23 誰が一番卑怯者 2
「正直な話」
セルヴィが落ち着いてからセザリオが話を切り出した。
「俺父ちゃんがセルヴィさん好きって最初聞いたとき、スッゲェ腹が立ったんだ」
「え?」
一瞬どういう事かわからなくて考えをめぐらせた。父子家庭で母親は死んでいる。昔から遊び人だったアルヴィンには慣れていたのに、セルヴィに恋をした事には腹が立った。
「お母様……?」
「そう」
店でセザリオに質問した時の回答を思い出した。
「正直な話、俺が母ちゃんの腹から生まれた以上は、父ちゃんの奔放さには呆れるばかりだね」
本当はアルヴィンに母を想っていてほしかったのかもしれない。だけど彼は忘れてしまったのか、忘れようとしたのか、他の女性に走って、とうとうセルヴィに恋をしてしまった。
「母ちゃん、ずっと父ちゃんが迎えに来るの待ってたんだ」
「え?」
「父ちゃんと暮らし始めたの、母ちゃんが死んでからだったんだ――」
語られる、父子の歴史。
セザリオの母は家庭のある人だった。アルヴィンは愛人だった。なのにセザリオをもうけた。セザリオがアルヴィンの息子であることは誰の目にもわかった。よく似ていたし、目の色が同じだったから。母と母の夫とは、瞳の色が違った。
母の夫はセザリオを邪険にしたけど、母はアルヴィンを愛していたから、セザリオをとても可愛がった。アルヴィンもセザリオを可愛がってくれた。それは幼い日の事で覚えていないけど、母がそう語ってくれた。
その後セザリオの下に、母と夫の間にできた子が生まれる。双子の姉妹だった。異父姉妹達は溺愛された。母は分け隔てなく育ててくれたけど、母の夫は一層セザリオを邪険にした。
その後母の夫が死に、立て続けに母が死んだ。妹たちは親戚が引き取った。一人取り残されたセザリオは、誰も引き取ろうとしなかった。そんな時アルヴィンがやってきて、彼を引き取った。
その事には安堵したけど、とても悔しかった。もっと早くこの人が、母を迎えに来てくれていたら。自分をちゃんと自分の息子として育ててくれていたら、きっとこんな思いをせずに済んだのに。
母はずっとアルヴィンを求めていたのに、既にアルヴィンの中で、母は過去の人だった。
「愛してたよ、お前の母親は賢くて美しい人だった」
過去形の愛なんて、聞きたくもなかった。
「お前は俺の息子だけど、彼女は俺のモノではないから」
大人の都合なんて、知ったことじゃなかったのに。
アルヴィンを憎んだけど、アルヴィンはちゃんと息子として見て、面倒を見てくれる。女癖は悪いしどうしようもない父だと思ったけど、それも年を経るにつれて慣れてきた。
何より優しかったし、父の人柄は決して嫌いになれる様な人柄ではなかった。だから今と言う環境で、満足することも悪くはないと思うようになった。
セルヴィと出会ってすぐ、アルヴィンは恋をした。それを聞いた時アルヴィンは言った。あれほど、数えきれないほどの恋人がいたのに、今まで愛したのはたったの3人。
その中に母は含まれているのだろうか。随分悩んだけど、尋ねたことがあった。
「勿論だよ。お前の母親は美しくて、それ以上にとても利口で聡明だった。狡賢いところもあったけどね、彼女と話すのはとても楽しくて、時間がとても有意義に過ごせる。そう言う女性は滅多にいないから」
セザリオの知る母もそう言う人だった。とても頭のいい人だった。成績がいいという意味でなく、賢いという意味で頭のいい人。例えるなら性格のいいアナスタシア。マルチリンガルだったし、あらゆることに造詣が深く、母から学ぶことは数多くあった。
アルヴィンはセザリオの母の利発さと知性に惹かれ、愛した。だけどそれ以上にセルヴィに恋をした。それを父は、運命と呼んだ。
セルヴィと出会って少しして、アルヴィンは突然言った。
「実はね、お前の他にあと二人子供がいるんだよ」
あれだけ恋人がいたのだ。よく考えれば他に隠し子がいてもおかしくはない。
「へぇ、その二人は?」
「一人は娘で、まぁその子はいいんだ」
本当にどうでもよさそうに。恐らくその女の子が、というよりも、その子の母親がどうでもいいから、娘にも愛着がないという事なのだと結論付けた。
「もう一人は息子」
「それが、なに?」
「久しぶりに今日、名前を聞いてね。思い出したんだ」
「えっ?」
「これはきっと、運命だ」
運命。娘とは思い入れが違う息子。自分とは別の。
「その、その息子の、お母さんは……?」
声が震えるのを、巧く隠せていたか自信がない。
恐らく隠せていたのだろう、アルヴィンは今まで見たこともないような優しい顔をして言った。
「俺が生きてきた中で、最も愛した人だよ」
それでも、既に過去形だった。
「死ぬ間際まで、愛してた」
この世界にはもう既に、いない人。
「だからアイツも、可愛がってやったんだけどなぁ」
遠い目をする先にあるのは、本当に愛された息子。
「あぁこれはやはり、運命だ」
窓の外を見て言う。
今更幼い子供でもないのに、腹違いの兄弟に嫉妬したわけじゃない。だけど許せない、運命と言うその単語。
母や自分に向ける愛とは格が違う、それをいとも容易く上塗りしてしまう、運命と言う強烈な情動。
セルヴィを運命の相手と呼んだ。もし二人が愛し合う様になってしまったら、父は完全に母の事を忘れてしまうんじゃないか。そう考えたら許せなかった。
「だから正直ね、俺は父ちゃんとセルヴィさんが上手くいかなくて、心底安心したよ。俺って卑怯者だよね。父ちゃん応援するふりして、フラれろって思ってたんだから」
「卑怯者なんかじゃないよ。ただ、母親想いの息子さんだと思う」
「ハハ、ありがと。本当セルヴィさんっていい人だね」
「そんな……」
曖昧に返事をして、お冷の入ったグラスに視線を落とした。
(セザリオくん、本当は私の事嫌いだったのかもしれない。お母さんの敵と言えば、そうなのだし。なんか本当に、迷惑かけたな)
そう思って酷く申し訳ない思いがした。やはり本当は好きだったと打ち明けなければよかったと後悔したが、セザリオはそれに対して怒ったりはしなかった。
「やっぱり、アルヴィンさんの息子さんね。優しくて寛容で鷹揚で。アナスタシア様の言ったとおり、立派な人になるよ、きっと」
そう言うとセザリオは眉を垂れて笑う。
「えー? あの子そんな事言ってたんだ。なんだー意外といい子じゃん。ていうか俺現金かな? 父ちゃんめっちゃキレてたけど」
「アルヴィンさんの事も、恋人には不向きだけど、人としては出来た人だと言ってたよ」
「マジ? ツンデレだな。直接言えばいいのに」
「そうね」
ようやく二人で小さく笑った。
随分雰囲気は和やかになってきた。その空気に安堵していると、ふとセザリオが立ち上がって隣に腰かけてきた。
そのまま隣で足を組んで、ソファの背に肘をつき、困ったように眉を下げて手を開く。
「父ちゃんの事まだ好き?」
「ううん。さすがにもう。でもずっと傍にいたら、また好きになりそうで怖いなって言うのはあるけど」
「あー……まぁ吹っ切れたならいいや。ていうか父ちゃんさ、自分で言ったくせに忘れてんだよ」
「……何が?」
「ルキアにも俺散々言ったしさぁ」
「え?」
「ていうかルキアが言ったから俺も今まで頑張ったわけよ」
「何を?」
要領を得ない話に首を傾げるばかりだ。相変わらずセザリオは笑っている。
「俺さぁ、やっぱ卑怯者なんだよ」
「そんな事無いと思うけど」
そう答えると、小さく溜息を吐いてやはり笑う。
「俺さ、ルキア結構好きで。ずっと友達でいたいって思ってんだ」
「ありがとう。ルキアもきっとそう思ってるよ」
「ハハ、だといいけど。俺には冷たいからなー」
「クールぶってるだけだよ」
一応話には返すが、結局何を言いたいのかが分からない。色々と頭の中で解釈をしてみるもののサッパリわからず、少し困惑しながらセザリオを見つめていると、なぜか深く溜息を吐く。
「あのさぁ……」
「ん?」
「やっぱいいや」
「えぇ!?」
「帰ろ帰ろ」
「えぇっ!? ちょ、待ってよ!」
結局意味不明なまま立ち上がろうとしたので、慌てて引き留めようと服の裾を掴むと、セルヴィの袖が引っ掛かって、お冷のグラスが倒れた。
「あ! 割っちゃった!」
「危ないよ!」
「い!」
割れたグラスと水浸しになったテーブルに焦って手を伸ばすと、案の定グラスの破片で指先を切った。
すぐにセザリオがその手を掴んだ。
「大丈夫!? みせ……て……」
言いながら彼はそのまま表情を硬くする。その視線の先では、僅かに切り裂かれた傷口に、流れ出たはずの血が逆流していき、静かにその傷口は塞がってしまった。
それに気づいて、極度の焦燥が募った。慌てて手を離してセザリオを見ると、驚愕の表情を浮かべてセルヴィを凝視した。
(どうしよう、見られた! 何か、言い訳を……!)
そう思っても、まともな言い訳が浮かんでこない。彼の視線が恐ろしい。冷や汗が流れる。
「あ、ち、がうの」
声が震える。そう言って首を横に振ることしかできない。
セザリオは未だ驚愕の渦から抜け出せずにいる。
一体どうしたら。見られてしまった。普通じゃないことは、誰の目にも明らかだ。今まで笑っていてくれたセザリオも、次の瞬間には敵になるかもしれない。アルヴィンも、ルキアの他の友人達も。必死に脳内で言い訳を考える。
「違うの、私、ちょっと特異な体質で……」
かなり無理のある言い訳だと思った。でもそれしか、動揺した頭では浮かばない。
しかし、それでセザリオは驚愕の表情を緩めた。立ち上がっていたが結局セルヴィの隣に座りなおして、その反応に怯えるセルヴィの首筋に手を伸ばした。
一瞬怯んで体がびくついたが、何をするでもなく首筋に手を置いただけ。不安に思いながらセザリオを見つめると、ふふっと笑った。
「特殊な事情って、その特異体質の事?」
珍しい体質だから、人と必要以上の接点を持たないようにしている。この言い訳で行こうと決めて、その質問に頷く。
「その体質って、ルキアも?」
「……うん」
「あぁ、だから本当の家族じゃないのに、家族みたいにしてるんだ」
「うん」
お願いだから、どうかこれで引き下がって。祈る様に見つめながら肯定を繰り返す。
セザリオはそれを見て、笑顔で言った。
「ウソばっかり。脈がない人間なんて、いるわけないだろ」
その為に首筋に触れたのだと気付いて、首元を抑えて慌てて距離を取った。
セザリオはやはり笑って言った。
「事情は分かったよ。確かに父ちゃんとは付き合えないかもね。それにおかしいと思ったんだ。こんだけ付き合い長いのに、ルキアは家の場所すらも教えてくれないし、この6年の間に、セルヴィさんには一切変化がない」
老ける事は勿論、髪すらも伸びない。誰だって6年もあれば多少は変化がある。さほどわかりやすいものでなくても、髪を切ったり伸ばしたり、そう言ったことがあってもいいのに、セルヴィにはそれがない。
緊張で喉がカラカラに乾く。
「お、おね……がい……」
声が震えて上ずって、巧く言葉が出てこない。
「誰にも、言わないで」
肯定してしまった為に、ルキアやマルクスたちが人間じゃないこともきっとわかってしまっている。もし、アルヴィンや町の人、ルキアの大学の人たちに知られてしまったら。そう考えると、恐ろしくていられない。セルヴィの心の中は、猛烈な恐怖に支配されて、セザリオの射止めるような視線に飲み込まれそうになっていた。




