15 君の名前と僕の夢
落ち込むルキアを余所にキトカは立ち上がって、ルキアにも立ち上がる様にと手を引いた。それでもうダメだった。
頭に血が上って、どきどきと心臓がけたたましく拍動したのが耳につきそうだ。片付けをする手も疎かになってしまって、トボトボと歩いていると、キトカに「早く」と手を握られた。
引かれるままに歩く。繋いだ手、キトカの手は白くて小さくて柔らかい。ルキアが長身のせいもあって、一際小さく見える小柄な体を後ろから見つめて、手からどきどきしているのが伝わりやしないかと心配になった。
バイクに二人乗りして、背中に神経がどうしても集中してしまう。抱き着くキトカに、やっぱり背中越しに心臓の音がバレやしないかとハラハラした。
城に戻って荷物を置きに廊下を歩いていると、キトカがポツリと言った。
「名前」
「え」
思わず足を止めた。もしかして教えてくれるのか、そう言った期待で一杯になる。しかしキトカは少し悪戯っぽい目をして言った。
「僕の名前、当てられたら宝石を上げる」
「えっ!」
思わぬ言葉に舞い上がりそうになった。それを知ってか知らずか、頑張って、とキトカは部屋に消えて行った。
だけどよく考えたら名前なんて当てられるものだろうか。知らない人を見てあの人は○○さんだ、なんてわかるはずはない。だけど、ヒントくらいはあるはずだ。
そう考えて部屋に入って、歴史の教科書を開いた。
ヒントは、100年くらい前、高貴な身分、一家は殺害されている。唯一出てきた地名はウラジオストック――ロシア。ウラジオストックに移った、という事はそこの出身ではない。宝石が嫌われていたということは、その頃は共産主義が台頭していて、だけど持っているということは旧体制の高貴な身分の誰か。
100年前の年表にも載っていた。キトカが誰の一族なのかは容易に想像がついた。だけど史実には一家全員が死んだとある。誰かが欠けたとも書いていないし、男の子はただ一人。
その少年の遺骨はきちんと見つかっているし、DNA鑑定で本人の物と証明されている。今生きているキトカは、一体誰なのか。
もう一度考えた。よく思い出そうと記憶を探った。
(いたよ。姉が3人と弟が一人。みんな仲良しで、直ぐ上の姉とはすごく仲良くて、弟も可愛がった)
そう語ったことを思い出した。この一家に男児は一人しかいない。よもや隠し子かとも思ったが、当時の情勢はそれを許さないし、唯一の男児は待望の子供だった。他に隠す理由すらもなかったはずだ。
(じゃぁ一体……まさか)
姉が3人と弟が一人。その位置にいるのは、ただ一人。
父親の遺言はこうだ。身分を隠し素性を隠して生き延びろ。結婚して血統を絶やすな。
「わかった……」
名前はわかった。だけど今は言わないでおこうと決めた。まだ18歳だし高校生で、資格がないと思ったから。
もう少し大人になったら。せめて人狼になったら、名前を呼んであげよう。
そうして、19歳になった。大学への進学も決まって、高校も卒業目前だ。背も伸びた。183cm。昔セルヴィが言った通り、父親に似たのか背が高くなった。昔は見上げていたマルクスを、今は見下ろしてしまう。手足が伸びて筋肉がついて、声も随分低くなって、男の子から男の人になった。
ずっと大人になりたいと思っていたから、素直に嬉しい。
(あぁ、これでやっと)
そう思って安堵しても、よく考えたらやって来たのはチャンスだけ。色々思いを巡らせてみると、これでダメだったらどうしようと悲嘆に暮れるばかりだ。
高校の卒業式の後、人狼にする儀式は終わった。マルクスに血を吸われて3日後目を覚ました。感覚が何もかも違って、自分が人間じゃないことはわかった。
起きてすぐにキトカの元に行った。その膝元に跪いて、手を取った。
「どうしたの?」
「名前」
「うん、わかったの?」
「うん、わかったよキトカの本当の名前」
握った白い手。止まったはずの心臓がどきどきしている気がする。緊張したけれど勇気を出して名前を呼んだ。
「ロシア帝国ロマノフ王朝最後の血統、最後の皇女。アナスタシア・ニコラエヴァ・ロマノフ内親王殿下」
キラキラと輝く。ダイヤの内側を放射する虹色の輝き、サファイアの深海のような青。ルビーの血のような赤。高貴な輝きを放つ真珠。ロマノフ皇家の紋章が刻印された指輪。
小さな手にキスをする。
名前が当たっていたら、宝石を贈って。もう子どもだなんて言わせない。立派な、あなたに相応しい男になるから。一緒に、夢を見よう。