1 岬の森の崖の上
山と海に囲まれた半島の、岬の森の崖の上。そこにある石灰質の白い古城には、或る一族が住んでいる。
クゥイントス城。昔からその城はその一族のもので、他の誰の手にもわたらない。
旦那様が言った。
「この城は私の城であり、私の心臓であり、私の墓場だ」
ずっと昔から、気が遠くなるほど、昔から。
海は凪いでいる。潮風が髪を撫でる。黒髪が風に煽られて、冬を渡る鳥たちを眺めていた視界を遮った。
もうここに来て2年経つのかと思うと、よく努力していると自分の健気さを讃えたくなるほどだ。
「おねーちゃん何やってんの! 早く手伝ってってば!」
「あ、ごめ」
呼んだのは弟ルキアス。さらさらの茶髪に茶色の目をした弟は、今年で12歳になった。
憤慨して金槌を振り回すものだから、慌てて城の屋根に飛び乗った。
「ごめんルキア」
「ったくもー日没まで時間ないんだからボケっとしないの!」
「はは、ごめん」
先月旦那様に命令されたのだ。
「今日からひと月の間に、城の外観をヴィクトリア調に改築しろ」
無茶言うな! と姉弟揃って抗議すると、姉弟揃って鉄拳を振るわれたので渋々従っている。
不貞腐れたようにルキアがぼやく。
「おねーちゃんがお父さん建築士で自分も建築系の学校に行ってたとか言うから」
奥様に前期を尋ねられてそう答えたら、改築の命令が下ったのだ。どう考えても建設会社に依頼して数カ月かかると思うのだが、旦那様はなんでもかんでも姉弟に押し付ける。しかも無理難題を容赦なく押し付ける。
「だって、まさかこんな命令されるなんて思わないでしょ? 私も吃驚したよ」
正当性を主張すると、確かにね、とルキアも納得して溜息を吐く。
「あンのクソオヤジ。いつか出てってやるー!」
恐ろしい旦那様に向かって直接は言えないので、ハンマーに怒りを込めて釘を打つ。力を入れすぎて板が割れた。
「あ、もうバカ」
「もー腹立つ! おねーちゃん城出ようよ!」
「それができたらとっくに出てるよ。アンタここ出て一人で生きてく自信ある?」
問われるとルキアは悔しそうに歯噛みして、結局ハンマーに怒りを込めることになる。今度は釘が折れた。
幼い頃に両親は死んだ。だから祖母が育ててくれた。その祖母もセルヴィの学校卒業を待たずに、病気にかかって死んでしまった。だから姉弟はお互いしか肉親はいない。
学校を辞めて働きながらルキアと暮らしてきた。ルキアは男の子だからちゃんと高等教育を受けさせてあげたいと思ったし、祖母が死んだときはまだ8歳だった。
外国人街育ちで、非常に貧しかったし、ギリシャ人から差別されたこともあった。毎日仕事に家事に追われて、本当に大変な思いをした青春時代。
でも、ルキアも学校から帰ると家の事をしてくれた。祖母が細々と営んでいた薬草店を引き継いで、庭でハーブやメディカルプラントを栽培したり、お茶用に加工したり。
大変だったけどそれなりになんとか暮らしていたのだ。それなりに幸せだったと思う。思い出すと、泣ける。
城は広大で美しい。金にも困らない。生活は使用人と同然(一般と比較すると過酷)だが、衣食住も給金も労働の対価には見合っている。生きていくというだけなら文句のつけようはない。
しかし己の身の上を嘆かずにはいられない。
「本当、なんでこんなことになったんだろうねぇ」
ぼやくと、ルキアにハンマーで頭を殴られた。
「いっ! 痛いんだけど! 血出てない!?」
「出てるけど平気でしょ」
「平気じゃないよ!」
殴られた個所に反射的に当てた手を見ると、べっとりと血がついている。
更に文句を垂れようとしたものの、ルキアの方が睨んでいた。
「そりゃハンマーで殴りたくもなるよ。なんでこんなことになったかだって? それおねーちゃんが言う?」
それを言われてしまうと、一言も文句を返せない。
住んでいた土地を離れ今この城に住んでいるのも、毎日旦那様に無理難題を押し付けられ、奥様の時間の概念が通用しないお買い物に付き合わされるのも、この二人の世話にならないとまともに生きていけないという現実に直面しているのも、すべては2年前、セルヴィが旦那様と出会ってしまったから。
思い出すと溜息と共に、涙まで出そうになった。
登場人物紹介
セルヴィリア・ケフィオン 主人公
母はアメリカ移民、父はセルビア移民のハーフ。弟思いのしっかり者。16歳から学校をやめて薬草店を経営して弟と暮らしていた。仕事上薬草の知識はかなりあって、自頭がいいのか性格なのか、順応性はかなり高い。普段は半獣人の姿が楽なので、ケモノ耳である。作業に邪魔なので尻尾は出さない。
ルキアス・ケフィオン
セルヴィの弟。クールでイヤミで賢いシスコン。セルヴィと違って過去の事を根に持つタイプ。旦那様と奥様には結構可愛がられているが、色々あってもう既に反抗期。