22 誰が一番卑怯者 1
アルヴィンの件から1月ほど経って、流石に落ち着いてきた。最初の頃は気まずかったものの、いつまでも避けてはいられない。思い切って店を訪れて、セルヴィは勿論アルヴィンの方も関係の修復に努めようとする姿勢は伝わってきた。
アルヴィンが内心どう思っているかは置いておくとして、表面上は以前と同じ状態に回復した。
相変わらずアナスタシアとルキアからは
「あの男には気を付けろ」
と釘を刺されるものの、人間と化け物の壁を考えると、気を付ける必要性すら感じない。
かつてヨーロッパには、普通の人間が"人狼"や"狼男"と呼ばれることがあった。その対象となった人間は、人間として、社会的な地位や権利、あらゆるものを剥奪された。人狼であること、化け物であること、それは社会に存在を許されない何かであること。つまりは、迫害・軽蔑・討伐・処罰、そう言った目に遭ったとしても、賞賛すらされど憐れまれることはない、ということだ。アナスタシアも過去に似たような経験があったらしく、
「そうね。正体を知られて嫌われない自信なんて、きっとどの化物も持ち合わせちゃいないわ」
と理解を示してくれた。
そんな折、ケータイに知らない番号から電話がかかってきた。セルヴィが登録しているのはアルヴィンと城に住む人達。後はルキアの大学やよく行く商店位のものだ。
その番号は明らかに個人の携帯電話の番号だった。間違い電話だろうか、と不思議に思いつつも電話に出た。
「はい?」
「セルヴィさん?」
呼称と声ですぐに分かった。
「もしかして、セザリオくん?」
「そう! ごめんね、父ちゃんのケータイから番号見て、勝手にかけた」
「ううん、いいよ。どうしたの?」
問うと、少しだけ沈黙があって、やや言いにくそうに返事が返ってきた。
「あのさ、明後日暇?」
「えーと、昼前から夕方くらいまでなら。何か?」
「うーん、一応父ちゃんの事とか俺の事とか、色々話しておいた方がいいかなって思ってさ」
アルヴィンやルキアがいたら話しにくい事もあるだろうし、何よりもこの件で一番迷惑を被ったのはセザリオのはずだ。愚痴や文句位聞く義務はあるだろうと考えて了承し、待ち合わせ場所と時間を確認して電話を切った。
指定されたのは午前11時半、あるカフェの個室だった。時間は15分も前だったせいか、まだセザリオは来ていないようで、予約された個室に一人で座り室内を見渡す。
個室のせいか、そこはリビングのような設えになっていて、置かれているのは椅子ではなくソファ。低めのテーブルが真ん中に鎮座して、金属部分が黒く塗られた小ぶりのシャンデリアが、天井から下がっている。
(また洒落た場所を知ってるものねぇ。年上彼女の影響かな)
そんな事を考えながら、注文を聞きに来たウェイトレスに、後で連れと一緒に頼むと断りを入れて待つ。
少ししてセザリオは時間ピッタリにやって来た。
「あ、待たせた?」
「そうでもないよ。注文どうする?」
「俺はいいや」
セザリオが要らないというので、セルヴィも断ってお冷だけおいてもらった。
セルヴィの反対側に腰かけたセザリオに、一応尋ねてみた。
「あの、今日平日だけど、講義は?」
結局セザリオは大学までルキアを追いかけて行った。さすがに学部は違うが。
「ないよ。だから今日なんじゃん」
「あ、そうね」
休みなのかと安心して、セザリオから会話を切り出してもらった方がいいかと考えたが、ここはやはり先に謝罪するべきだろうと考えなおして、もう一度口を開いた。
「あの、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
その謝罪が何を意味するのかは分かったらしく、苦笑された。
「セルヴィさんのせいじゃないでしょ。こちらこそ父ちゃんが迷惑かけました」
「迷惑だなんて」
「いーの。ぶっちゃけ俺には迷惑だったから」
「あら……そう」
確かにそうと言えばそうだ。ルキアとの友人関係がなかったとしても、父親が女を口説く軽薄な姿を見て喜ぶ息子は、普通はいない。
かといって「ですよねぇ」と賛同するのもどうかと考えあぐねて、結局反応に悩んでいたが、セザリオが身を乗り出して頬杖をついた。
「正直な話、ここだけの話さ。セルヴィさん、父ちゃんの事どう思ってた?」
ぎくりとして、思わず視線を泳がせてしまった。
「友達、だよ」
「ウソだね。誰にも言わないから、終わったことだし言っちゃえば? どうせ変わらないんでしょ?」
ウソは見抜かれている。観念することにした。
「……本当は、好きだよ」
「いつから?」
「仲良くなって、気が付いたらいつの間にか……」
セザリオは俯いてクスッと笑う。
「言えば父ちゃん、喜んだだろうにさ」
「できないよ。色々と事情があるし、ルキアの意志を無視することはできないもん」
「俺とルキアがケンカになったりしたらヤだし?」
「それもあるよ。とにかく私とアルヴィンさんは、ダメなの。だから何とか押し込んで吹っ切れたと思ったのに、アルヴィンさんが」
「好きだって言って来て困った?」
「……正直、困っちゃった」
「ハハ、ほーんと困った父ちゃんで、ゴメンね」
それもまたウソ、困ったなんて大ウソだった。飛び上がるほど嬉しかった。嬉しくて、涙が出そうなくらい。悲しくて、涙が出た。
普通の人間であるアルヴィンに、今目の前で好きだと言ってくれているこの人に、
「私本当は人間じゃないの」
そう告げたら、彼は一体どんな反応をするだろう。
いつも通り優しく笑って、そのまま受け入れてくれる?
それとも見たこともないような形相をして、化け物だと、近寄るなと掌を返し迫害する?
考えなくてもわかる。人から忌み嫌われるからこそ、化け物なのだと。
いつか言っていたマルクスの言葉。
「化け物など皆憐れだ」
化け物とはなんと悲しい生き物だろう。化け物だと知ってしまえば、今優しく笑いかけてくれるあの人もこの人も、きっとみんな自分を嫌いになる。自分だけならまだいい。ルキアまでセザリオから迫害されるようなことになってしまったら。
変わらない。セルヴィの意志はきっと一生変わることはない。言うくらいなら、一生友達でいて欲しい。目の前で好きだと言ってくれた人に、本当の自分を知られて嫌われてしまうくらいなら、一生友達のままでいい。女々しいのは、セルヴィの方。
アルヴィンの言う通り狡い。自分が嫌われるのが恐くてあんな言い方をして、彼だけを傷付けた。保身の為に好きな人を傷つけた。
これほど自分の身の上を嘆いたことはなかったけれど、マルクスにもポリシアにも申し訳なくて、アルヴィンのせいにして気持ちを押し込んだ。人間同士だって恋に破れる事は沢山あるのに、化け物と人間が上手くいくはずがない。受け入れるべきではないし話すべきではない。
自分の考えは正しい。自分の身を守ることは正しい。彼だってすぐに別の恋をする。自分は人間に恋をしてはいけない。何度も何度も言い聞かせて、ようやく諦めがついた。
「ごめんね。泣かないでよ」
報われない両想い。涙が出た。それを手の甲でごしごしとこすって顔を上げた。
「ごめんね」
「なんで言わないの? 父ちゃん喜んだよ」
「出来ないの。事情があるから」
「父ちゃんより大事な事情なの?」
「うん。アルヴィンさんには申し訳ないけど、事情の重要度が全く違うから」
「そっか。好きって事を殺すほどなら、余程の事情なんだ」
「うん」
また涙が出そうになるのをぐっとこらえた。これで良かった。自分の判断は間違っていなかった。恋愛なんて一時の気の迷いだから。"好き"なんて、殺さなければ。
化け物だと知られて嫌われる位なら、卑怯者だと軽蔑された方が、まだマシ。
大人の恋は叶わないことの方が多い。だけど人間と化物の恋なんて、叶う事はない。叶ってしまったらきっと、もっとアルヴィンを傷付けるから、叶ってはいけない。
化け物は悲しい生き物だ。心底そう思って、やっぱり涙が出た。




