか」
そう言って遠慮なしに城の玄関に向かうアルヴィンを、やっぱり首を傾げながら追いかける。
うっかり変身を解くのを忘れたケモノ耳と銀髪を、月が照らしていた。




