彼と彼女
「仁多さんね。末永くよろしくな」
「よ、よろしくお願いします……」
「ほんと、いやだったらいやだって言いなよ、仁多さん」
「坂はいいからその紙を音速で提出してこい!」
檻から脱出したごりに俺は部室から蹴り出された。
「まずは我が部の活動内容を部長のこの俺から説明しようかね」
「は、はい……」
カチンコをかかげてごりは、見た目だけは立派な映画監督ぶって話しはじめる。
待ちに待ったせっかくの新入部員だ、使いっぱしりのひとつくらいならやってやってもいいか。俺は入部届を手にすると、
「じゃあちょっと行ってくるわ……あ、こんにゃくの話もあとでちゃんと聞くからね」
廊下を走らない程度の早足で職員室に向かった。
「こんにゃく? ……ここ、こんにゃくじゃありません! シラタキちゃんです!」
あれ、こんにゃくじゃなかったっけ? しらたき? そういや俺はついこないだまで、しらたきとところてんは同じものだと思ってたな……そんなことを考えて上の空で歩いていたら、女子生徒とぶつかりそうになった。
「あ、ごめん」
「助けてください!!」
「は?」
いきなりなんだこいつとよくよく顔を見たら、ものすごい美少女だったので逆にめちゃめちゃ焦った。長身で手足がめっちゃ長い。これはあれか、痴漢かストーカーにでも追われているのか?
「えっと、どうしたの? いったい」
「映画研究部の人ですよね。突然こんなお願いをしてごめんなさい……私を題材に、映画を撮ってほしいのです」
「え、撮るの? 君を?」
俺は映研の部員ではないんだけど、ということはひとまず置いておいて、まあこんな美少女を撮れるんならごりは二つ返事でOKだろう……でもいったい何の目的なんだろう、出演したいだけなら、本物の芸能プロダクションに行けばいいんじゃないのか、これだけの外見なら。
「私の名前は半辺半兵衛と言います。2年の女子生徒としてこの高校に在籍しています。私が……実は魔術師で、実は男であるという……そういう映画を撮ってほしいのです。これは本当は事実なのですが……これを見た全校生徒がそのことがフィクションなんだと信じるような……そういう映画を、つくってもらえませんか」
は? ……男?
男、と言われてあらためて意識して半兵衛を凝視するが、どこからどう見ても美少女以外の何者にも見えない。整った顔立ち、憂いを帯びた切れ長の目に長いまつげ。確かに、胸まわりや腰まわりのボリュームは同じ年頃の女子と比べれば控えめではあるものの、そんな発達途上の、もしくは発達しないままの女子だっていくらでもいる。まわりの女子よりスカート丈は長めで足の露出も少ないが、足が長い分そのスタイルもさして違和感はない。
まあここでどちらが真なのかを問いただしても意味はあるまい……証拠を見せようとか言われてこんなところで脱ぎ出されても困るし……既に俺はうっかりそこやここを凝視しまくってしまったことが気まずくなっている。目をそらしながら俺は彼に告げた。
「その件は部長に直接相談してみてくれないかな……いま部室にいるから」
「ああ、部長はもうひとりの殿方の方なのですね。わかりました」
「俺も用事済ませたらすぐ部室に戻ってくるからさ」
「はい、ではのちほど」
おたがい会釈をしてすれ違おうとしたとき、甲高い女子の声が階段の上から降ってきた。
「ぺんちゃああああああああん待ってえええ待ってよぺんちゃあああん!!」
「その声は……文」
半兵衛が階段の上を見上げるのと、ぎょえ!と奇声を発した小柄な女生徒が、乗り出した手すりから逆さになるのが同時だった。やばい、あの子落ちる!
なんの反応もできない俺をそっと押しやり、なめらかな身のこなしで落下してきた女子を軽々と半兵衛は受け止めた。
「こら、危ないではないですか、文」
「きゃあ! ……あっ、ぺんちゃん助けてくれたの!? もう、私いつもぺんちゃんに助けられてばっかり……」
やわらかく抱えた女子を床に下ろす仕草は、まるで姫に仕える騎士のようでもあった。その身のこなしを目にして、俄然この子が実は男だという信憑性が俺の中で増した。
「それで文、そんなに慌ててどうしたのですか」
「ぺんちゃん、その人映研の人でしょ……? もう話しちゃったの……?」
文と呼ばれた少女は不安そうな上目遣いで半兵衛を見上げた。
「ああ、いまお願いをしたところです。これから部長にあらためて……」
「だめだよ、やっぱりやめようよぺんちゃん! あなたの秘密を知っているのは私だけで十分じゃない……男の人に話すなんて、どうかしてるよ! 男なんてみんな狼なんだよ! 信用できないよ!!」
言いつのる彼女をなだめるように半兵衛は微笑むと、
「狼だとしても、私は成し遂げる必要があるのですよ」
柔らかいながら意志の強い口調でそう言うと、文と呼ばれた少女を優しくのけて、映研の部室のある方向へ歩き出した。
「やっやだ、待ってぺんちゃん…!!」
文がそのあとに続いて走り出し、俺は一人になった。
しばらくぽかんと見送ってからようやく、当初の自分の目的を思い出し、
「そうだ、入部届」
呟いて、俺は職員室へ向かった。