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20 コーヒーショップの戦い


 数日すると、「お暇するぜ」とアレハンドロは南米に帰ることになってしまった。この数日の間に姉弟はアレハンドロ大好きになってしまって、帰ってしまうのが本当に名残惜しい。

「アレハンドロ様、お帰りはお気をつけて」

「アレハンドロ様、また来てくれますか?」

 姉弟でそんな事を言っていると、アレハンドロがにかっと笑って二人の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「そーんな辛気臭せぇツラするな。また遊んでやるからよ。お前らも達者で暮らせよ」

「はい!」

「お前らの方こそ、一度俺ンとこ遊びに来いよ。案内してやるからよ」

「はい!」

 姉弟で元気よく返事をするのが愉快だったのか、面白そうにアレハンドロは笑って、手を振って帰って行った。

 寂しくなる、とルキアと共にアレハンドロの背中を見送って、姉弟でアレハンドロとの別れを惜しんでいたら、これから学校の時間になっていた。

 慌てて支度をしたルキアが下りてきて、ヘルメットをかぶったルキアの荷物が多いことに気付いた。

「あれ? なに?」

「昨日言った」

「え? 何だっけ忘れた」

「ドジ」

「うるさい。で、なに?」

「明日学校休みだし、今日はセザリオんち泊まりに行くから迎え要らないって」

「あ、そうなの」

「迎えは明日の夕方18時でいいから」

「ふーん、そう。セザリオくんやお父さんに失礼のないようにね」

「ヘイヘイ」

 正直な話初耳だと思ったが、普段からポケーとしていることが多いので強く言えないのが悲しい。

 日々ルキアが自分に向かって溜息を吐く回数が増えて行っている気がするが、気のせいだと思う事にした。

「それは気のせい森の精っていうね」

「何言ってんの、バカ。ホラ遅刻するじゃんもう。ハァ」

 やっぱり溜息を吐かれた。



 今日はルキアのお迎えの必要はない。いつもはそのついでに買い物をする。近頃は送迎と捜索を兼ねていたので、遠慮して買い物をしにくかった。なので、冷蔵庫の隙間が目立つ。結局買い物をしないといけないので、ルキアを送ってから買い物に出ることにした。

 行きつけの商店街、城の周辺はのどかで農家や漁師なんかが結構多い。この辺りは漁業農業の一大産地と言う事もあって、新鮮で高品質な食材には困ることがない。

 丸く太った茄子、ぴかぴかのパプリカ、目の澄んだ鰯に赤と白のコントラストが絶妙な豚。

「らっしぇぇい! やぁセルヴィ、今日は早いな?」

 行きつけの八百屋のおじさんは気さくで、サービスしてくれたりするので大好きだ。お礼にとサービスしてくれたジャガイモでニョッキを作って持っていったりすると、すごく喜んでくれる。

「今日は坊ちゃんをお迎えに行かないので、送ったついでにお買い物を済ませようと思いまして」

「へぇ、ようやく坊ちゃんもセルヴィ離れする気になったか」

「あはは、残念ながら違います」

 商店街には以前から来ていたから、セルヴィとルキアが姉弟だという事は知っている。「家庭教師とお坊ちゃん」ゴッコをすると面白がって、おじさん達まで一緒になってルキアをからかい始めるので、やめられない。

 おじさんに計ってもらいながら、あれやこれやと注文して買い物していく。話しながら買い物をして、代金を払って挨拶をして振り返ると、八百屋の反対側に見慣れない店が出来ていた。

「ちょっと来ない間に、新しい店出来ました?」

 指さしておじさんに振り返ると、「そうそう」と教えてくれた。つい一昨日開店したばかりのコーヒーショップらしい。

「おいら達も行った。雰囲気結構いいし、マスターも話しやすいし、いい店だよ。行ってみなよ」

「へぇ、じゃぁ寄ってみようかなぁ」

 幸いまだナマモノは買っていない。少し寄ってみることにした。


 漆喰で塗り固められた壁、シャビーグレイのドアを開ける。店内は穏やかな灯りで暗すぎず明るすぎず。ドア前の大きな観葉植物を避けてカウンター前に行く。やはり漆喰の壁にはニッチがあって、小さな植物や花瓶や絵なんかが飾ってある。カウンターの中には白いシャツを着てこちらを見る男性が一人。

「いらっしゃい……あれ」

「あ、ディシアスさん」

 セザリオの父、アルヴィン・ディシアスだった。途端に大歓迎を受けて座れと満面笑顔で急かされるので、少し可笑しく思いながら腰かけた。

「お店、出されたんですか?」

「はい、つい最近。前働いてた会社が倒産したから、失業ついでに開業しようと思って」

 普通失業ついでに開業する人はいない。

「スゴイですねぇ」

「すごくないですよ、何飲みます?」

 言いながらアルヴィンはその背後にある黒板を指さした。

「えっとーえっとーえっとー、ロマーノ!」

「はーい。ちょっと待ってて下さいね」

 ガラスのコーヒーカップに乗って出てきたロマーノ。微かに柑橘系の香りが鼻をくすぐる。

「わぁ、スッキリしてて美味しい」

「ありがとうございます。それとこれもどうぞ」

 目の前にパニーニが差し出された。

「えー? ありがとうございます!」

 遠慮なく被りつく。生ハムとチーズのコラボが溜らない。

「うんま! あ、すいません」

 つい素に戻る。アルヴィンに笑われた。

「いいですよ、他に気を遣う人がいるわけでもないし」

「それならディシアスさんも敬語遣っていただくことありませんよ。年上なんですし」

「そう? ありがとう」

 順応性の高い人のようですぐになじみ始めた。更に、自分が偉いわけではないから、よそよそしい呼び名もやめろと言い出す。

「アルでいいよ」

「えぇ、でも」

 渋っているとアルヴィンがカウンターから身を乗り出して、頬杖をついて覗き込まれた。

「いいよ、二人の時くらい。ね?」

 笑顔で改名を迫られる。不覚にもドキッとしてしまった。

「えぅ、わかりました」

「敬語も禁止ね」

「えぇっハードル高いです」

「ダーメ」

 またしても笑顔で迫られる。

(うぅ、なんか逆らえないなぁ)

 結局折れた。


 アルヴィンとの話は、それぞれセザリオとルキアの話になった。セザリオはあれだけチャラいが、頭の悪いバカはアルヴィンが許せないらしく成績はいい。遊びに来た時は一緒に勉強をしたりしているらしい。

「でもセザリオの長所はそのくらいかな。アイツは楽天的で調子こきのバカだから」

「えぇ? あははヒドイ」

「酷くないよ、成績もルキアに追い抜かれたみたいだし、俺的にはルキアみたいなクールで賢い子に育ってほしかったよ。教育間違えた」

「や、坊ちゃんはクールすぎて色々厳しいよ。小憎らしいったら」

「あはは、如何にも一匹狼ってかんじだよね。セザリオとは相性いいみたいだけど、アイツが付きまとってるようにしか見えない」

 少し距離が縮んだせいもあってか、ルキアの事やセザリオの事や、色々と会話が弾んだ。


 そうこうしていると、一時間も経過していることに気付いた。

 今日は特別にお題は結構と言うので、そこで押し問答を繰り返したが結局迫力スマイルに押し切られてしまった。

「また来てね」

「うん!」

 行きつけのお店が出来たようで嬉しかった。今度はルキアも連れてこようと考えて、残りの買い物を済ませて城に帰った。


 翌日の夕方、ルキアを迎えに行くことになった。ハーレーを下りてディシアス家の玄関に向かう。この家の「プィー」というちょっと間抜けなインターホンの音が結構好きだ。

(普通は「ビー」って言うのにな。電池切れかけてるのかな)

 そんな事を想いながら待っていると、足音が聞こえドアが開かれる、という状況が待ってもやってこない。

 首を傾げてもう一度押す。待っても来ない。もう一度押す。が、来ない。

(え、ウソ。いないの?)

 慌ててリビングと思しき部屋の窓を見てもカーテンがしてあるのでわからない。どうしよう、とオロオロしたが、ドアにドアと同色の小さなメモが貼ってあることに気付いた。

"アナさんへ。父ちゃんの店に行ってます"

(もっとわかりやすく表示してよ!)

 それはメモと呼ぶにもおこがましい、小さな付箋紙。絶対ルキアのイタズラだと思い、腹立たしさで付箋紙を握り潰しハーレーに跨った。


 この前はなかったベルが、ドアに装着されていた。カウンターに寄ると、ディシアス親子は笑顔で迎えてくれて、ルキアはジト目でこちらを見ている。

「坊ちゃん? なんですか?」

「場所」

「え?」

「教えてないのによくわかったね」

「昨日偶然来たので」

「ふーん」 

 自分の知らない間に親交を深めているのが不服なようで、ルキアは機嫌が悪い。アルヴィンが若干苦笑しながら注文を尋ねてきた。

「私はカフェモカ甘めで」

「太るよ」

 ルキアの八つ当たりがやって来たが、「太りません」と適当に斬り返して注文をお願いした。

 セルヴィ達は栄養にはならないものの、純粋に食感と味覚を堪能できる。体調も体型も気にせず好きに飲食できるのは幸せなことだと思う。

 差し出されたカフェモカを一口飲む。深く煎られた豆の風味、使っているミルクは市販の物じゃない。これは加熱処理をしていないミルクの風味だ。

「これ生クリーム? 牧場から買ってる?」

「そうだよ、良く気付いたね」

「だって、美味しい」

「ありがとう」

 アルヴィンの柔和な笑顔と美味しいカフェモカのお陰で、殺伐とした空気が一新される。

(いやー、癒されるわぁ)

 つい顔がゆるむ。しかしすぐに引き締まる。思い出して、バッグをゴソゴソと漁って、紙包みを取り出した。

 坊ちゃんがお世話になりまして、とアルヴィンに差し出すと笑顔で受け取ってくれた。

「わざわざありがとう」

「いえいえ」

 伺いを立てられたので頷くとアルヴィンは包装を開ける。プレゼントしたのはセルヴィお手製のカモミールの石鹸とバスボムだ。

「カモミールはリラックス効果があって、血行も良くなるんだよ。立ち仕事は足が疲れるし」

「わぁ、ありがとう。アナは気が利くね。いいお嫁さんになれるよ」

「えーそうかな」

「アナが家にいてくれたら家の中明るくなりそう。今度ウチにも遊びに来てよ」

「うん。じゃぁまたお土産持って来る。何がいい?」

「アナがくれるモノなら何でも嬉しいよ」

「えー? えへへ」

 褒められて上機嫌になるセルヴィだったが、その様子を見ていたセザリオとルキアは二者二様の顔をしていた。

(父ちゃん本気でオトしにかかってきたな。別にいいけど、オレとルキアの前で攻勢に出るのはどうなんだ)

 相変わらずの父の自由さを嘆くセザリオ。

(ていうかいつの間にこんな親しげになってんの。何がいいお嫁さんだよ。俺のお嫁さんになりなよ、ってか。セザリオの親父ムカつく)

 ジェラシーを燃やすルキア。

 この雰囲気にアルヴィンは恐らく気付いたのだろう。ちょっと考えるとセルヴィに質問してきた。

 Q:どんな男がタイプですか?

 唸りながら考える。あまりそう言ったことを考えたことはなかったが、やはり憧れるのはマルクスとポリシアのようなおしどり夫婦だ。アレハンドロのような気さくな人も大好きだ。

「そーですねぇ、家族思いで優しくて気さくで、大人で年上の人がいいですねぇ」

(俺じゃん。もう俺しかいないじゃん)

 自信がついたアルヴィンは、カウンターの中で小さくガッツポーズをした。

(おねーちゃん年上好きだったんだ、ショック!)

 勝てない戦いにトドメを刺されて落ち込むルキア。

(それって父ちゃんじゃん。ていうかルキア大丈夫か。ていうかオレはどうしたらいいんだ)

 父とルキアを交互に見て、板挟みになって苦しむセザリオ。ちょっと優位に立ったアルヴィンがコメントする。

「そーなんだ。けどそうだよね。アナはいつも忙しいから、優しい人に癒してもらいたいよね」

「そうですねぇ。だけどウチ特殊な環境だし、それを理解してくれて、私の雇い主は坊ちゃんですから、坊ちゃんにも許可を戴かないといけません」

 それで事態は一変した。

(よっし! 絶対認めない!)

 最終判断を委ねられたと知って元気を取り戻したルキアは、アルヴィンを睨みつけた。

(ルキアみたいな子供に負ける気はしないけど、攻略するのは難しそうだな。許さないって顔に出てるし、ルキアが絡むと思った以上に難攻不落だ)

 15歳も年下の子供と対峙する羽目になるアルヴィン。

(うわぁ、メッチャ火花散ってるよ。マジでオレはどうしたらいいんだ。この状況で俺が気安くアナさん口説いたりしたら泥沼だな)

 どっちの味方に着けばいいのかわからず、自分がからかう隙間もないので、やはり悩まされるセザリオ。


 反対側を見るとセザリオが肩を落としている。気になって声をかけたら「なんでもない……」と力なく返事が返ってくる。

 首を傾げてルキアを見ると上機嫌だ。どうしたのかと声をかけると「なんでもないよ」と意気揚々と返事が返ってくる。

 前を見ると聊か不機嫌そうにしたアルヴィンと目があった。どうしたのかと尋ねると笑顔を取り繕って「なんでもないよ」と返ってきた。

 結局セルヴィは始終首を傾げた。



 しばらく話をして、気付くと20時前になっていた。城での食事の支度もあるというのに、ウッカリくつろぎ過ぎていたことに焦って慌てて立ち上がり、勘定を済ませた。

「ゴメンね、忙しいのに引き留めちゃったみたいで」

「いえいえ! また今度ゆっくり!」

 店先で見送るディシアス親子に挨拶をして、急いで店から立ち去ろうとしていると、反対側の八百屋のおじさんが店仕舞いをしている場面に遭遇。セルヴィに気付いたおじさんが声をかけてきた。

「セルヴィ、珍しいな。こんな時間に」

「うっかりまったりし過ぎちゃって! 今から帰る所です!」

「相変わらず忙しいなぁ」

 おじさんに愛想笑いをして立ち去ろうとすると、アルヴィンがポツリと言った。

「セルヴィ……って?」

 その言葉でハッとした。商店街のおじさん達はルキアと姉弟だと知っているし、本名の方しか知らない。反してアルヴィン達には「お坊ちゃんの家庭教師」という設定で嘘をついている。

 それに気づいてアタフタしだすと、ルキアもそれに気づきおじさんに振り向いた。

「お、おっちゃん。急いでるから」

「そーかスマンなぁ。ルキアも帰ったらねーちゃんの手伝いしろよ」

 更に爆弾が投下され、セルヴィとルキアの脳内は焼け野原になった。

 ディシアス親子は怪訝そうに眉を寄せて「ねーちゃん?」だの「セルヴィってなに」だの親子でブツブツ言っている。

 いよいよ姉弟は顔面蒼白になる。ルキアは必死に頭を回転させた。

「血縁上は姉弟だけど、途中で生き別れたから戸籍は他人なんだよ。ややこしいから外では他人のフリしてんだ。だからねーちゃんは、外での名前をファーストとミドル使い分けてる」

 スラスラと事実とウソを混ぜたセリフを紡ぐルキアに、セルヴィは心の中で「ブラボー!」と喝采を送った。

「そうなの! 説明求められると面倒くさいから! 黙っててごめんね!」

 元気を取り戻して謝罪すると、「特殊な環境ってそう言う事か」と勝手に納得してくれたようだ。


 ルキアもホッと息を吐いたが、ややもすると考える。

(他人て事にはなったけど、姉弟って設定が生きてるんじゃん。いや姉弟だけど。実の姉弟か赤の他人の方がまだマシだったのに。戸籍上他人とか距離感が中途半端過ぎる。こうなると公然とセザリオ父をバッシングしにくい……なんか余計ややこしくなった)

 疑問が解決したアルヴィンも同様に考える。

(姉弟って言っても他人は他人なのか。なるほど、姉弟だから公然と攻められないけど、その立場があるからガードは出来るのか。なにそれすごくややこしい)

 兎にも角にも、ルキアのお陰で身の上フォローは完璧なので、セルヴィはそれに満足し、不思議そうにする八百屋のおじさんと、悶々としている様子のディシアス親子に手を振り、いつものようにハーレーにまたがって商店街を後にした。


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